銀座コリドー街 初心者向けナンパスポット7選

『マツコ会議』などのテレビ番組でもたびたび取り上げられるナンパの名所・銀座『コリドー街』。日頃ナンパをする人間にとってはお手軽で気軽なウォーミングアップ場所なんですが、初心者やナンパに一歩踏み出そうという方にとっては未知の領域。そこで今回はあくまで初心者の視点からコリドー街ナンパのオススメスポットをまとめてみました。

 

目次


コリドー街とは?

JR有楽町駅と新橋駅の間にある線路沿いにある飲食店街。おしゃれな店や、安くておいしいお店も多い場所で、平日・週末を問わず、サラリーマン・OLを中心に賑わっています。年齢層的には男性はアラサー以上、女性は23歳〜という感じで女子大生は少なめです。

 

銀座コリドー街ナンパ事情

名著『もう合コンに行くな』でも紹介されているように、銀座自体がスーツナンパのメッカではあります。しかしなかでもコリドー街は特殊で、金曜日ともなるとナンパ祭りのような様相を呈してきます。綺麗めの女子2人組が歩けば、そこらかしこからナンパされ、数百メートル歩ききるのも大変でしょう。逆に言えばナンパが嫌いな女性は今から紹介するようなお店にはあまり行かないほうがいいです。普通の子ならほぼ100%ナンパされると思ってもいいかもしれません。

 

コリドー街ナンパスポット

銀座300BAR

有楽町から新橋にかけて3店舗存在する銀座のナンパバー。意気揚々とナンパしにと行くとほとんどが男祭り状態です(笑)。だいたいみんな考えることが同じなので、ここに行く場合は曜日や時間帯を意識していくといいです。要するに、金曜日の21時以降は絶対にいってはいけないということですね。

● 銀座300BAR NEXT 
東京都千代田区有楽町1-2-14 紫ビルB1 【Google Map】
月〜木 17:00 – 2:00
金・土・祝前日 17:00 – 4:00
日・祝 17:00 – 23:00
http://www.300bar-next.com

●銀座300BAR 5丁目店
東京都中央区銀座5-9-11 ファゼンダビルB1 【Google Map】
月〜木 17:00 – 2:00
金・土・祝前日 17:00 – 4:00
日・祝 17:00 – 2:00
http://www.300bar.com

●銀座300BAR 8丁目店
東京都中央区銀座8-3-12 第二銀座コラムビルB1 【Google Map】
月〜木 17:00 – 2:00
金・土・祝前日 17:00 – 4:00
日・祝 17:00 – 23:00
http://www.300bar-8chome.com

入店すると一枚300円のチケットを買わされます。ビール1杯がチケット1枚の価格なので非常に良心的だと言えるでしょう。ナンパ目的でなくても仕事帰りに一杯飲みたいときなんかにちょうどいいお店でもあります。チケットはその日に使い切らなくても、次回使うことが可能なので財布の奥の方にでも忍ばせておきましょう。そういえば金持ちのモテなさそうなおじさんに「俺、買えるから、兄ちゃんにあげる」とチケットを10枚くらいもらったことがあります。

具体的な声掛けやトークに関しては、こちらで解説しています。→ 週刊恋愛サロン第48号 

HUB銀座コリドー店

 


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都内を中心に多くの店舗があるHUB。キャッシュオンスタイルのバーで、ビール一杯700円くらいです。六本木や渋谷にはナンパにぴったりの形態(スタンディングメイン)のお店もあります。銀座コリドー店はテーブルが存在し、人が少ない時はナンパしにくいんですが、週末の夜はスタンディング状態になっており、むしろ自由にいろんな人に話しかけられます。サッカー中継や野球中継も放映しているときがあり、応援しながら隣の女子たちと意気投合するという作戦もありです。

https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13020299/

 

立呑みマルギン

コリドー街の有楽町側にいつも人気の立ち飲み居酒屋があります。行くとよく道の外で順番待ちをしています。ここは穴場スポットと言えば穴場スポットです。ナンパするよりは食事目的で来ているので、300BARのようなギラギラした雰囲気はありません。店の前で順番待ちをしているときや奥にあるトイレにいくときなどに、さりげなく女性にステルスナンパすれば意外とその後連れ出せたりします。コツはしつこくナンパしないこと。ナンパに疲れて小腹が空いたら行くくらいの感覚がちょうどいいのかもしれません。

https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13039815/

 

銀座333(トリプルスリー)

コリドー街から銀座西六丁目交差点方面に行くとビルの地下一階にあります。上で紹介した300BAR とよく似たコンセプトで1チケット333円で飲めるお店です。違いといえば、333のほうが爆音で音楽が流れているので、ゆっくり話すようなスタイルは難しいですね。bar以上クラブ未満といった印象です。ときどきパリピのような人たちが現れてかき回していきますが、スベってることも多いので動揺しないでいましょう。

https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13155585/

 

相席屋 銀座コリドー街店

有名になった相席屋。女性は飲み放題食べ放題が無料。ということで乞食目的の女性が多いです。週末は混みすぎていて順番待ちになったりもします。裏技として相席屋で順番待ちの子にナンパして、別の店に連れ出すという方法もありますが、おおっぴらにやると怒られますのでステルスナンパで行きましょう。男性は料金がかかりますが、ナンパと違って確実に話せるので初心者にはおすすめです。ただし運の要素が強く、相席屋に行くこと自体、「非モテ感」がムンムンでてしまうので初心者を卒業したら行くことはあまりおすすめしません。

https://www.hotpepper.jp/strJ001143861/

 

マッチングカフェ ロハス銀座

すいません。まだ現地調査が出来ておりません。が、たまたまコリドー街で声をかけたキャビンアテンダントの女性がロハス銀座に行ったことがあると言っていて、気になっているところではあります。コンセプトとしては「もっと気軽に異性の方と出会いたい」「少ない時間で出会いが欲しい」そういうニーズに答えたカフェスタイルの相席の場らしいです。

「本格ナポリ式コーヒー・エスプレッソやケーキを味わいながら初対面の異性の方と相席をし、お話をお楽しみいただく 新感覚のマッチングカフェとなっております」(HPより)

うん。謎ですが行ってみる価値はありそうです。

http://www.xn--hckh0ko84qy5za.com/

 

 

ストリート

店に入らずコリドー街の路上で声掛けして、近くのお店に連れて行くのでも全然可能です。特に週末などはお祭り騒ぎなので女の子に刺されば結構簡単に連れ出して、そのままゴールできたりもします。ポイントとしてはコリドー街にいるナンパ待ちの女性は男性のスペックに厳しいので学生風のファッションやヨレヨレのスーツを来て声掛けするのはNGです。いかにも「総合商社や広告代理店に努めています」みたいなスタイルで声をかけるとうまくいくかもしれませんね(笑)

ストリートでの声掛けに関してはこちらで解説しています。→週刊恋愛サロン第55号

まとめ

ナンパに興味があるけどいきなり渋谷や新宿でやる勇気はない。六本木はなんか恐そう。という方におすすめなのが銀座コリドー街です。ここである程度実践をつんで要領をつかむといろんなところでナンパできるようになりますよ。

ナンパでなんて声をかけていいかわからない方はこちらのnoteがおすすめです。

⇢  ステナン式声掛けオープナー集

⇢ ステナンの教科書

 

出会いスポット研究所レポート

出会いスポット研究所では様々な新しい出会いの場の実地調査を行い、レポート化しています。

 

300Bar銀座8丁目店

六本木・銀座・赤坂会員制ラウンジJAZZ LOUNGE en COUNTER

HUB攻略・町田店

横浜バーナンパ

名古屋バーナンパ

恵比寿横丁ナンパレポート

 

 

おしまい by PuANDA( @shoichirosm )

 

 

セックス依存症&ナンパ中毒時代の私の生活

こちらの記事にも書いたが、数年前ナンパを始めた頃はビギナーズラックというものもあってか、面白いほど結果が出てしまって、コンスタントに一ヶ月で5〜6人くらいの新しい女性とセックスができるようになっていった。

いま振り返って見ると、純粋に楽しかったのだと思う。
「非モテ」状態を脱出したこと、いろんな女の子と話したり、デートしたりできること。それまで引きこもりがちで休みの日はキッチンドランカーと化していた自分にとって、こちらのほうが健全にも思えた。

ナンパの流儀として「色」(恋愛をほのめかしてセックスする)を使ってはダメだという考え方があるのだが、当時の私はそのあたりも意識せず、結果付き合うこともあったし、1、2回会ってそのまま疎遠になる関係の子もいた。

当時、興奮状態なのか日記をつけていた。今見ると気持ち悪いが貴重な資料である。

 

 

この○とか✕はセックスのありなしを示している。3月下旬の約11日間で9セットのセックスをしている。私はこのときは楽しんでいたわけであるが、この少し後から、自分の行動を懐疑しはじめるようになる。

もともと非モテであったために、セフレがいたり、ナンパしてセックスができることに憧れ混じりの喜びを感じていたわけであるが、それが常態化してくると「この状態って果たして幸せなんだっけ?」という疑問が頭をもたげてきた。

・「少しでもムラムラすると誰かにLINEして呼びつけてしまう」

・「夜、時間ができるとナンパに出かけてしまう」

・「金・土の夜は新規開拓をするために予定をあけてある」


このような症状が出たら、ナンパ中毒&セックス依存症を疑うべきかもしれない。
タイガー・ウッズを悩ませたセックス依存症だが、どのような状態が「セックス依存症」と定義されるのか。

 

ジョンズ・ホプキンス大学の神経科学者であるデイヴィッド・J・リンデンは、根本的な基準は薬物やアルコールや食物の依存症と同じだとして定義付けをしている。同書では依存症全般にあてはめることのできる「当該行動」という言葉を使っているが、そこにセックスをあてはめるとこのようになる。

1.自分や周囲の人の生活に支障をきたしているにもかかわらずセックスを続ける。
2.当人が「普通と感じる」ために、また生活上の通常のストレスに対処するために、セックスが不可欠だと感じる。
3.セックスをやめると自分で決め、人にも約束していながら、繰り返しそれを破る。
4.セックスに走ってしまったことを後悔する。

「必要なセックスが得られないと、身体的、心理的に離脱症状が生じる。また、最もはっきりしている点として、単なるセックス好きからセックスが必要という状態に変化していく。この段階で、生活に活力を与えてくれる素晴らしい快楽であったセックスが、日々の生活に向き合うために欠かせない作業の一つとなってしまう」

つまり、単にセックスが楽しいというだけではなく、セックスをしないではいられない、セックスなしには生活が送れないほど渇望するようになると、それは依存症へと片足をつっこみはじめているということだ。

HEALTH PRESS

 

私の場合、ここまでひどくはなかったが、片足を突っ込んでいたように思う。
怖かったのは、「できるのだから、やらなければいけない」というような強迫観念めいたものが出現しはじめていたことだ。
経験者にしかわからないかもしれないが、生活の価値の最上位に近い部分に「ナンパやセックス」が来てしまい、それ以外のことに対して価値を感じなくなってしまう状態。twitter上でアカウントをつくっている人の一部にもこういう価値観の存在を見かけるように思う。セックス至上主義・ナンパ原理主義。非モテ出身の人間がテクニックやステータスでモテるようになったときに陥りやすいトラップである気がする。

ここから私はどう脱出したかであるが、幸いなことに私は勤め人であった。

それ故、日々の業務が忙しくなると、なかなか精神的・時間的・体力的にナンパやセックスに勤しむことは厳しくなってくる。暇な時間があればナンパとセックスを繰り返したいたわけであるが、それがなくなると自然とそれが「なくても大丈夫な状態」にシフトしていった。

これで正直、中毒を卒業できたと感じている。いまもう一度生活が暇になろうとも、もう一度そういう状態に足を突っ込むことはどうやらなさそうな気がする。それは、中毒状態・依存状態というものが、とても不毛で消耗する生活であるということを一旦脱した上で実感しているからだ。

これを書いていて思うのは、ある程度の経済的自由・時間的自由を獲得した成功者のほうが、中毒症状にかかると実は抜け出せなくなるのではないかということである。

愛人9人過去最高80股の岡田斗司夫氏を思い浮かべるではないが、お金と時間があればどこまでも拡大できるし、また、生活を逼迫するほどのことが起こりにくく断ち切る理由やタイミングがなかなかに見つからないからだ。

結論としての私のスタンスはこうだ。

ナンパやセックスは現代の社会生活においては遊びである。だから楽しみたいときは思う存分楽しめば良い。人生のある時期、ある期間、タイミング、熱中するのもいいと思う。一方で、「遊び」であるからにはその「外の世界」にも自分をきちんと置いておく必要がある。そしてその両者の世界を自分の意志で行き来できる状態を作り出すことが結果的に、健全で生産的で安定した社会生活を送れる基盤となっていくと考えている。

おそらく外野から見ると、間抜けで馬鹿げたことを考えているようにも見えるかもしれないが、経験者としての当人は至って真剣である。ある先輩の経営コンサルタントが「女で身を滅ぼす経営者が多くて、そのコンサルティングに需要がある気がする」と冗談ぽく言っていたが、ハニートラップに引っかかって麻薬の運び屋として利用されたフランプトン教授の事例しかり、女をどう扱うかは男の人生にとって死活問題なのである。いや、本当に。

 
おしまい

 

 

すべての方法論オタクたちへ

 

大学時代の友人で大手予備校の講師になった友人がいる。

たまたま昨年末、飲む機会があったので、品川の適当な居酒屋で数時間だけ飲んだ。
全国のクラスを回っていてその日は冬季講習で大阪から帰ってきた彼はスーツケースを下げてやってきた。

そのとき印象に残った話。

今の子ども(受験生)はある意味不幸な環境にある。
調べればなんでも情報が出てくるせいで、一つのやり方を信じて愚直にマスターすることがどんどんやりづらくなっているという。

ためしに「予備校講師 評判」なんかで検索するとアフィリエイトっぽい作り方をされたサイト、口コミサイトなどがドゥワワワっと表示され、嘘か本当か分からないレビューが読み切れないほど掲載されている。
受験勉強をやる前の人間がこういう情報を目にしてしまうと、きっと一歩踏み出すことを躊躇してしまうのだろうなと思う。

私が受験生だったころ以上に今の受験生は勉強方法の選択肢が増えている。脳天気な大人はそれを手放しに賞賛するかもしれないが、実際の受験生にとっては気が散る要因になっていると彼は言う。

 

選択肢が増えると幸福度が下がる

私たちは皆、その(選択肢が多いことの)良さは知っています。ですから私は悪い面について話したいと思います。全ての選択には2つの影響がでます。どちらも悪い影響です。1つは、矛盾していますが、これが開放感ではなく無力感を生むということです。あまりにも多くの選択肢を前にすると、人は選択が非常に難しいと感じます。これの非常に良い例をひとつ出しましょう。定年後の年金投資計画に関する研究において、私の同僚がヴァンガードという巨大な投資信託会社から、約2000ヶ所の職場に渡る、約100万人の社員の情報を手に入れました。
彼女が調べたところによると、会社が提示する投資信託が10件上がるごとに 参加率は2%落ちたという結果が出たのです。50件の投資信託を提示すると、5件提示した時と比べて10%少ない社員が参加する。何故でしょう?
50件もの投資信託が提示されると、どれを選べばいいのか決めるのがとても難しくなり、人は「明日やろう」と後回しにしてしまうのです。次の日も「また明日」、「また明日」と延びていき、結局決断を下す「明日」は2度ときません。

http://logmi.jp/26437

講師の彼によると情報収集リテラシーのあるそこそこ頭のいい生徒ほどこの罠に陥るという。私の観察するところでもあるのだけれど、頭がよくてリスクを嫌う人種ほど「批評家」ポジションに行き着いてしまう。あれこれ情報を集め、失敗する理由をいくつも見つけ出し、結果自身で行動することを拒否してしまうからだ。ただ批判する能力は超一流で、その批判に捕らわれて自分自身が動けなくなっているほどである。受験生で「あの参考書は解説がよくない。あの講師は実は嘘を教えている」などやたら裏事情に詳しい生徒ほど実際の勉強自体に時間とエネルギーを避けず、本来のゴールである合格から遠ざかってしまう。

彼が言うには、参考書でも講師でも平均以上の評価で直感的に「合うな」と感じるものが現れればその瞬間から他を遮断して邁進する人間がもっとも成績が伸びるという。大学時代、哲学の授業で「常に疑え、自分が今考えていること自体が虚構かもしれないのだ」みたいなことを教わったけれど、そういう態度は現実社会で決められたゴールを突破する態度としてはとても不利である。

もちろん自らを俯瞰しその都度向かう先を微調整できる能力自体は十分価値がある。ただしその能力の副作用として「決められない」症候群に陥ることがあることを理解し、意図的にその能力を遮断するスキルを使える段階にいけるまでは、実はそこまで有益な能力でもないのかもしれない。

 

これを読んでいる人のなかには、就活生で複数内定をもらっていて、就職先を一社にしぼりきれないという人がいるかもしれない。「複数恋愛」をしていて彼女を1人に選びきれないという人がいるかもしれない。

そのときはこう考えてみるのもいい。
「選ばずに何もしないよりは、選んで失敗したほうが人生は面白くなる」
失敗することには価値があるのだ。

 

ここで私が言いたかったことは、「戦略と実行」のバランス感覚である。メタゲームとしての「どの戦略で動くか」という命題には時として値千金の価値がある。ただメタゲームをすすめる上で隠れた成功要因となってくるのが、「シミュレーション能力」と「実行フェーズへすぐにシフトできるフットワークの軽さ」である。現場経験のないロジックだけが正しい正論には価値がないし、実行できないお題目はストレスを生む分むしろ弊害である。

 

自分が方法論オタクに傾いてきたなと感じたときは頭の抽象度をあえてダウンさせ、現場に出てみることが実はもっとも有効な解決策であることが多い。

 

頭のいい若い人たちが陥りがちな罠。寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』というタイトルにはそういうメッセージが込められているのだと思う。

 

おしまい by PuANDA( @shoichirosm )

【保存版】新宿デートに使えるお店20選

恋愛サロンに投稿されたデートに使えるお店の「新宿」篇です。
渋谷と異なって新宿はいくつかの地域に分類されます。
そのなかでもホテルへのロジスティクスが優れているのが、東口伊勢丹方面と西武新宿周辺ですね。
さすが恋愛プレイヤーのみなさんだけあって、それが如実に地図に現れています(笑)

以下は恋愛サロン会員限定記事になります。

 

保護中: 【保存版】新宿デートに使えるお店20選

新時代のメディア・コンテンツ論

モテたい男のデートコースマガジン・Forkyというウェブメディアはご存知でしょうか。

2017年4月末にローンチされ、すでにかなりのPVを稼いでいるようで、ちなみにこのメディアのなかに私自身も記事を書いています。Forkyのコンセプトは以下のようなものです。

総フォロワー100万人以上のインフルエンサーが執筆・監修する男性向けデートコースメディア。『Forky』とは、“男性の魅力(デートのエスコート力)を上げて大好きな彼女を作れるようになる”をコンセプトにインフルエンサー及び恋愛に精通する方たちの提案するデートコースを紹介するサービスです。

■サービス特徴
(1)1軒目・2軒目・3軒目と点ではなく線でのデートコースを紹介
(2)総フォロワー100万人以上のインフルエンサーが執筆・監修
(3)各界の著名人による男性の魅力が上がるためのコンテンツの寄稿・対談など

Forky(フォーキー)
公式WEBサイト公式Facebook公式Twitter公式Instagram

(プレスリリースより引用)

特筆すべきポイントはライター陣がプロのライターではなく、インフルエンサーであるという点でしょう。ホリエモン・MB氏・はあちゅう・暇な女子大生・萩原清澄氏など界隈の錚々たるメンバーが顔を連ねています。これは2016年末話題になったwelq等のキュレーションメディアとは一線を画す特徴だと言えます。物書きを生業にするライターではなく、多くのフォロワーを有するインフルエンサーを記者に利用する。これの意味することは何でしょうか。いくつかのブログ記事を通して考察してみます。

 

「メディア>コンテンツ」時代の終わり

以下に引用するのはキングコング西野氏が読売テレビの収録に対してブチ切れて帰ったと言われるエピソードについての本人による記述です。

今回の読売テレビさんのロケのように、時々問題になっているのが、その瞬間に垣間見える「(タレントを)出してやっている」「(店を)取材してやっている」というテレビ側の俺様姿勢。一昔前は、放送局や新聞社の力を借りないとマス(大衆)に向けて、エンタメや情報を届けることができなかったのですが、今は、個人がマスメディア化し、お客さんとダイレクトに繋がれる時代になり、ニュースを自分で発信できるようになったので、テレビと個人がウィンウィンの関係でないと、テレビに出演する理由がなくなりました。テレビが「悪戯に煽って、感情を逆撫でし、不用意な発言を誘発させて、その部分だけを刈り取って電波に流す」という下品な技を決め込んでくるのなら、ハナからテレビを排除できる時代になったわけです。史上最もSNS親和性の高い大統領、ドナルド・トランプの言葉を借りるなら、「マスコミを迂回して声明を表すことができる。そうなれば自分が発言にこめた地味がキープでき、マスコミがこれを歪曲するのを我慢せずにすむ」です。スゲー簡単に言うと、「マスコミを経由する理由が昔ほど無くなった」というところ。今回、読売テレビさんは、時代がこのフェーズに移ったことを踏まえていなかったのでしょう。

【キンコン西野】収録中にブチギレて帰った後の整理より

西野氏はマスコミという言い方をしていますが、彼の言うマスコミとはすなわちマスメディアのことです。彼のなかでは明確にメディアとタレントは独立・対等の関係であることが明言されています。「そんなの当たり前じゃないの」と思われるかもしれませんが、マスメディア(特にテレビ)とタレント(事務所)は持ちつ持たれつの関係を続けてきました。ミュージックステーションには必ずジャニーズ枠があるし、レコード大賞の受賞者は政治的な理由で決まっていたりするわけです。それはタレント側からすると、テレビに出ること、CMに出演することが「おいしかった」からなわけで、そしてテレビ側からすると、人気タレントを擁する事務所に貸しを作っておくことがやはり「おいしかった」わけです。しかし西野氏は個人がマスメディア化した結果この関係は終焉してしまったと述べています。

実はこの話をまったく別の文脈で述べている記事があります。メディアコンサルタントの境治氏のコラムです。

 

誤解を恐れずに言えば、これまでの業界はメディアの価値を異常に高めて守ってやってきたんです。そこを変えないといけない。いやメディアの価値が高いのはいいことですけど、コンテンツの価値を高めることでメディアの価値を高める、そういう哲学になってなかった。メディアの価値を高めるために、コンテンツを安く使っていただけなんです。テレビ局や大手代理店の給料が高くて制作会社の給料が安いのは、その現れです。逆だっていいはずなのに、なぜか制作会社は「おれたちプロダクションですからね」と最初から決めつけちゃっている。大事なことを決めるのはテレビ局や代理店の人たちだと思い込んじゃってる。テレビ局や広告代理店の中でも、制作の人たちは一時期ちやほやされても、結局はあまり偉くならない。そりゃあそうですよ、だって業界構造が、コンテンツよりメディアを重視しているのだから。

去年、これまでのパラダイムが終わったとしたら、「メディア>コンテンツ」の構図も終わったのだと思うのです。「コンテンツ>メディア」になったはずです。業界中の会社が労働基準局にビクビクしながら残業を制限し、足りない人手をどんどん補っているのは、大きくいうとコンテンツが主の時代になったんだと思います。関係ないようで、密に関係していることだと思う。

「コンテンツ>メディア」という把握は少し違うかもしれません。「コンテンツ=メディア」なのかも。対等になったという意味ではなく、コンテンツそのものがメディアになった。だからコンテンツそのものの価値がぐんと高まる、ということですが。それは裏を返すと、メディアだけでは価値を持てなくなってきた、ということでもある。

時代は結局、変わるべき方向に向かっていく。十数年かけての方向転換の「転換点」が、今なのだと思います。

Adver Times 境治氏のコラムより

境氏は広告業界の方だそうですが言っていることはキングコング西野さんと同じです。メディアとコンテンツ(=タレント)の関係が反転したというのです。もっと言うとメディアは存在意義を失い、コンテンツそのものがメディアの地位にとって変わったといっても過言ではありません。だって、ローラさんのインスタグラムのフォロワーだけで450万人いるわけですから、これだけで十分マスメディアです。女性誌でいちばん部数を稼いでいる『VERY』でも30万部なんですから、トップタレントはすでにマスメディアよりパワーがあるといっていいのかもしれません。

企業より個人の時代

私はコンサルティングの仕事上、企業メディアの運営・改善にも関わることがあるのですが、たいていメディア運営の経験のない素人の担当者はYahoo JAPANのような壮大なポータルサイトを作ろうとします。化粧品メーカーなら化粧品や美容にかかわる情報を一手に集めることであらゆる層を集客しようという魂胆です。その発想は十分理解できるのですが、まあ、時代遅れです。何十億の予算がないかぎりうまくいかないでしょう。

クロネコ屋@アフィリエイターさんは、この点について独自の分析を述べられています。

DeNAのキュレーションメディアの問題によって、少なからず読み手であるユーザーも『誰が書いているのか』を意識するようになってきていると思います。クラウドワークスで集められた1円ライターが仕事で書いているのか、それとも個人が趣味、あるいは善意で書いているのか。同じような内容のコンテンツでも、前者と後者では読み手の印象も大きく異なりますよね。また、書き手としても匿名性・客観性を意識したコンテンツは、どうしてもキュレーションサイトや大手企業のメディアに押しつぶされてしまいます。企業の運営するメディアは、資金が豊富ですから記事数では勝てません。そうなると、必然的に差別化をするために『独自の視点』『自分なりの解釈・意見』を書いていく必要が出てきます。私はここらへんを意識してコンテンツを作っていたのですが、最近はそれすらもリライトされたり、差別化の要素として弱くなってきてるな…と感じています。もちろん専門知識をぶっ込んで、リライトを難しくする事は出来るのですが、例えば『年収1000万の手取りはいくら?』みたいな単純な計算で出せるコンテンツはすぐ真似されます。おまけに、オリジナル記事よりコンテンツを充実させて上位を取られます。こういった強者の戦略にどう立ち向かえば良いのか…と考えた時に、個人を前に出してブランド化して読み手との距離を縮める戦略が一番無難ではないかと思ったのです。

これからのSEOはブランド化された個人ブロガーが強いと思う理由』より

Webというフラットな世界で個人が戦っていくときに資金力がないのであれば「ブランド化された個人」としてサイトをつくるべきだというメッセージです。私はさらに、企業でもそうすべきであるという点をさらに付け加えたいと思います。一消費者として今時新しいポータルサイトなんていりません。Google先生とYAHOOとFacebookとtwitterがあれば情報は事足ります。それにプラスして欲しているのは好きなブランドor個人に関する情報くらいなもので、私自身もクソ情報を垂れ流しているまとめサイトなどは即ブロックします。

少なくともこのブログを読んでいる方は自身のtwitterアカウントやFacebookアカウントを持っている方が多いと思うのでその運用に関してもひとつの方針を持つのがこれからの時代、有益ではないかと思うのです。

クロネコ屋@アフィリエイターさんのこのフレーズは私の心に響きました。

『Twitterで収益化!とまでは行かずとも、自分自身の魅力を伝えるチャネルは今後のために持っておいたほうが良いですよ』

今後、社会や世界がどうなるかはわからないですが、確実に個人の価値や魅力・芸に対して対価が支払われる時代にシフトしていきます(それがForkyなんですが)。会社員3000人を抱えて作ったコンテンツが、Youtuber1人がつくったコンテンツに負けてしまう世の中なのです。だったら個人の芸と換金技術を高めるしかないでしょう。

私がもろもろのサロンを運営しているのもその変化に備えるコミュニティが少なすぎると感じているからです。というわけで「Forkyに見る新しい時代のメディア・コンテンツ論」でした。

おしまい by PuANDA( @shoichirosm )

なぜ地方ではドキッとする美少女がコンビニバイトしてるのか

ホイチョイ・プロダクションズの指南役さんのTweetを見て考えた。

 

 

というのも以前地方に出張した際、まったく同じことを思ったからだ。以下はこの問いに対する自分なりの考察である。

地方では中学校のヒエラルキーが継続する

バブル崩壊以降、失われた20年を経て地方には仕事がなくなった。

●地域別・産業ごとの労働生産性

 

グラフは産業ごとの労働生産性を表したものだが青い棒線が三大都市圏であり、農林水産と建設業以外は人口に少なくなるのに比例して規模がか細くなっていく。(出典:財務省2015)

首都圏・中京圏・近畿圏以外はとにかく仕事が無い。もちろん、飲食・介護・建設土木・観光業に関しては存在するわけだが、いわゆる都心エリートがやるような経営企画・開発・コンサル・広告・メディアのような仕事はほとんどなく、電機メーカーや自動車メーカーの現地採用に関しても安定職として競争倍率は高く、給料は低い。(しかもSHARPやPanasonicのようにもはや現地採用は安定職ではなくなっている)

地方で学歴エリートがついてペイする職業とは、市役所や県庁、地方銀行・地方紙、ローカル局などに限定されていくわけだ。ただこれは実数としてかなり少ない。地方都市のキャバクラなどに行ってみて話すと大体は地元の建設関係や不動産関係の社長が大口顧客であり、彼らは学歴エリートではなく、結論、地方では秀才エリートの居場所はあまりなく、存在感もほとんどないわけだ。

これとまさに相似形なのが地方の公立中学である。勉強のできる優等生の居場所、存在感はほとんどない。幅を聞かせているのは先生に目をつけれられながら「ワル」をやっているヤンキーたちである。マイルドヤンキーのアルファメイルなので「ワルファ」と呼ぼう。彼らの世界の支配律を的確に描いた名エントリを以下にご紹介する。

 

地方では、「高学歴の世界」の住人の密度が薄いので、地元国立大の附属小学校に行けるとかの特別な例外を除いては「低学歴の世界」に混じり込まなければいけません。そして、その「低学歴の世界」とうまく付き合えなかった多くの「高学歴の世界」の子弟は、いじめと言う名の社会的制裁を受け、あるいは高学歴の世界の住人としての努力を継続することができなくなってしまいます。結果、少なくとも学力とかを通じては「高学歴の世界」に復帰できなくなります。お父さんが一橋出てる高級サラリーマンなのに娘が皆謎の地元短大卒とか東大出てる高給サラリーマンなのに息子が高卒ニートとかよくあります。もちろん、その子どもたちの価値観は、「低学歴の世界」のそれです。

−常夏島日記「地方都市で、低学歴と高学歴の世界が交わるとき」から引用

 

地方都市では、大都市圏に存在する「高学歴だからドヤ顔できる」というルールは存在せず、ワルファを頂点としたヒエラルキーが中学以降そのまま継続するのだ。

ちなみに、大都市では社会人になった後、仕事や社会的地位によってヒエラルキーに変化が起こる。中学高校でモテていた男でも勉強をサボって大学受験・就職活動をうまく乗り越えられなかったりすると、25をすぎるとモテなくなってくる。

 

 


地方では人材の流動性が低くソーシャルネットワークが固定化されるため、一度ボスになると下克上が起こらない限り、その地位を脅かされることも少ない。中学の時、パシリにされてたやつは、ずっとパシリなのである。パシリにとっては最悪な環境である一方、ワルファにとっては非常に居心地のいい社会構造である。そしてこのヒエラルキーは「モテ」にそのまま影響を与え、地方社会の人口構造を形成しているのである。以下はあらゆる一夫一妻制の社会に適用できる男女の夫婦形成を予測する計量経済学モデルである。

 

10人の男と10人の女がいたとする。
まず、いちばんもてる男に、女が3人くらい寄っていく。
2番目にもてる男も、負けじと2人くらい持っていく。

したがって3番目の男は、6番目の女と一緒になる。
以下、4番目の男は7番目の女と、
5番は8番と、6番は9番とカップルになる。
しかし、残る7番目以降の男にもプライドだけはあるので、
最後に余った10番目の女など誰も相手にしようとしない。

さて、上位の女を独占したNo.1&2のモテ男も、最終的には
一人を選ばねばならないから、ここで3人の女があぶれる。
でも、すでにモテ男と付き合った経験のあるこの3人の女は、
いまさら下位の男と一緒になろうなどとは考えない。

こうして、互いに性質の異なる独身男と独身女が残る。

  男  女
1 ○  ○
2 ○  ×
3 ○  ×
4 ○  ○
5 ○  ×
6 ○  ○
7 ×  ○
8 ×  ○
9 ×  ○
10 ×  ×

以上、2chからの引用 

 

これに従うと、男というのはヒエラルキーの上から順に、魅力的な女性とつがいになっていく。そしてヒエラルキーの下位は残念ながら子孫すら残せない。また女性はヒエラルキー上位でも競争に負けてしまうと結ばれなくなってしまうのだ。

大都市では、30歳前後のモテヒエラルキーが適用された結果、「有名企業の仕事のできそうな男」が最も婚活市場ではモテている。一方、地方では、中学のモテヒエラルキーが持続している。この結果、ワルファたちがモテ上位の女性たちとペアとなり子孫をつくることとなる。都会のヒエラルキー上位層に比べワルファたちは所得も家柄も特段よくはないので子どもたちに対しては環境や教育に投資できない。むしろ傾向的に、よいパパや旦那ではなく外で遊び歩いたり、家にカネを入れずに離婚してしまうワルファも多い。その結果、ワルファと地方美人の遺伝子を引き継いだ息子・娘は地方経済の中でも時給の高くない場所で小遣い稼ぎをしているわけだ。大都市では外国人留学生が働いているようなコンビニ・ファストフード・居酒屋などに、日本人の美少女が働いていたりするわけである。

指南役さんの疑問に対する私の考察は以上である。

 

ただせっかく考察したので、これをベースにして大都市に男子が地方美女を一本釣りする戦略を描いてみよう。

 

【おまけ】ワルファから美女たちを奪え!

ここに地方恋愛戦略に関して非常に参考になるエントリがある。

 

 

都道府県別に18歳から39歳までの男女の人口比を見てみると鹿児島が女性100人に対して男性が91.14人となっており、さらに奈良、長崎の順で男性が少ない地域となる。もう少し全体を見渡してみると九州や関西、北海道において相対的に女性が多く、関東や東北、中部では男性が多い。どうやら女性の割合は北海道を除き西高東低の傾向があると言えそうだ。(略)個人的な経験で恐縮だが、僕が札幌に住んでいた時は、恋愛工学を実践するまでもなく確かに女性からの引き合いが相対的に強かった。これは僕の魅力どうこうよりもやはり男性が少ないという外部要因が働いていたように思う。

−つかさの自由帳『男なら西を目指せ(札幌でも可)~恋愛地理学のススメ~

 

ここにもあるようにそもそも人数比として地方都市は明らかに女性過剰となっている。これはワルファ以外の男性の多くが地元に残っても色んな意味で美味しくないので大都市圏に行ってしまうことから起こっている状況だ。

つかさ氏の抽出によるとそれが顕著な地方都市として鹿児島市・松山市・福岡市・神戸市・札幌市・熊本市・広島市というのが上げられている。彼ら彼女らを一本釣りするノウハウに関しては今後、「恋愛サロン」や「週刊恋愛サロン」の方でプロジェクト化し検証していきたいと考えている。

具体的には考察で考えられるような地方都市の美女にどのようにアプローチし、どのようなプロトコルを使用して恋愛関係や婚姻関係を築いていくかの方法論になっていくと思われるので、乞うご期待。

 

 

おしまい by PuANDA( @shoichirosm )

試行回数でレバレッジをかけよ

努力は2乗で効いてくる

 

 

これは『やり抜く力 GRIT −人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける』で紹介されている「達成の方程式」だ。努力は2乗で効いてくる。努力し続けることが、圧倒的に重要ということだ。日々、恋愛コンサルをしていて実感していることであるが、初期設定である才能以上に試行回数があとあと効いてくるのである。まさに試行回数によってレバレッジがかかってくるわけだ。

結局、金持ちになるには何かにレバレッジをかけるしかない。金森さんはお金のレバレッジで不動産、僕は今はITのレバレッジ。

『ニッポンの富裕層論』という金森重樹氏との対談で作家の藤沢数希氏が述べている一文だが、ITもお金もない私みたいな人間は努力(試行回数)によってレバレッジをかけるという方法があるのかもしれないと思ってしまう。じっさいtwitterをはじめて2年ちょっとくらいであるが日々つぶやき続けているとコツコツとフォロワーが増えていって今は8000人近い人にフォローしてもらっている。別にもともと有名人だったわけではない。ブログやメディア掲載というITレバレッジなしにここまでこれるのだから、この方程式はやっぱり有効だ。

 

twitter上の成果 =[つぶやきの才能 × つぶやき回数 × つぶやき回数]

 

しかもやればやるほど成功確率はあがる

試行回数レバレッジの何がいいかというと、無制限であるところなんですよね。失敗さえ受け入れることができればいくらでも回数は打つことが可能。ミドリムシで有名なユーグレナの社長もこう言っている。

 

「1回目の成功の可能性が1%しかなかったとしても、2回挑戦したら、成功率は1.99%になる」という法則があります。例えば、あなたが成功率1%のことに挑戦するとします。成功率1%ということは、逆に失敗する確率が99%であり、ほとんど成功しないということになります。しかし、1度失敗したことをもう1度チャレンジすると99%(1回目の失敗確率)×99%=98.01%となり、失敗する確率は1%減り、成功確率は2%に上がります。同じように3回目のチャレンジの場合、98.01%(2回目の失敗確率)×99%=97.0299%で成功率は3%に上昇。以後、挑戦すればするほど成功率は上がり、50回挑戦すると、成功率は39.4994%と3分の1以上、100回挑戦すると成功率は63.3968%で、なんと3分の2にまで上がり、459回目の挑戦での失敗確率はわずか 1%! 逆に成功率は 99% となるのです」

-ユーグレナ社長・出雲充

 

1%の確率のものに成功したければ、確率的には459回チャレンジしたら99%成功する。これはもうやるしかない。

 

というか、幸せになりたければ “JUST DO IT”.

カリフォルニア大学リバーサイド校のソニア・リュボミルスキ教授の著書『ハピネスの方法(The HOW of Happiness)』によると、幸せは、およそ半分は遺伝的に決まっているという。

我々は普通、結婚してよき伴侶を得たり、新しい家を購入したり、たくさんボーナスをもらったりすると、自分の幸せが向上すると思う。リュボミルスキ教授の定量的研究によれば、これらには、案外小さな効果しかない。逆に人間関係がこじれたり、仕事で失敗したりすると、我々は不幸になると考えている。ところが実際にはそうでもないというんだ。人間は我々が想像するよりはるかに短期間のうちに、よくも悪くも、これらの自分のまわりの環境要因の変化に慣れてしまうのだ。この環境要因に含まれるものは広い。人間関係、お金、健康がすべて含まれる。驚くべきことに、これら環境要因をすべて合わせても、幸せに対する影響は、全体の10%にすぎないのだ。

-『データの見えざる手

では遺伝と環境要因を覗いた残りの40%は何か。リュボミルスキ教授によると日々の行動の習慣や選択の仕方によるという。特に自分から積極的に行動を起こしたかどうかが大きく影響を与えるという。

 

行動を起こした結果、成功したかが重要なのではない。行動を起こすこと自体が人の幸せなのである。(略)行動すること自体が、ハピネスだとすると、幸福になるための発想がまったく変わる。極端にいえば、今日、今このときにもハピネスが得られるかもしれない。

-『データの見えざる手

 

となるとウジウジなやんでないで行動するのが絶対的に正解と言えるんじゃなかろうか。やるかやらないかを逡巡していたら半年くらい経っていたというのは実は大企業エリートの癖だ。プロジェクトで日系大手の人と仕事をすると「やるやらない」についてひたすらシミュレーションしまくって時間を浪費している。「やっちゃって失敗したほうが早いんじゃないですか」というのセリフが喉元まで出かかっているのだが、彼らは失敗を極端に嫌う人種なので言葉を飲み込む。「時期尚早」という便利な言葉でプロジェクトがペンディングになるのがたいていのオチだ。もったいないよね人生の時間は限られているのに。

だからたいして失うものがないのならばひたすら行動するのが正解ってことです!

 

 

おしまい by PuANDA( @shoichirosm )

 

文献リスト

・『データの見えざる手

やり抜く力 GRIT −人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

・『ハピネスの方法(The HOW of Happiness)

 

 

 

渋谷デートで使えるお店22選

 

参画している「恋愛サロン」では日々さまざまな恋愛にまつわる投稿がなされています。恋愛サロンがローンチしたのが2016年の3月ですからすでに一年以上運営がなされておりまして、常時100人以上のメンバーがさまざまな知見やテクノロジーをシェアしてきました。いかんせんサロンは掲示板形式のものであり、過去の投稿が埋もれて見にくくなってしまうことからコンテンツ部長である私が一旦もろもろの投稿を編集し、サロンメンバーと興味のある方々にご提供したいと思っております。

今回は渋谷デートで使えるお店リストというものを編集してお届けします。

マップ上にも編集しましたのでスマホに保存してもらえれば緊急時でも落ち着いてデートセッティングができるかと思います。

 

①コックマン

https://tabelog.com/tokyo/A1303/A130301/13115594/

お肉がおいしいビストロです。基本的に混んでいるので一軒目で使って、長居はせずに早めに2軒めに誘導する戦略がいいと思います。
(Pさん)

彼女とコックマン行ってきました。雰囲気もよかったですし、料理もお酒もコストパフォーマンスがいいのでとても気に入りました。新規のアポで使いたいと思います。(Sさん)

 

 

②東京ワイン倶楽部 楽

https://tabelog.com/tokyo/A1303/A130301/13109931/

渋谷の「ワイン倶楽部 楽」一度行きましたが結構良かったです。
・カウンターが若干近い
・安い
・暗い
・混んでて騒がしいので話すとき近づきやすい
・カウンターからみえる料理がおいしそう
(Oさん)

東京ワイン倶楽部 楽は料理が美味しくコスパも良くて、レガートはラブホ街入口の最終要塞として非常に優秀ですね。(Yさん)

③レガート

https://tabelog.com/tokyo/A1303/A130301/13005405/

道玄坂上のビルの最上階15階にあるまさしく2軒目使いとして恋愛工学的に最強のバーレストラン。あくまで、断っておくがこのお店は2軒目使用である。1軒目使用では食べログにもあるとおり夜の使用料金で¥6,000~¥7,999、値段もかさんでしまうのであくまでも2軒目使用でお願いしたい。そして、リクエストする席は窓側だ。バーカウンターもバーテンダーと話したり、全体を見渡せるのでありだが、テーブル席には行ってはいけない。Mさん
レガート、窓側は、フードメニューがそもそもテーブル席と違って、安いのしか載ってない神仕様です。ワイン、白赤ともに、価格設定異なる3種がありますが、店員少なかったりするので、「あの店員呼んでも反応してくれなそうやなー」とか言って、店員のところまでこっちから行ってこっそり安いの頼むと、コスト抑えられます
(Tさん)

 

渋谷デートで使えるお店22選

(申し訳ございませんが、以降は恋愛サロン会員限定記事です)

 

「みんなと一緒」は買い叩かれる時代になったらしい

「コモディティ化」という言葉をご存知だろうか。

「コモディティ」とは日用品・生活必需品のことで、商品の機能、品質、ブランド力などではなく、価格や買いやすさだけを理由に購買が行われる。機能や品質面で大差のない製品が多く流通し、買う側にとっては入れ替え可能な存在である。

この「コモディティ化」は物品だけではなく、人材の面でも進んでいる。

誰がやっても同じようなアウトプットの出る仕事に関しては、市場原理により徹底的に安く買い叩かれることになる。マニュアルによる接客・販売に始まり、事務・管理、最近では会計・調査分析などもコモディティ化の波が押し寄せている。これはオートメーション化の進行と無関係ではない。コンピュータで処理できるタスクを人間の労働から排除した結果、コンピュータが得意な領域の仕事に「人の技」がいらなくなったのだ。企業にしてみればコストは一円でも安くしたいから、クオリティに差がなければ人よりも安い機械を導入したりする。結果、人が働けるポストが縮小され、そのポストをめぐって競争が激化するから賃金はまた安くなる。

労働の話だけではなく、それは生き方やファッションの段階にも影響を及ぼしている。「量産型ファッション」「量産型女子」などという言い方が象徴的で、その昔、ファッションやトレンド、ヘアスタイルはすべて量産型であった。しかし誰もそれを価値のないことだと指摘しなかった。むしろ流行りに乗るという意味で肯定的にすら捉えられていた時代もあったのだ。

 

↑こういうのとかね。

重要なのは「『みんなと同じ』ことに価値がなくなった」という構造的転換にある。コピペがあまりに簡単にできるようになったためだ。以前は「オリジナルをつくること」と「コピーをつくること」の差があまりなく、むしろ粗雑なオリジナルより、精巧なコピーのほうがありがたがられた。しかし、いまは「コピーをつくること」があまりに簡単なので「オリジナルをつくる」ことに圧倒的に重きが置かれる社会になっている。

 

すなわち今『ゼロからイチ』を生み出す能力に価値が集まっているのだ。

 

******

シリコンバレーにおいてペイパルマフィアのドンとされるピーター・ティール氏の書籍に『ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか』というものがある。

 

新しい何かを作るより、在るものをコピーする方が簡単だ。おなじみのやり方を繰り返せば、見慣れたものが増える、つまり1がnになる。だけど、僕たちが新しい何かを生み出すたびに、ゼロは1になる。人間は天から与えられた分厚いカタログの中から、何を作るかを選ぶわけではない。むしろ、僕たちは新たなテクノロジーを生み出すことで、世界の姿を描き直す。それは幼稚園で学ぶような当たり前のことなのに、過去の成果をコピーするばかりの世の中で、すっかり忘れられている。

 

「賛成する人のほとんどいない、大切な真実とは?」この逆説的な質問にそのままズバリと答えるのは難しい。(略)誰もが信じる幻想を見つけたら、その後ろに隠れているものがわかる。それが逆説的な真実だ。

 

資本主義と競争は対極にある。資本主義は資本の蓄積を前提に成り立つのに、完全競争下ではすべての収益が消滅する。だから起業家ならこう肝に命じるべきだ。永続的な価値を創造してそれを取り込むためには、差別化のないコモディティ・ビジネスを行ってはならない。

 

少なくともビジネスの世界は、シェイクスピアの説により近い。社員は出世のためにライバルとの競争に執着するようになる。企業もまた、市場の競合他社に執着する。そんな人間ドラマの常として、人は本質を見失い、ライバルばかりを気にするようになる。

-『ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか

 

金言だらけだ。ここから私が汲み取ったのは、誰かの敷いたレールの上を必死に競争した先に新しい何かがあるわけではないということ。勇気をもって人と違うことをして、0から1を立ち上げる。そこに独占市場がある。それでも人は競争をやめられないのはなぜだろうか。

「アドラー心理学」では、「承認欲求」という概念を補助線にしてその疑問を解決してくれる。

いくら自分が正しいと思えた場合であっても、それを理由に相手を非難しないようにしましょう。ここは多くの人が陥る、対人関係の罠です。(略)人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。(略)そもそも主張の正しさは、勝ち負けとは関係ありません。あなたが正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結するべき話です。ところが、多くの人は権力争いに突入し、他者を屈服させようとする。

 

他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。(略)承認されることを願うあまり、他者が抱いた「こんな人であって欲しい」という期待をなぞって生きていくことになる。つまりほんとうの自分を捨てて、他者の人生を生きることになる。

 

不自由な生き方を選んだ大人は、いまこの瞬間を自由に生きている若者を見て「享楽的だ」と批判します。もちろんこれは、自らの不自由なる生を納得させるために出てきた、人生の嘘です。自分自身がほんとうの自由を選んだ大人なら、そんな言葉は出てきませんし、むしろ自由であろうとすることを応援するでしょう。

(すべて『嫌われる勇気』哲人の言葉より引用)

 

「誰かに褒められたたい」、「誰かに勝ちたい」という承認欲求は際限のない欲望を生み、究極的に人を幸せにはしない。それよりも、「誰か(共同体)の役に立ちたい」という感覚に従って貢献していくことが幸せを手に入れる方法だと「アドラー心理学」は説く。日本の学歴社会に始まる競争社会で、不幸になっている人をたくさん見ているなかで、この主張はとても腑に落ちる。

 

 

「同調圧力」が強い日本社会の中で「みんなと一緒」はとても強い価値観だった。「みんなと違うだけでいじめられた」というのは芸能界のハーフタレントの多くが持っている子供時代の体験である。

しかし時代は確実に「人と違う」ことを評価する方向にシフトしている。人と違うことをコンプレックスだと思わずに堂々と主張する。誰も手を出していないことを見つけて勇気を出して形にしてみる。

ちょっとでもいいからそのような取り組みをはじめてみることをおすすめしたい。特にブログやツイッターなどのリアルのコミュニティとの相関性が低い場所ではそのような勇気に対して強い応援と指示をもらえる可能性が高い。

ちなみに、まったく違う観点から個人の時代へのシフトを解説しているのが、大前研一氏の『個人が企業を強くする』という書籍である。今回のエントリに共感して頂いた方はぜひ下記のnote(無料)も読んでみてください。

●今どきのサラリーマンにすすめる大前研一氏の本
https://note.mu/puanda/n/ndf7abfc69ecb

 

おしまい by PuANDA( @shoichirosm )

 

文献リスト

・『ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか

・『嫌われる勇気

 

 

 

2031

セミがこれでもかというくらいに鳴き叫んでいる。

熱帯のような昼下がり、縁側の庇の下でタオルケットを敷いて横になる。

自分を大切に育ててくれた両親は10年前に死んで、いっしょにバカ騒ぎしていた親友のうちの数人も病気で死んだ。金がかかるといって病院へいかなかったので、あっと言う間だった。電気料金は馬鹿みたいに高くて、5年前に買い替えたベトナム製のエアコンはほとんどつけない。

美しかったはずの妻の顔は皺だらけになり、最近では大声で話さなければ振り向かない。今で通販番組ばかりをみている。民放はあるときから通販番組しかやらなくなった。映画とドラマの再放送と通販番組の無限ループ。NHKだけが、新鮮なコンテンツをかろうじて出し続けてくれる。買い物にはいかず、すべてオンラインですませてしまう。

暑い。汗がにじむ。セミの声が脳みそを浸食されていくような気分だ。のどが渇いている。水を飲んでもどうせまたのどが渇くんだ。いっそこのままひからびてしまってもいいかもしれない、と思う。だれもきっと悲しまない。不快で、退屈な毎日の繰り返し。ただぼうっとしているだけの。

大切にしていたはずのものは、ほとんどすべてなくなってしまった。細かい砂のように指の隙間からさらさらと零れ落ちてしまった。一瞬だった。気づいたときには、身動きがとれなかった。もしかしたら、大切にしていると思いこんでいただけで、実際は、していなかったのかもしれない。仕事をやめ、子どもたちがいなくなり、友達と会うのもおっくうになり、妻とどこかへでかけることも少なくなった。生活に楽しみはない。使い物にならなくなった性器をぶら下げて、私はトイレに向かう。廊下に寿司の皿が重ねて置いてある。2週間ほど前に息子がマレーシアからこちらに帰ってきたときに、とった出前の寿司だ。あの日はすこし楽しかった。もっといて欲しかったが、他にも用があるといって5時間ほどで帰ってしまった。一瞬のにぎやかな時間の後に残されたのは、それ以上の煩わしい退屈だった。

別に自分の人生に後悔をしているわけではない。そのとき、そのときに応じてそれなりの努力をし、ベストな選択肢を選んできたつもりだ。ただ、行き着いた先が、広大な退屈の砂漠だったというそれだけの話だ。もしかしたら、先急いで歩かなくてもよかったのかもしれない。道草をゆっくり楽しんでいればよかったのかもしれない。広大な砂漠にたどり着くのがわかっていれば、道中をもっと面白がれたかもしれないのに。昔の自分に教えてやれるとしたら、そのことぐらいだろうか。きっと若い自分は聞かないだろう。ジャングルを抜けることに必死だったのだから。

気づくと夕方だった。セミの声は、聞き慣れない鳥の鳴き声に変わっていた。鬱蒼と茂った森が目の前を覆った。ここはどこだっけ?どこかのジャングルだということだけはわかった。ふと背後に目をやると、黒い肌をした子どもたちが樹木に囲われた池で水浴びをしていた。

*****

2011年くらいに20年後くらいの未来予測を小説風に書き記してみた文章。たぶん1960年生まれくらいの人が主人公なんだと思います。2017年だと57歳で定年近いおじさんですね。日本が経済大国でなくなってどんどん格差が広がるのと、医療費・福祉の削減、あとは共同体の断絶みたいなことを浮かべながら書いています。

ものごとを小説風に書くというのは思わぬインスピレーションを得ることができます。スマイルズ代表の遠山正道さんが三菱商事時代にスープストックを構想した企画書も小説風のアプローチで書かれていたりします。アイデアがなかなか出ないときや発想を飛躍させたいときにやってみるのもいいと思います。

おしまい