なぜ地方ではドキッとする美少女がコンビニバイトしてるのか

ホイチョイ・プロダクションズの指南役さんのTweetを見て考えた。

 

 

というのも以前地方に出張した際、まったく同じことを思ったからだ。以下はこの問いに対する自分なりの考察である。

地方では中学校のヒエラルキーが継続する

バブル崩壊以降、失われた20年を経て地方には仕事がなくなった。

●地域別・産業ごとの労働生産性

 

グラフは産業ごとの労働生産性を表したものだが青い棒線が三大都市圏であり、農林水産と建設業以外は人口に少なくなるのに比例して規模がか細くなっていく。(出典:財務省2015)

首都圏・中京圏・近畿圏以外はとにかく仕事が無い。もちろん、飲食・介護・建設土木・観光業に関しては存在するわけだが、いわゆる都心エリートがやるような経営企画・開発・コンサル・広告・メディアのような仕事はほとんどなく、電機メーカーや自動車メーカーの現地採用に関しても安定職として競争倍率は高く、給料は低い。(しかもSHARPやPanasonicのようにもはや現地採用は安定職ではなくなっている)

地方で学歴エリートがついてペイする職業とは、市役所や県庁、地方銀行・地方紙、ローカル局などに限定されていくわけだ。ただこれは実数としてかなり少ない。地方都市のキャバクラなどに行ってみて話すと大体は地元の建設関係や不動産関係の社長が大口顧客であり、彼らは学歴エリートではなく、結論、地方では秀才エリートの居場所はあまりなく、存在感もほとんどないわけだ。

これとまさに相似形なのが地方の公立中学である。勉強のできる優等生の居場所、存在感はほとんどない。幅を聞かせているのは先生に目をつけれられながら「ワル」をやっているヤンキーたちである。マイルドヤンキーのアルファメイルなので「ワルファ」と呼ぼう。彼らの世界の支配律を的確に描いた名エントリを以下にご紹介する。

 

地方では、「高学歴の世界」の住人の密度が薄いので、地元国立大の附属小学校に行けるとかの特別な例外を除いては「低学歴の世界」に混じり込まなければいけません。そして、その「低学歴の世界」とうまく付き合えなかった多くの「高学歴の世界」の子弟は、いじめと言う名の社会的制裁を受け、あるいは高学歴の世界の住人としての努力を継続することができなくなってしまいます。結果、少なくとも学力とかを通じては「高学歴の世界」に復帰できなくなります。お父さんが一橋出てる高級サラリーマンなのに娘が皆謎の地元短大卒とか東大出てる高給サラリーマンなのに息子が高卒ニートとかよくあります。もちろん、その子どもたちの価値観は、「低学歴の世界」のそれです。

−常夏島日記「地方都市で、低学歴と高学歴の世界が交わるとき」から引用

 

地方都市では、大都市圏に存在する「高学歴だからドヤ顔できる」というルールは存在せず、ワルファを頂点としたヒエラルキーが中学以降そのまま継続するのだ。

ちなみに、大都市では社会人になった後、仕事や社会的地位によってヒエラルキーに変化が起こる。中学高校でモテていた男でも勉強をサボって大学受験・就職活動をうまく乗り越えられなかったりすると、25をすぎるとモテなくなってくる。

 

 


地方では人材の流動性が低くソーシャルネットワークが固定化されるため、一度ボスになると下克上が起こらない限り、その地位を脅かされることも少ない。中学の時、パシリにされてたやつは、ずっとパシリなのである。パシリにとっては最悪な環境である一方、ワルファにとっては非常に居心地のいい社会構造である。そしてこのヒエラルキーは「モテ」にそのまま影響を与え、地方社会の人口構造を形成しているのである。以下はあらゆる一夫一妻制の社会に適用できる男女の夫婦形成を予測する計量経済学モデルである。

 

10人の男と10人の女がいたとする。
まず、いちばんもてる男に、女が3人くらい寄っていく。
2番目にもてる男も、負けじと2人くらい持っていく。

したがって3番目の男は、6番目の女と一緒になる。
以下、4番目の男は7番目の女と、
5番は8番と、6番は9番とカップルになる。
しかし、残る7番目以降の男にもプライドだけはあるので、
最後に余った10番目の女など誰も相手にしようとしない。

さて、上位の女を独占したNo.1&2のモテ男も、最終的には
一人を選ばねばならないから、ここで3人の女があぶれる。
でも、すでにモテ男と付き合った経験のあるこの3人の女は、
いまさら下位の男と一緒になろうなどとは考えない。

こうして、互いに性質の異なる独身男と独身女が残る。

  男  女
1 ○  ○
2 ○  ×
3 ○  ×
4 ○  ○
5 ○  ×
6 ○  ○
7 ×  ○
8 ×  ○
9 ×  ○
10 ×  ×

以上、2chからの引用 

 

これに従うと、男というのはヒエラルキーの上から順に、魅力的な女性とつがいになっていく。そしてヒエラルキーの下位は残念ながら子孫すら残せない。また女性はヒエラルキー上位でも競争に負けてしまうと結ばれなくなってしまうのだ。

大都市では、30歳前後のモテヒエラルキーが適用された結果、「有名企業の仕事のできそうな男」が最も婚活市場ではモテている。一方、地方では、中学のモテヒエラルキーが持続している。この結果、ワルファたちがモテ上位の女性たちとペアとなり子孫をつくることとなる。都会のヒエラルキー上位層に比べワルファたちは所得も家柄も特段よくはないので子どもたちに対しては環境や教育に投資できない。むしろ傾向的に、よいパパや旦那ではなく外で遊び歩いたり、家にカネを入れずに離婚してしまうワルファも多い。その結果、ワルファと地方美人の遺伝子を引き継いだ息子・娘は地方経済の中でも時給の高くない場所で小遣い稼ぎをしているわけだ。大都市では外国人留学生が働いているようなコンビニ・ファストフード・居酒屋などに、日本人の美少女が働いていたりするわけである。

指南役さんの疑問に対する私の考察は以上である。

 

ただせっかく考察したので、これをベースにして大都市に男子が地方美女を一本釣りする戦略を描いてみよう。

 

【おまけ】ワルファから美女たちを奪え!

ここに地方恋愛戦略に関して非常に参考になるエントリがある。

 

 

都道府県別に18歳から39歳までの男女の人口比を見てみると鹿児島が女性100人に対して男性が91.14人となっており、さらに奈良、長崎の順で男性が少ない地域となる。もう少し全体を見渡してみると九州や関西、北海道において相対的に女性が多く、関東や東北、中部では男性が多い。どうやら女性の割合は北海道を除き西高東低の傾向があると言えそうだ。(略)個人的な経験で恐縮だが、僕が札幌に住んでいた時は、恋愛工学を実践するまでもなく確かに女性からの引き合いが相対的に強かった。これは僕の魅力どうこうよりもやはり男性が少ないという外部要因が働いていたように思う。

−つかさの自由帳『男なら西を目指せ(札幌でも可)~恋愛地理学のススメ~

 

ここにもあるようにそもそも人数比として地方都市は明らかに女性過剰となっている。これはワルファ以外の男性の多くが地元に残っても色んな意味で美味しくないので大都市圏に行ってしまうことから起こっている状況だ。

つかさ氏の抽出によるとそれが顕著な地方都市として鹿児島市・松山市・福岡市・神戸市・札幌市・熊本市・広島市というのが上げられている。彼ら彼女らを一本釣りするノウハウに関しては今後、「恋愛サロン」や「週刊恋愛サロン」の方でプロジェクト化し検証していきたいと考えている。

具体的には考察で考えられるような地方都市の美女にどのようにアプローチし、どのようなプロトコルを使用して恋愛関係や婚姻関係を築いていくかの方法論になっていくと思われるので、乞うご期待。

 

 

 

試行回数でレバレッジをかけよ

努力は2乗で効いてくる

 

 

これは『やり抜く力 GRIT −人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける』で紹介されている「達成の方程式」だ。努力は2乗で効いてくる。努力し続けることが、圧倒的に重要ということだ。日々、恋愛コンサルをしていて実感していることであるが、初期設定である才能以上に試行回数があとあと効いてくるのである。まさに試行回数によってレバレッジがかかってくるわけだ。

結局、金持ちになるには何かにレバレッジをかけるしかない。金森さんはお金のレバレッジで不動産、僕は今はITのレバレッジ。

『ニッポンの富裕層論』という金森重樹氏との対談で作家の藤沢数希氏が述べている一文だが、ITもお金もない私みたいな人間は努力(試行回数)によってレバレッジをかけるという方法があるのかもしれないと思ってしまう。じっさいtwitterをはじめて2年ちょっとくらいであるが日々つぶやき続けているとコツコツとフォロワーが増えていって今は8000人近い人にフォローしてもらっている。別にもともと有名人だったわけではない。ブログやメディア掲載というITレバレッジなしにここまでこれるのだから、この方程式はやっぱり有効だ。

 

twitter上の成果 =[つぶやきの才能 × つぶやき回数 × つぶやき回数]

 

しかもやればやるほど成功確率はあがる

試行回数レバレッジの何がいいかというと、無制限であるところなんですよね。失敗さえ受け入れることができればいくらでも回数は打つことが可能。ミドリムシで有名なユーグレナの社長もこう言っている。

 

「1回目の成功の可能性が1%しかなかったとしても、2回挑戦したら、成功率は1.99%になる」という法則があります。例えば、あなたが成功率1%のことに挑戦するとします。成功率1%ということは、逆に失敗する確率が99%であり、ほとんど成功しないということになります。しかし、1度失敗したことをもう1度チャレンジすると99%(1回目の失敗確率)×99%=98.01%となり、失敗する確率は1%減り、成功確率は2%に上がります。同じように3回目のチャレンジの場合、98.01%(2回目の失敗確率)×99%=97.0299%で成功率は3%に上昇。以後、挑戦すればするほど成功率は上がり、50回挑戦すると、成功率は39.4994%と3分の1以上、100回挑戦すると成功率は63.3968%で、なんと3分の2にまで上がり、459回目の挑戦での失敗確率はわずか 1%! 逆に成功率は 99% となるのです」

-ユーグレナ社長・出雲充

 

1%の確率のものに成功したければ、確率的には459回チャレンジしたら99%成功する。これはもうやるしかない。

 

というか、幸せになりたければ “JUST DO IT”.

カリフォルニア大学リバーサイド校のソニア・リュボミルスキ教授の著書『ハピネスの方法(The HOW of Happiness)』によると、幸せは、およそ半分は遺伝的に決まっているという。

我々は普通、結婚してよき伴侶を得たり、新しい家を購入したり、たくさんボーナスをもらったりすると、自分の幸せが向上すると思う。リュボミルスキ教授の定量的研究によれば、これらには、案外小さな効果しかない。逆に人間関係がこじれたり、仕事で失敗したりすると、我々は不幸になると考えている。ところが実際にはそうでもないというんだ。人間は我々が想像するよりはるかに短期間のうちに、よくも悪くも、これらの自分のまわりの環境要因の変化に慣れてしまうのだ。この環境要因に含まれるものは広い。人間関係、お金、健康がすべて含まれる。驚くべきことに、これら環境要因をすべて合わせても、幸せに対する影響は、全体の10%にすぎないのだ。

-『データの見えざる手

では遺伝と環境要因を覗いた残りの40%は何か。リュボミルスキ教授によると日々の行動の習慣や選択の仕方によるという。特に自分から積極的に行動を起こしたかどうかが大きく影響を与えるという。

 

行動を起こした結果、成功したかが重要なのではない。行動を起こすこと自体が人の幸せなのである。(略)行動すること自体が、ハピネスだとすると、幸福になるための発想がまったく変わる。極端にいえば、今日、今このときにもハピネスが得られるかもしれない。

-『データの見えざる手

 

となるとウジウジなやんでないで行動するのが絶対的に正解と言えるんじゃなかろうか。やるかやらないかを逡巡していたら半年くらい経っていたというのは実は大企業エリートの癖だ。プロジェクトで日系大手の人と仕事をすると「やるやらない」についてひたすらシミュレーションしまくって時間を浪費している。「やっちゃって失敗したほうが早いんじゃないですか」というのセリフが喉元まで出かかっているのだが、彼らは失敗を極端に嫌う人種なので言葉を飲み込む。「時期尚早」という便利な言葉でプロジェクトがペンディングになるのがたいていのオチだ。もったいないよね人生の時間は限られているのに。

だからたいして失うものがないのならばひたすら行動するのが正解ってことです!

 

 

おしまい

 

文献リスト

・『データの見えざる手

やり抜く力 GRIT −人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

・『ハピネスの方法(The HOW of Happiness)

 

 

 

渋谷デートで使えるお店22選

 

参画している「恋愛サロン」では日々さまざまな恋愛にまつわる投稿がなされています。恋愛サロンがローンチしたのが2016年の3月ですからすでに一年以上運営がなされておりまして、常時100人以上のメンバーがさまざまな知見やテクノロジーをシェアしてきました。いかんせんサロンは掲示板形式のものであり、過去の投稿が埋もれて見にくくなってしまうことからコンテンツ部長である私が一旦もろもろの投稿を編集し、サロンメンバーと興味のある方々にご提供したいと思っております。

今回は渋谷デートで使えるお店リストというものを編集してお届けします。

マップ上にも編集しましたのでスマホに保存してもらえれば緊急時でも落ち着いてデートセッティングができるかと思います。

 

①コックマン

https://tabelog.com/tokyo/A1303/A130301/13115594/

お肉がおいしいビストロです。基本的に混んでいるので一軒目で使って、長居はせずに早めに2軒めに誘導する戦略がいいと思います。
(Pさん)

彼女とコックマン行ってきました。雰囲気もよかったですし、料理もお酒もコストパフォーマンスがいいのでとても気に入りました。新規のアポで使いたいと思います。(Sさん)

 

 

②東京ワイン倶楽部 楽

https://tabelog.com/tokyo/A1303/A130301/13109931/

渋谷の「ワイン倶楽部 楽」一度行きましたが結構良かったです。
・カウンターが若干近い
・安い
・暗い
・混んでて騒がしいので話すとき近づきやすい
・カウンターからみえる料理がおいしそう
(Oさん)

東京ワイン倶楽部 楽は料理が美味しくコスパも良くて、レガートはラブホ街入口の最終要塞として非常に優秀ですね。(Yさん)

③レガート

https://tabelog.com/tokyo/A1303/A130301/13005405/

道玄坂上のビルの最上階15階にあるまさしく2軒目使いとして恋愛工学的に最強のバーレストラン。あくまで、断っておくがこのお店は2軒目使用である。1軒目使用では食べログにもあるとおり夜の使用料金で¥6,000~¥7,999、値段もかさんでしまうのであくまでも2軒目使用でお願いしたい。そして、リクエストする席は窓側だ。バーカウンターもバーテンダーと話したり、全体を見渡せるのでありだが、テーブル席には行ってはいけない。Mさん
レガート、窓側は、フードメニューがそもそもテーブル席と違って、安いのしか載ってない神仕様です。ワイン、白赤ともに、価格設定異なる3種がありますが、店員少なかったりするので、「あの店員呼んでも反応してくれなそうやなー」とか言って、店員のところまでこっちから行ってこっそり安いの頼むと、コスト抑えられます
(Tさん)

 

渋谷デートで使えるお店22選

(申し訳ございませんが、以降は恋愛サロン会員限定記事です)

 

「みんなと一緒」は買い叩かれる時代になったらしい

「コモディティ化」という言葉をご存知だろうか。

「コモディティ」とは日用品・生活必需品のことで、商品の機能、品質、ブランド力などではなく、価格や買いやすさだけを理由に購買が行われる。機能や品質面で大差のない製品が多く流通し、買う側にとっては入れ替え可能な存在である。

この「コモディティ化」は物品だけではなく、人材の面でも進んでいる。誰がやっても同じようなアウトプットの出る仕事に関しては、市場原理により徹底的に安く買い叩かれることになる。マニュアルによる接客・販売に始まり、事務・管理、最近では会計・調査分析などもコモディティ化の波が押し寄せている。これはオートメーション化の進行と無関係ではない。コンピュータで処理できるタスクを人間の労働から排除した結果、コンピュータが得意な領域の仕事に「人の技」がいらなくなったのだ。企業にしてみればコストは一円でも安くしたいから、クオリティに差がなければ人よりも安い機械を導入したりする。結果、人が働けるポストが縮小され、そのポストをめぐって競争が激化するから賃金はまた安くなる。

労働の話だけではなく、それは生き方やファッションの段階にも影響を及ぼしている。「量産型ファッション」「量産型女子」などという言い方が象徴的で、その昔、ファッションやトレンド、ヘアスタイルはすべて量産型であった。しかし誰もそれを価値のないことだと指摘しなかった。むしろ流行りに乗るという意味で肯定的にすら捉えられていた時代もあったのだ。

 

↑こういうのとかね。

重要なのは「『みんなと同じ』ことに価値がなくなった」という構造的転換にある。コピペがあまりに簡単にできるようになったためだ。以前は「オリジナルをつくること」と「コピーをつくること」の差があまりなく、むしろ粗雑なオリジナルより、精巧なコピーのほうがありがたがられた。しかし、いまは「コピーをつくること」があまりに簡単なので「オリジナルをつくる」ことに圧倒的に重きが置かれる社会になっている。

 

すなわち今『ゼロからイチ』を生み出す能力に価値が集まっているのだ。

 

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シリコンバレーにおいてペイパルマフィアのドンとされるピーター・ティール氏の書籍に『ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか』というものがある。

 

新しい何かを作るより、在るものをコピーする方が簡単だ。おなじみのやり方を繰り返せば、見慣れたものが増える、つまり1がnになる。だけど、僕たちが新しい何かを生み出すたびに、ゼロは1になる。人間は天から与えられた分厚いカタログの中から、何を作るかを選ぶわけではない。むしろ、僕たちは新たなテクノロジーを生み出すことで、世界の姿を描き直す。それは幼稚園で学ぶような当たり前のことなのに、過去の成果をコピーするばかりの世の中で、すっかり忘れられている。

 

「賛成する人のほとんどいない、大切な真実とは?」この逆説的な質問にそのままズバリと答えるのは難しい。(略)誰もが信じる幻想を見つけたら、その後ろに隠れているものがわかる。それが逆説的な真実だ。

 

資本主義と競争は対極にある。資本主義は資本の蓄積を前提に成り立つのに、完全競争下ではすべての収益が消滅する。だから起業家ならこう肝に命じるべきだ。永続的な価値を創造してそれを取り込むためには、差別化のないコモディティ・ビジネスを行ってはならない。

 

少なくともビジネスの世界は、シェイクスピアの説により近い。社員は出世のためにライバルとの競争に執着するようになる。企業もまた、市場の競合他社に執着する。そんな人間ドラマの常として、人は本質を見失い、ライバルばかりを気にするようになる。

-『ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか

 

金言だらけだ。ここから私が汲み取ったのは、誰かの敷いたレールの上を必死に競争した先に新しい何かがあるわけではないということ。勇気をもって人と違うことをして、0から1を立ち上げる。そこに独占市場がある。それでも人は競争をやめられないのはなぜだろうか。

「アドラー心理学」では、「承認欲求」という概念を補助線にしてその疑問を解決してくれる。

いくら自分が正しいと思えた場合であっても、それを理由に相手を非難しないようにしましょう。ここは多くの人が陥る、対人関係の罠です。(略)人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。(略)そもそも主張の正しさは、勝ち負けとは関係ありません。あなたが正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結するべき話です。ところが、多くの人は権力争いに突入し、他者を屈服させようとする。

 

他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。(略)承認されることを願うあまり、他者が抱いた「こんな人であって欲しい」という期待をなぞって生きていくことになる。つまりほんとうの自分を捨てて、他者の人生を生きることになる。

 

不自由な生き方を選んだ大人は、いまこの瞬間を自由に生きている若者を見て「享楽的だ」と批判します。もちろんこれは、自らの不自由なる生を納得させるために出てきた、人生の嘘です。自分自身がほんとうの自由を選んだ大人なら、そんな言葉は出てきませんし、むしろ自由であろうとすることを応援するでしょう。

(すべて『嫌われる勇気』哲人の言葉より引用)

 

「誰かに褒められたたい」、「誰かに勝ちたい」という承認欲求は際限のない欲望を生み、究極的に人を幸せにはしない。それよりも、「誰か(共同体)の役に立ちたい」という感覚に従って貢献していくことが幸せを手に入れる方法だと「アドラー心理学」は説く。日本の学歴社会に始まる競争社会で、不幸になっている人をたくさん見ているなかで、この主張はとても腑に落ちる。

 

 

「同調圧力」が強い日本社会の中で「みんなと一緒」はとても強い価値観だった。「みんなと違うだけでいじめられた」というのは芸能界のハーフタレントの多くが持っている子供時代の体験である。しかし時代は確実に「人と違う」ことを評価する方向にシフトしている。人と違うことをコンプレックスだと思わずに堂々と主張する。誰も手を出していないことを見つけて勇気を出して形にしてみる。ちょっとでもいいからそのような取り組みをはじめてみることをおすすめしたい。特にブログやツイッターなどのリアルのコミュニティとの相関性が低い場所ではそのような勇気に対して強い応援と指示をもらえる可能性が高い。

 

ちなみにExplosive|自分時価総額サロンもそういうコンセプトで運営されている。新しい時代の価値観をインストールした自分をバーチャル上で先に実働させてしまおうという試みである。

 

 

おしまい

 

文献リスト

・『ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか

・『嫌われる勇気

 

 

 

2031

セミがこれでもかというくらいに鳴き叫んでいる。

熱帯のような昼下がり、縁側の庇の下でタオルケットを敷いて横になる。

自分を大切に育ててくれた両親は10年前に死んで、いっしょにバカ騒ぎしていた親友のうちの数人も病気で死んだ。金がかかるといって病院へいかなかったので、あっと言う間だった。電気料金は馬鹿みたいに高くて、5年前に買い替えたベトナム製のエアコンはほとんどつけない。

美しかったはずの妻の顔は皺だらけになり、最近では大声で話さなければ振り向かない。今で通販番組ばかりをみている。民放はあるときから通販番組しかやらなくなった。映画とドラマの再放送と通販番組の無限ループ。NHKだけが、新鮮なコンテンツをかろうじて出し続けてくれる。買い物にはいかず、すべてオンラインですませてしまう。

暑い。汗がにじむ。セミの声が脳みそを浸食されていくような気分だ。のどが渇いている。水を飲んでもどうせまたのどが渇くんだ。いっそこのままひからびてしまってもいいかもしれない、と思う。だれもきっと悲しまない。不快で、退屈な毎日の繰り返し。ただぼうっとしているだけの。

大切にしていたはずのものは、ほとんどすべてなくなってしまった。細かい砂のように指の隙間からさらさらと零れ落ちてしまった。一瞬だった。気づいたときには、身動きがとれなかった。もしかしたら、大切にしていると思いこんでいただけで、実際は、していなかったのかもしれない。仕事をやめ、子どもたちがいなくなり、友達と会うのもおっくうになり、妻とどこかへでかけることも少なくなった。生活に楽しみはない。使い物にならなくなった性器をぶら下げて、私はトイレに向かう。廊下に寿司の皿が重ねて置いてある。2週間ほど前に息子がマレーシアからこちらに帰ってきたときに、とった出前の寿司だ。あの日はすこし楽しかった。もっといて欲しかったが、他にも用があるといって5時間ほどで帰ってしまった。一瞬のにぎやかな時間の後に残されたのは、それ以上の煩わしい退屈だった。

別に自分の人生に後悔をしているわけではない。そのとき、そのときに応じてそれなりの努力をし、ベストな選択肢を選んできたつもりだ。ただ、行き着いた先が、広大な退屈の砂漠だったというそれだけの話だ。もしかしたら、先急いで歩かなくてもよかったのかもしれない。道草をゆっくり楽しんでいればよかったのかもしれない。広大な砂漠にたどり着くのがわかっていれば、道中をもっと面白がれたかもしれないのに。昔の自分に教えてやれるとしたら、そのことぐらいだろうか。きっと若い自分は聞かないだろう。ジャングルを抜けることに必死だったのだから。

気づくと夕方だった。セミの声は、聞き慣れない鳥の鳴き声に変わっていた。鬱蒼と茂った森が目の前を覆った。ここはどこだっけ?どこかのジャングルだということだけはわかった。ふと背後に目をやると、黒い肌をした子どもたちが樹木に囲われた池で水浴びをしていた。

*****

2011年くらいに20年後くらいの未来予測を小説風に書き記してみた文章。たぶん1960年生まれくらいの人が主人公なんだと思います。2017年だと57歳で定年近いおじさんですね。日本が経済大国でなくなってどんどん格差が広がるのと、医療費・福祉の削減、あとは共同体の断絶みたいなことを浮かべながら書いています。

ものごとを小説風に書くというのは思わぬインスピレーションを得ることができます。スマイルズ代表の遠山正道さんが三菱商事時代にスープストックを構想した企画書も小説風のアプローチで書かれていたりします。アイデアがなかなか出ないときや発想を飛躍させたいときにやってみるのもいいと思います。

おしまい

はじめてのストリートナンパの思い出

 

ナンパをする、と言うと、たいてい「え?」と驚かれる。

「船の話?」と言われたり、(それ難破)、「あ、大阪の…」と言われたり、(それ難波ね)、おそらく、「ナンパ」という単語と私の外見上・性格上のギャップを信じてもらえないのだろう。その気持ちはわかる。一見すると内向的で人に心を開かず目の前の箸袋を極限まで折り詰めている私が、ナンパをするとは想像できないのであろう。

そもそもなぜ私はナンパなどをするようになったのか。それは5年ほど前のある晴れた日に遡る。

桜の多くが緑の葉をつけ始めた、初夏のように暑い4月の日曜日だった。

当時私は日曜の昼間から「まいばすけっと」で買ってきた粗悪なワインを独りで飲んで引っくり返って寝るような生活をしており、起きたら23:55で、歯も磨かずにまた寝たり、屁をこいたりしていた。朝起きるとぼてっとした自慢のくちびるが粗悪なワインの紫色に染まっていて、もうすこしで妖怪人間になれたのかもしれない。

そんな生活をしつづけ、齢も30に近づいていながらもいつものように「ペヤングの大盛り」にお湯を注いでいたとき、突如、寂しさとムラムラがないまぜになったどうしようもない感情が襲った。

「あれ?俺このままひとりぼっちで死ぬのかな?」

ペヤングからは無情に湯気が立ち上っていた。

ネットで「彼女の作り方」などを5時間くらいかけて検索した。ペヤングはのび切っていた。『コミュ障でも3日でモテモテになる方法』みたいな名の10万円くらいする情報商材をクリックしそうになったとき、「あ。高い」と思った。

最終的には、リーマンナンパマスター氏の『もう合コンに行くな〜3時間で女をオトす恋愛戦略〜』をAmazonにて購入した。

 

******

翌週の週末、その本で「桶狭間」と名付けれた銀座のデパートの中間地点に私は立っていた。

歩く女性を追って後ろから回り込み、声をかけようとする。

「お、お…おうっ、オウッ」

オットセイみたいな声が出た。と思ったら女性はもういなくなっていた。

女性は遠く離れた場所から私を振り返った。不細工であった。

緊張するからオットセイのような声になってしまうのだ。もっとシュッとスマートに「やあ、元気?」みたいに声をかければきっといける。イメージはあれだ、谷原章介だ。

「俺は谷原章介だ、俺は谷原章介だ」と念じながら有楽町駅前の広場をぐるぐる回っているとなんだかテンションがへんな感じに上がってきた。

ベージュのスプリングコートを来た20代前半の女性の後ろから声をかける。

「やあ」

返事がない。

「やあ、やあ」

小走りに追っかけながら声をかけ続ける。まったく谷原章介の様相は呈していない。

すると女性は気色悪そうに私を一瞥し、小走りで去っていった。

迷惑防止条例に抵触したかもしれない。

 

落ち込みリストカットをしようかと思ったが腹が減ったのでコンビニでキットカットを買った。

食べながら口がもさもさするなと思っていたところに、向こうから石田ゆり子風の華奢な20代後半の女性が歩いてきた。

「これだ!」と私は思った。

勇気を振り絞って「あの、すいません…」と声をかける。

石田ゆり子はこちらをみて「?」という顔をする。

私は次の一言を探していた。

「あの、あ、う、あ、あ…キットカットはおいしいですか?」

何を言っているのだ。手に食べかけのキットカットを持ちながら、なぜそのおいしさについて赤の他人に尋ねているのだ。

石田ゆり子は「…はあ?」

と怪訝な顔をする。やばい、また気色の悪いやつだと思われてしまう。ここは谷原章介のような爽やかさを訴求すべきだ。

気づくと、私は無理やり引きつった笑顔をつくり、CMかというくらいのドヤ顔で石田ゆり子に食べかけのキットカットを手渡すという行動に出ていた。

「あ、大丈夫です。ごめんなさい」

石田ゆり子は関わるんじゃなかったというような表情をして私に憐れみの一瞥をかけ、去っていった。

夕日が眩しかった。「銀座一の哀れな男」は間違いなくそこにいた。

「ナンパなんてやるもんかい!てやんでえ」

そう思って帰ろうとしたときに、大きくてゴテゴテした派手なブーツを履いた女性が目に入った。

口をついて、出たセリフが「そのブーツ、めっちゃカッコイイですね」

女性にそう声をかけた途端、女性はハイテンションで「え、わかります?これニューヨークで買ってまだ日本で売ってないんですよ!男性物もあるんですよー」と私のほうを向いて話しだした。初対面のこの私に、である。

私はハトが豆鉄砲くらったような顔をしながら、「ま、マジですか。えー、僕も欲しいなー、どこのブランドっすかー」と棒読みのテンションで返答していた。30前後のファンキーな女性は、私のそんなテンションの低迷を気にすることもなく、ブランドの名前を教えてくれた。私は気が動転しており、ブランド名を覚えることはできず、「あ、ありがとうございます」と伝え、「し、調べて、買います」と残して自ら立ち去った。買うわけはなかった。

心臓はバクバクと鳴っていた。

私はそれまでの人生で見知らぬ人に声をかけるということを避けてきた。なるべく面倒を増やしたくない。できるだけ予測不可能な事態を回避したい。予定調和の事なかれ主義で貫こうとしていた。

しかし、その日から、私は立場をひっくり返し、自ら予定調和を乱していく人生を選び始めた。

人間、追い込まれればなんでもできるものである。

 

 

 

つづく…かも

 

文献リスト

『もう合コンに行くな〜3時間で女をオトす恋愛戦略〜』

公園で”結婚”について考えみた

ハトと向き合って、結婚のことを考えている。なぜか。

それは朝起きたら晴れていて気持ちよかったからだ。

そういう気持ちいい日は、何かいいことをしたくなる。

たとえば観葉植物に水をやってみるとか、老婆をおんぶして横断歩道を渡ってみたりとか。

しかし私の部屋には観葉植物など一本も生えていないし、街に出て老婆をおんぶして骨折でもしたら警察沙汰になるのでやらない。

なにをするかを顎をしゃくらせながら30秒ほど考えていたら賞味期限が切れかけの食パンがあったことを思い出す。

ハトに食パンをやりにいこう。

そう。思い出したのだが、私は幼少期、ハトに食パンをやる名人だったのだ。保育園に通っていた頃、その天性の人見知りが故、友達が一人もできず、せっかく「あーそーぼー」と安岡くんに言われても、恥ずかしくなって走って逃げていたほどのシャイボーイ。いつも園庭の隅っこでハトと遊んでいたのであった。

あの頃の自分に戻るのだ。尾崎豊を「15の夜」を「5の夜」に替え歌しながら、自転車に乗って、渋谷区の大きな公園へと向かう。ハトの集団にうれしそうな顔をして突っ込んでいく私は、端から見ると何に見えたのだろう。

ベンチに腰をかけ、おもむろに、賞味期限の切れかけのヤマザキ「超芳醇」をちぎりだす。「超芳醇」のパッケージを見つめていると「何が超なのだろう」という疑問が頭のなかに広がりだし、もしからしたら「超」は名字なのかとも思ったが、下に「ほんのり甘くて、もっちりおいしい」と書かれているので、その「もっちりさがすごい」というところから発案されたネーミングなんではないか、と一人会議をしていると、ハトがどんどん集まってきた。

ハトにエサをやっている時間は、自分自身と向き合っている時間である。ハトに向き合うことが、自分と向き合うことなのだ。だからハトが自分に見えてくる。自分がハトに見えてくる。ハト・イズ・ジブン。

ハトに餌をやりきった私は、まるで射精し終わった猿のようにベンチにぐでんとなっていた。賢者タイムである。賢者の私はあほの人みたいに口をぽかんと開けて、行き交う人々を見つめることにする。

トリスウイスキーを持った赤ら顔のおっさん。頭の賢そうな夫婦。汚い茶髪と穴の空いたジーンズのカップル。フォトジェニックさを追求している家族。白い日傘をさした主婦。ビニール袋を下げた浮浪者。髪型が同じ若者たち。顔がブサイクなところが共通点である家族。45歳経営者風男性と、その愛人のホステス風女性。またトリスウイスキーを持ったおっさん。いじめることを愉快にやるタイプの子供。

みな幸せそうだなあ。私もハトにエサをやっているときは幸せだったはずだ。しかしなぜかいま不幸を感じている。幸せそうな民と不幸な私を分かつ事実は、私が「家族」をもっていないということだ。「家族がいないから、あいつはハトに餌をやっている」、きっとそう思われているに違いない。そう考えるやいなや、自分の存在自体が恥ずかしくなり、「ハトになりたい!」と思った。いや、家族が欲しくなった。

晩婚化・非婚化・少子化が進んでいると、世の学者やメディアは言う。しかし目の前に「具体版・幸せな家族計画」を見せられると30を超えたおっさんにはこたえる。泣く。泣きはしないが、ため息をつく。ハトにエサをやりたくなる。だからハトと向き合って結婚のことを考えるはめになったのだ。

私はそこで挫けるような人間ではない。辛く血反吐をはくような社会人業務で、「ポジティブシンキング」を身に着けてきた。そう。いかに前向きに考えるかが大事なのだ。頭の薄くなって額にギトギトの油を載せた私の最初の上司はそう言っていた。だから私は財布を落としても「誰かがよろこんだはず!」と笑顔になれるし、恋人に浮気されても「他の男がホクホクしてるはず!」と思い込むことができるのだ。理論上。

独り身の私だからこそできることがあるのではないか。そう考える。
あ、ウイスキーを持ったおっさんと目が合った。そらした。

冷静になった私がそのとき考えたのは、どういう結婚が幸せか、ということである。
私は基本的に根が暗く根性が悪いので、人のことをじろじろじろじろと観察している。
中学時代、誰も気づかなかった、社会科の教師の7:3分けが3:7わけに変わったことにも気づいたくらいだ。だからこれまでに会った膨大な夫婦に関しても脳内の貧弱なメモリにしっかりと保存してある。

「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」
−『アンナ・カレーニナ』トルストイ

おそらく不幸な夫婦には、いくつかのパターンがあるのだ。

 

「情緒不安定な配偶者」

私の周囲で結婚後、「不幸の底なし沼」にハマっているのはこのパターンである。

夫でも妻でも、どちらでもありうる。一方の感情が安定せず、もう一方は、獰猛な動物を家の中に飼っているような恐怖に怯えながら暮らしているという。ある外資系企業で働く知人女性は、結婚するまで旦那にDVの気があることには気づかなかった。だが結婚し、ともに暮らし始めた直後から、ものを投げる、罵倒する、皿や茶碗を割る、料理を食べずに捨てる、大声で喚くなどの家庭内暴力を振るわれ、別居の末やっとのことで昨年離婚した。会ったときにアザを見せてもらったことがある。

また大学の友人男性は、結婚後、東日本大震災をきっかけに奥さんが情動不安になり、突然泣き叫ぶ、家を出て行く、スピリチュアルなものに大金をつぎ込むなど、コントロール不能な状況が出始め、今は別居して暮らしている。奥さんは働いていないので、生活費をまるまる負担しているという。このようにメンタルに関する問題は、パートナーともども不幸にする大きな原因のひとつだ。

 

「仕切りたがる配偶者」

「情緒不安定な配偶者」に比べると、まだましであるが、傍から見ていると大変そうだ。その要因は徹底的な小遣い制である。

東大の法学部を卒業しメガバンクに入社した友人は、現在一日500円の昼食代しか持たされていないという。
彼は同じ銀行に一般職で勤めていた年上女性と結婚したのだが、その後、ストイックな小遣い制を敷かれるにあたっては、給与や会社の仕組みをすべて把握されてることが災いしたと述べている。飲み会や交際費に関しては都度申請して受給しているが、それ以外の費用はすべて貯蓄と保険に回されている。年末に会ったときに「毎日、嫁と子供が寝静まった後、i-padを取り出してマスターベーションするのが唯一の楽しみだ」と言っており、かわいそうに思ったので、一緒に風俗に行って、お金を払ってあげたら泣いて喜んでいた。これからもそういう慈善活動はしていきたい所存である。

 

「競争心の強い配偶者」

いわゆるバリキャリ男性・バリキャリ女性と結婚すると、社内競争はおろか、家庭内競争に疲弊することになる。

私の観察によると、どちらかが折れなければうまくいかないようだ。私の同僚も、「仕事ダイスキ♡」の2人が結婚し、子を授かった時点で、労働争議が開始された。「私は給料をこれだけ稼いでいる。ゆえに、やる家事の量はこのくらいが妥当である」というような議論を喧々諤々とやっている。バリキャリの奥さんというのは、男よりも闘争心が強いことも多く(当然、他の男の同僚より優秀だったりする)、男側が折れている側も多い。つまり男にとっては妻の仕事を優先させ、自身の出世を諦めるということだ。外資系戦略コンサルファームに努めていた友人男性は、奥さんの出産後「ワークライフバランス」を重視し、名も知らぬ製造業に転職した。給与は3分の1になったという。このパターンは決して不幸とはいえない、自分の人生設計を再度考え直す必要が出てくるパターンだ。

 

「生理的に無理な配偶者」

いるよね。たくさん。「じゃあなんで結婚したんだ」って聞きたくなるけど、たぶん聞いちゃいけないんだよ。「大変だよなぁ」と相づちをうって安い日本酒を飲むくらいしか俺にはできない。体重120kgにもなる先輩は「嫁がもう一緒に寝てくれない」と嘆いていたし、ジジイの医者と結婚したキラキラ女は「NO SEX LIFE!」と豪語していた。生理的に一度無理になると、男も女も、もう無理らしい。一生の関係を誓い合うということの意味を考えさせられるよね。

 

未来の妻よ、あなたはどんな人なのですか。

気づくとウイスキーを持っていたおっさんはベンチに寝っ転がっており、私の前にはハトがまだうろうろしていた。

私は未来の妻を探すため、まず、マトリックスをつくることにした。

その際、横軸を【依存心⇔独立心】、縦軸を【共創関係⇔競争関係】に設定した。

できあがったのがこの図である。

キシリトールを噛みながらこの図を見ていたら、腹が痛くなってきた。あとで調べたら「キシリトールってお腹がゆるくなることがあります」って書かれてる。ガムごときにやられる私の腹を思いながら、1にメンタルの安定、2に干渉の低さなんじゃないかしらと結論して、汚い公衆便所に向かったのだった。

 

やはり健康が一番である。

 

 

おしまい

 

ネットビジネスの教科書として、MEDIA MAKERSを読んでみる

田端信太郎 著 『MEDIA MAKERS-社会が動く「影響力」の正体』を読んだ(再読)。

2012年に発売されたこの書籍は、インターネットを中心とするメディア環境の変化を述べた書籍として、評価されている。著者は2017年現在、LINE株式会社上級執行役員の田端信太郎氏。
Twitterでも10万フォロワーを持っているような現代のインフルエンサーである。

私はこの書籍を、メディアの教科書というよりは、SNS時代のネット人格醸成のための教科書として読んだ。

目次の一部を抜粋する。

・「キャッシュ」から「タレント」と「アテンション」の時代へ
・「アテンション」を集め、「タレント」をモチベートするメディア
・コミュニケーションとクリエーションは似て非なるもの
・誰もがメディアになり得る「情報爆発時代」
・なぜ、「缶けり」専門誌は存在し得ないのか?
・上場廃止に向かうライブドア社内で見えたこと
・源氏物語からニコ動までコンテンツを分類する3次元マトリックス
・「食べログ」と「ミシュラン」の違いから考える参加性と権威性
・映画監督はなぜ「偉い」と思われるのか?
・「ペルソナ」があればコモディティ商売から脱却できる
・「FT」の紙がピンクなのはなぜか?
・編集権の独立−高潔さがメディアの差別化要因
・技術が進化しても記者の使命は変わらない…は間違い!
・馬具メーカーであることをやめたエルメス
・津田大介、ホリエモン、「お布施型」メディアが流行る理由
・雑誌がオーケストラなら、メルマガはロックバンド

昨今のネット界隈のビジネスに感度のある人であるなら、興味深い構成であることには頷いてもらえるかと思う。いくつか有用だと感じた概念があったので以下に紹介したいと思う。

 

メディアを8つに分類する3次元マトリックス

なかでも特に有用だと思ったのは、コンテンツを分類する3次元マトリックス。

①ストック⇔フロー
②参加性⇔権威性
③リニア⇔ノンリニア

この3軸で、コンテンツを分類するとあらゆるネットコンテンツの立ち位置が明確になる。

 

たとえば、

Wikipediaは、①ストック②参加性③ノンリニア
日経新聞は、①フロー②権威性③ノンリニア
ビジネス書は、①ストック②権威性③リニア

というふうに分類される。

これをネットビジネスにどう使うかという視点であるが、自らが弱い部分を意図的に補うための戦術を考えて行くのがいいだろう。

たとえば、twitterだけの人気アカウントは、①フロー②権威性③ノンリニアなので、逆に①ストック②参加性③リニアを意識したコンテンツを生成することで一気に他を出し抜くチャンスになる。

たとえば、フローのtwitterとストックのブログとは、相互補完関係があるメディアなので、戦略的にネットでキャラをブランディングしようとするなら、twitterとブログは連携させるべきだ。

オンラインサロンとnoteは参加性と権威性の部分が大きく異なっており、権威性を使ってオンラインサロンを立ち上げるとただの質問大会になって運営者は疲弊する。ゆえに、知識部分はnoteやメルマガで教授し、フォロワーたちとの交流にオンラインサロンを使うのがベストである。

このあたりの話はつねづね副業ラボのツイキャスなどでもやっているのだが、
結構理解していない人が多く、twitterでやたらめったらnoteのリンクを呟けば売れると思っている人が多い。

 

メディアをブランディングするために必要なのは編集権の独立

メディアというものが、経済的・法律的には送り手である企業の「所有物」であることは紛れもない事実です。しかし、そもそもメディアとは送り手と受け手をつなぐ「媒体・媒質」のことであり、受け手に影響を与えないメディアには存在意義はありません。それゆえ、送り手企業の経済的利益をはかることを第一の判断軸にして、メディア運営における編集判断がなされることは、必ずや、読者の離反を招き、結果的に送り手企業の所有物としての「企業価値」や「資産価値」も破壊してしまうことになるはずなのです。

(「編集権の独立−高潔さがメディアの差別化要因」)

ここでも解説されている通り、メディア(コンテンツ)の信頼度は、行ってしまえば「売らんかな」の精神からの独立性にある。自分の記事を売りたいから提灯記事を書いていると思われたらメディアは終わる。このへんは自戒でもあるわけだが、なるべく自メディアの儲けとは切り離された部分で有益な記事を買いてメディアとして信頼された上で課金モデルをまわしていくほうが、永続的な運営につながっていくはずである。

 

メディアのオリジナリティを追求するためにペルソナを意識する

読者の「ペルソナ」をわかりやすく外部に体現するアイコンとしての表紙専属モデルや、読者層を指す造語の対外的なアピールになります。たとえば、「LEON」という雑誌は、「ちょいワルオヤジ」という言葉で、彼らの読者ペルソナをうまくラベル貼りしてパッケージングし、そして、その「ちょいワルオヤジ」を体現する存在として、ジローラモさんを表紙モデルに用いました。「CanCan」は、ゆるふわ愛されOLというように読者のペルソナにラベル貼りし、それを「エビちゃん」というキャラで体現したわけです。(中略)この広告主に向けて語られる「読者ペルソナ」の設定が、広告主の脳内に呼び起こす「ああ、このメディアの読者は、ウチの製品のターゲットユーザーと近いな!」というシズル感が強ければ強いほど、広告メディアとして、単なる「クリックいくら? インプレッションいくら?」のコモディティ商売からの脱却も可能になりやすいと私は確信しています。

(「ペルソナがあればコモディティ商売から脱却できる」)

ここにも書かれているが、雑誌メディアを運営していた著者だけあって、ネットメディアが手薄になっている部分を的確に指摘している点はお見事である。とはいえ、軒並み衰退する紙メディアをどうするべきかというと別の話になるのだが。従来の雑誌は、読者のライフスタイル像みたいなものを事細かに仮定し、調査し、かなり突っ込んだ提案をしていた結果、カルチャーを生み出せていたのだと私は考えている。単なるネット調査ででてきたイメージに「当てに行く」記事ではなく、フォーカスインタビューや読者とのコミュニケーションを通じてあぶり出されてきた潜在ニーズを鮮やかにコンテンツとして表現してあげること、これができればネットメディアであっても、きっと新たなカルチャーを生み出すことができるはずだ。実際、インスタグラムがこれまでの雑誌メディアの役割を果たしはじめている。憧れられるような強烈なライフスタイルを発信しつづけるものはメディアでも個人でも、確実に時代をつくっていくのである。

 

書かれた当時の熱量を感じながら冷静に読むとメディアビジネスの未来が見えてくる

3年前に読んでみたときよりもMEDIA MAEKERSは学びが多かった。それは、自身でtwitterやブログ、noteやオンラインサロンなどのメディア運営をやってみて、各種経験を棚卸しすることができたからかもしれない。ぜひ、ちょっとだけでもメディアを持っているという方(twitterアカウントを持っていたり、ブログを書いているという方)は、ネットビジネスの視点でこの本を読んでみてほしいと思う。2012年当時からメディアの何が変化し、何が変わらないのかに焦点を当てながら読むことで、メディアにまつわる潮流の本質をつかむことができると考えます。

 

 

おしまい

 

 

文献リスト

・『MEDIA MAKERS-社会が動く「影響力」の正体

 

 

 

 

 

 

失敗を味方につけると、人生は成長軌道に乗るらしい

失敗が好きである。

失敗にはヒントがたくさんつまっている。失敗を無視するのではなく、失敗を分解して考えてみる。そうすると思いもよらなかった発見がある。「失敗」に対してうまく立ち回ることで人生を明らかに好転させることができる。失敗をテーマにしたいくつかのコンテンツを紹介してみる。

 

1)失敗への恐怖は「対策可能」である

失敗への恐怖が生じたとき、「失敗の結果、最悪の出来事はなにか?」ということを自分に問うてみる。そして、その問いへの思いつく限りのすべての答えを箇条書きにする。すべての答えをながめ、その結果「自分は生きていられるかを判断する。もし、生きていられるなら、GOサインを出そう。

But my response to the dread of failure is a little different. I ask myself, “What’s the worst that can happen if I fail at this?” Then I make a list of all the answers — every last one I can think of. Then I review each answer and decide if I can live with that result. If the answer is yes, I go for it.

Small Failures Can Lead to Big Successes

 

ビジネスでも、人間関係でも、恋愛でも、勇気を出す局面に立ったら、気合をいれるよりも、失敗したときの最悪の事態を想定する。そしてiPhoneを取り出し、それを箇条書きにする。

ほとんどの場合は、「なんだたいしたことじゃないな」という感想を抱くはずだ。もし、「失敗したら、ヤバイことになりそうだ」という印象を抱いたら、迷わず退却しよう。事前に対策を打ってからでも遅くはない。

島田紳助は「つねに最悪の事態を想定しながら生きている」とあるテレビ番組で述べていた。「マイナス思考」や「ネガティブ思考」は意識高い系の人々には一蹴されがちだが、真の戦略家は極限までマイナスを想像してそれをプラスに転じるのだと理解している。

 

2)イチロー流・失敗からのヒントをつかむ方法

私が好きなエピソードは、イチローが松井との対談で「凡打をヒントにする」と語った部分だ。

打つつもりがない球にカラダが反応することにより陥ったスランプ。メジャー3年目の春、ファウルフライを売った瞬間「凡打の中にスランプ脱出のヒントがあった」とイチローは言う。

失敗を見つめると「どうして失敗するのか」という原因が見える。逆に「どうしていい当たりがでるのか」というふうには考えると、できなかったときにパニックになる。そうイチローは語る。

 

 

大学時代、個別指導塾で講師をやっていたとき、私はいわゆる偏差値の低い子を担当させられることが多かった。他の教師以上に成績を劇的にあげることが多かったからだ。それは私が彼らのできない部分に着目していたからだと、この対談を聞いて思い直した。「できる人がやるとおりにやりましょう」でも半分くらいの人はできる。しかしそれでも「できない人」には致命的に躓いているポイントが存在し、そこを意識化して補助してあげることで劇的な改善が見られる。

たとえば、国語の成績がとても悪かった男の子がいたのだが、私はその弱点を「読解力」ではなく「語彙力」と認識し、語彙の特訓をした。具体的には熟語の書き取りと意味を毎回テストするという方法だ。すると彼は半年後、コンスタントに90点以上を叩き出し、国語が最も得意な科目となった。希望の中学にも合格し、ご両親からは高いお鮨をごちそうになった。

逆上がりのできない子を見たこともある。大抵の子は補助器具を使えばできるのだが、その女の子は周りの子にくらべて明らかに腕が細かった。私は腕の力をつけることを目的にして、斜め懸垂を週3回するように指導した。3ヶ月後、彼女はなんなく逆上がりができるようになった。

私がやっている恋愛コンサルティングも対象者は童貞や経験が少ない初級者だ。彼らには「できるようになるやり方」を示すとともに、「なぜできないのか」についてのポイントの指摘も行っている。たいていは自己流でなんとかなると思っていた部分が致命的にマズく、一部のやり方を修正するだけでうまくいくパターンが多かった。

おそらくイチローは、「できるとき」と「できないとき」の差異を抽出し比較し、長期的にコンスタントに結果を出し続ける方法論へとフィードバックしているのだと思う。

 

 

3)体系として「失敗学」を学ぶ

 

失敗学のすすめ 畑村 洋太郎

失敗を、未知との遭遇による「良い失敗」と、人間の怠慢による「悪い失敗」の2種類に分け、「良い失敗」から物事の新しい側面を発見し、仮想失敗体験をすることで「悪い失敗」を最小限に抑えることを方法論として問いている。財布を落としてしまったときに後悔するよりかは、なぜ落としてしまったのかを考え、二度と落とさないためにはどういう仕組をつくればよいかを考える。転んでもただでは起きない精神を学ぶことができる。

日々、挑戦して失敗する。それがヒントになって、新しい世界が切り拓ける。失敗は避けるのでなくて、自ら選び取るくらい実りあるものなのである。

「こうすればうまくいく」といういわば陽の世界の知識伝達によって新たにつくりだせるものは、結局はマネでしかありません。ところが、「こうやるとまずくなる」という陰の世界の知識伝達によって、まずくなる必然性を知って企画することは、人と同じ失敗をする時間と手間を省き、前の人よりも1ランク上の創造の次元から企画をスタートさせることができます。

「よい失敗」とは未知への遭遇の中に含まれるもので、細心の注意を払って対処しようにも防ぎようのない失敗を指します。(略)未知による失敗はいたずらに忌み嫌うものではなく、文化をつくる最大の糧として大切に扱うべきです。

誰も到達したことのない未来に行こうとする場合、失敗はつきものであり、それを恐れて行動しないのは本末転倒である。だから失敗を前進する仕組みのなかに組み込んでいかに致命傷にならないかという観点で行動様式を設計していくほうがはるかに生産的なのだ。

 

 

失敗にも「失敗のハインリッヒの法則」とでも呼ぶべきものが存在しています。企業のケースでたとえるなら、新聞で取り上げられる大きな失敗がひとつあればその裏には必ず軽度のクレーム程度の失敗が29は存在し、さらにはクレーム発生にはいたらないまでも、社員が「まずい」と認識した程度の潜在的失敗がその裏にはかならず300件はあるわけです。

(略)大きな失敗が発生するときには、必ず予兆となる現象があらわれます。ハインリッヒの法則に従えば、ひとつの大失敗の裏には現象として認識できる失敗が約30件はあり、その裏には「まずい」と感じた程度の失敗とは呼べないものも含めて300件もの小失敗があるからです。

 

仕事である小学校に調査にいったときに職員室に「ヒヤリ・ハット」集というものが置かれており、大事故ではないまでも教職員や生徒が気づいた注意すべきポイントがまとめられていた。こういう未然の策をきちんと講じている組織が長期的な安定と信頼を手にするのだろうなということを実感したわけである。

このような「失敗−とくに小失敗」を利用するような考え方は「β版思考」とでも呼ぶべき方法論で、あえて小さくスタートし、小失敗をたくさんしておきそのフェーズで穴を防ぐことによって、大きくスケールしたときの大事故を防ぐ手立てになっている。ハイリスク・ハイリターンと言われるが、ローリスク・ハイリターンの作り出し方はこのあたりに隠れていると個人的には考えている。「小さく生み出し、穴を塞いでから大きくする」。

 

 

*****

 

企業や社会ではお題目のように「新しいことに挑戦せよ」というメッセージが発信されているが、本来的にはそれとセットで「失敗を許しましょう」というメッセージがなければならないのである。が、世間にはそんな慈悲などないので自分と仲間のあいだでまずは失敗に関するリスクヘッジとセーフティーネットをつくることから始めるのがいいのかもしれない。

 

おしまい

 

文献リスト

・『失敗学のすすめ