書評

『革命のファンファーレ』は、「作り手」のための広告&マネタイズ論だ

キングコング西野亮廣氏の『革命のファンファーレ』を読了。

えらく面白くて数時間で読めた。

副題は「現代のお金と広告」であるが、もう少し補足して言うと、「現代の『作り手』のための広告とマネタイズ論」かなと思う。
すなわち、表現やものづくりに関わる人や志す人はぜひ読むべき本である。

マネタイズの方法から、告知、プロモーションの考え方が実例および数字を交えて書かれてある。
こんなナマの情報が本人の企図とともに読める本はなかなかない。

この本に書かれていることで個人的に強く印象に残ったのは以下の3点だ。

①好感度と信用は違う
②本当の意味での広告
③ロボット化・AI時代で勝つビジネスとは?

それ以外にも、クラウドファンディングを使ったマネタイズの方法やエンタメビジネスのリアルな裏側などが書かれており、一読の価値はある。

ただ西野氏のオリジナリティという側面で上記の3点が突出していると感じた。

 

①好感度と信用は違う

「芸能界の収益の出どころは広告費である」と看破するところからその論ははじまる。

ベッキーとゲスの極み乙女。が例として分かりやすい。
不倫をしても活動を続けることができたゲスの極み乙女。に対して、ベッキーの活動が、たった一度の不倫で全て止まった理由は、彼女が「認知タレント」でファンを抱えていなかったからに他ならない。スポンサーが離れ、広告以外の場所でお金を稼ぐしかなくなったわけだが、ファン(ダイレクト課金者)がいないからお金を生み出すことができない。テレビタレントとしてリクエストに徹底的に応え続けた結果だ。現代のテレビ広告ビジネスの、最大の落とし穴だと思う。

『革命のファンファーレ』本文より

日本のテレビ局の収益の大半はスポンサーからの広告費である(+不動産w)。
広告とは、大衆に対してその商品のポジティブなイメージを印象づけることが目的である。
だからタレントは嫌われていないこと(=好感度)が何よりも重要。
逆に、嘘をつかないこと(=信用度)は広告とは相性が悪い。

いや、これはなかなかですよ。普通のタレントなら、自分の食い扶持はテレビ番組やイベントなどの出演のギャラだと考えるはずです。ベッキーだってそう信じていたはず。このあたりから西野さんは視点が違うんですね。彼は間違いなくメタゲームを戦っている。

八方美人で誰からも好かれるようにすれば、フォロワーが増えてマネタイズができると思っている人もいるが、それは短絡的だ。

どちらかと言えばフォロワー数は好感度・認知度に近い指標で、お金を払ってくれるようなファンを生み出すには何かしらの強い主張や高い能力・信頼性が必要になってくる。

著者が「嫌われ者」(=低好感度)であったからこそ、ここまでドライに理論化できたのではないだろうか。

 

②本当の意味での広告とは

この本でもっとも価値がある具体論はこの部分だ。
多くの人は信用とマネタイズの部分に感銘を受けると思うが、新しい時代の広告プロモーション事例をここまで具体的に解説した書籍は他にないという意味で、非常に価値があると思う。

目次からいくつか抜粋してみると…

・ネタバレを恐れるな。人は「確認作業」でしか動かない。
・「セカンドクリエイター」を味方につけろ。
・信用時代の宣伝は、口コミが最強。口コミをデザインしろ。
・自分の作品と、社会を一体化させろ。
・お客さんは、お金を持っていないわけではなく、お金を出す「キッカケ」がないだけだ。

西野氏の主張に共通しているのは、「たくさんの人を味方(共犯者)にしてムーブメントを起こしていくやり方が、この時代にもっとも有効な広告である」ということ。

マーケティングでも「エヴァンジェリスト」という用語がある。和訳すると「伝導者」。商品やサービスを広めてくれる熱心なファンといったところで、「信者」とも言える。アップルやBMWなんかは信者が多いブランドだ。

この本では、「信用」という尺度でこのエヴァンジェリストをどうやって作っていくかということが書かれている。

広告を作るときは、自分の手から離れても尚、こういった「広告の連鎖」が自然発生する基盤を作ることが大切だ。
今の時代、面白い看板があれば写真にとってインスタグラムにアップし、政治に意見したければツイッターで呟き、感動したことがあればフェイスブックに書き、日記はブログに書く。それを生業にしているか否かの違いはあれど、国民総クリエイター(情報発信者)だ。クリエイターに軸足は置かないまでも、時々趣味で作り手側に回ろうとするセカンドクリエイター(ラジオで言うハガキ職人)の層が増えに増えた。…これからの時代は、このセカンドクリエイターのクリエイター心をいかに揺さぶるか。いかに「つくってみたいな」と思わせるか。そこがヒットの鍵になってくる。

『革命のファンファーレ』本文より

「広告代理店にお金を払ってCMや公共スペースの枠を買い、商品のよさをただ述べるだけ」の旧来の広告は、西野氏の定義する「現代」にはまったく適合しなくなっているということかもしれない。

 

③ロボット化・AI時代で勝つビジネスとは?

こちらの視点は、この本のメインテーマではないが、彼の視点が面白かったので紹介したい。

間違いなく僕らは、60歳から、新たな仕事を探さなければならない。…その時にだ。若い人間にはない「老人のアドバンテージ」をキチンと提示できていあにと、人生の後半戦において仕事にありつけない。若い人間にはない、ロボットにもない、老人しか持ち合わせていない能力(老人力)を見つけ、それを仕事化していかなくてはならない。

『革命のファンファーレ』本文より

ここで西野氏は沖縄にある80歳近いお爺さん店主がやっている居酒屋の例をあげる。彼は店主のくせに客より先に酔いつぶれて寝てしまうが、「愛される欠陥」(=許され力)があるので他の客が店員を代替してくれてうまくいくのだと。

歳をとるというのはこの「愛される欠陥」(=許される能力)を高めていくこと他ならない。AIやロボットはもちろんこのような欠陥能力を代替することができない、と。

AI・ロボット時代における人間の定義は「ミスをすること」だという説があるが、まさにそこを使って存在価値を高めようという提案に思える。

例が極端すぎてピンとこない節もあるが、実際、業務遂行能力ではなくて、その人の存在だけで周りがうまく回る事例というのは古今東西たくさんあった。「長老」みたいなものだ。

指針としてみると、歳を重ねるほどにストイックではなくしなやかに生きていく必要がありそうだ。

 

まとめ

 

 

冒頭でも述べたが『革命のファンファーレ』は、何かしら「つくりたい」「表現したい」「発信したい」と考えている人にとっては読むべき本である。旧来の定石のもはや通じなくなっている部分を過激な表現でつっつき、新しい常識に置き換えてくれるだろう。

 

もちろん西野氏はゴールデンの番組で活躍していた芸人だ。すべてを真似することはできない。ただひとつでもアイデアを取り入れて自分なりにチャレンジしてみることで思わぬ反応が手に入ることはかなり高い確率で予想できる。

『試行回数でレバレッジをかけよ』でも述べた通り、現代はやったもん勝ちの社会になりつつある。頭のいい人たちがウンウンうなりながら机上のプランより、泥臭く実践を繰り返して得られた経験知のほうに価値がある。

もし自身のうちに秘めたアイデアや創造物があるのであれば、すぐにでも形にして発信してみたほうがいい。きっと誰かが反応してくれるはずだし、そこから新しい物語がはじまる。

 

 

おしまい

 

 

 

PuANDA流「読書嫌いのための読書術」

私は読書が嫌いです。嫌いというかめんどくさいのです。

お金がない大学時代、やることもなかったのでブックオフで買ってきたドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を数日かけて読破しましたが、いま思えば苦行でしかありませんでした。読破して役に立ったことといえば「好きな小説は?」と訊かれたときに「『カラマーゾフの兄弟』。あれは宗教が絡んだ壮大な昼ドラだよね」と答えて、文学通をアピールできるくらいです。

しかし、なぜか社会では読書をすることが素晴らしいことだと思われており、読書嫌いの人間としては、肩身の狭い思いをしています。小学校や中学校のときも読書感想文というものがあり、私はそれが本当に苦痛でした。読んだ尻から忘れてしまうので、内容を覚えていないのです。読書感想文に「読んだけど忘れた」とは書けないので毎年毎年非常に苦労していました。一方でそのときの経験がいまの読書術を形づくっているのかもしれません。

夏目漱石の『吾輩は猫である』という面白くもない小説の読書感想文を書かねばならなくなったある夏休みのこと。私は毎日10ページずつ読んでいこうと計画していたのですが、ある時絶望的につまらなかったので諦めました。そしてちゃんと読まずに読書感想文を書いてしまおうとしたのです。

そのときの方法は、「吾輩は猫である」に出てくる食事について論じようというものでした。小説中の適当な食事の描写を拾ってきて、あれこれ考えを述べて字数を埋めようという作戦です。

神田の某亭で晩餐を食べるシーンから明治時代の食生活について調べたり、ジャムについての由来や時代背景を調べて論じたりしたと思います。結果、明治の風俗を調べるために図書館に通ったりして、それなりの論文みたいなのが完成しました。そしてその年の読書感想文の優秀作に選ばれたのです。

そのときの私の感想は、「全部読まなくても興味あるところだけ読んでればいいんだ」でした。結局、その読み方が現在の私の読書法のスタンダードになっています。

興味のあるところしか読まない「興味ファースト」

私は読書が嫌いなので全部は読みません。読んでいると面白くなってきて結果的に全部読む本はあるのですが、基本、いろんな本が虫食い状態で放置されています。だからまず目次を見て面白そうな小見出しを探します。

堀江貴文さんの『多動力』を買ったときも、まず目次を見て最初に8章の「資産が人をダメにする」から読み始めました。自分自身の問題意識にいちばん近いテーマだったからです。結果自分の思考が活性化されて筆がすすみ、発売日当日にブログ記事をアップしました。

人って自分の興味のある分野についてはスポンジのように知識を吸収して血肉化できるのですが、興味ない分野に関してはすぐに忘れたり、そもそも情報が入ってこなかったりします。だから私は「興味ファースト」で読書をしています。

なぜか本は最初から順番に読まないといけないと思っている人が多いですが、興味ファーストでの虫食い読みをして私はこれまでデメリットを感じたことがないです。しかも、人と話すとき「ホリエモンの『多動力』で『資産が人をダメにする』って書いてあって、まさに今の日本企業ってそんな感じですよね」とか言っちゃえば、全部読んだ人みたいな扱いを受けます。あ、ちなみに『多動力』は面白いので全部読みましたよ。

読んだらページレベルでメモ。すぐにアウトプット

TwitterでよくWeb記事の感想を買いてTweetしたり、Kindleのスクショを貼り付けてTweetしたりしていますが、あれはすべて自分用のメモです。メモは大学ノートやEvernoteを使ったり、いろいろしてきたのですが、Tweetするのがいちばん記憶に残ります。まず自分の言葉で解釈するので記憶に残りやすい。さらにそのTweetが「リツイート」や「いいね」をされ通知機能により記憶の定着が強まります。またそれについて人と議論やブレストが始まったりして、それが瞬時に価値に変わっていたりします。メモを自分だけに留めておくよりも何倍もメリットがありますよ。

あと、記憶の残存率から考えても読んだ直後にアウトプットしたほうがよりたくさんの情報が脳につまっていることになるんで、より詳細なアウトプットにつながります。だって1時間で半分以上忘れちゃうんですよ。(エビングハウスの忘却曲線)

 

読書嫌いでも本は読んだほうがいい

本をまったく読まない人もいると思うのですが、本は読んだほうがいいと思っています。本には自分ではない人の視点が入っています。普段自分が考えたり感じたりしていることが、他人の価値観で語られたりします。

そういう他人の視点に出会った瞬間に、これまで解けなかった課題が解けたり、新しいアイデアが閃いたりするのです。他人の視点や価値観を、簡単にインストールして自分のそれと化学反応させる最も手軽な手法として、読書は非常にコスパがいい行為だといえます。個人の脳内会議のようなものかもしれません。

 

というわけで、すぐにでも実践できる「読書嫌いのための読書術」でした。よい子のみんなは読書感想文がんばってください。

 

 

おしまい

 

『評価経済社会』での生き方を島田紳助に学ぶ

評価経済社会は始まっている

Youtuberにはじまり、VALUやTIMEBANKなど、個人の価値やネットワークをマネタイズするプラットフォームがここ数年で急速に出始めてきています。俯瞰すると、一般人すらタレントのように好感度・信頼性・人気が評価され、金銭価値化されていく世の中になっていくのかもしれません。

まさに岡田斗司夫氏の言う『評価経済社会』化が急速に進行していると言えます。

私個人はその流れに対して、賛成でも反対でもありません。この流れが加速すると、面白くなる人もいれば、面白くなくなる人もいるでしょう。これまで日の目を見ることのなかった個人がスポットライトを浴びるチャンスを獲得する一方で、慣れ親しんだコミュニティで平穏に暮らしたかった人が生きづらくなるのかもしれません。
ただ確実に言えるのは、この流れが不可逆であるということです。

インターネットが登場し、iPhoneが発売され、Facebook、Instagramがコミュニケーションのツールとなっていくなかで、テレビや雑誌に載る特別な芸能人と、一般人の垣根が取り払われ、すべてがフラットなプラットフォームの上で評価されていく。

このような「評価経済社会」においた、戦略を早くから解いているのが実は島田紳助です。

『紳竜の研究』というDVDがあります。友達の家に置いてあるのを見て、即買いしたのを覚えています。

このDVDの見どころは、NSCでの島田紳助による講義です。
テーマはいくつか存在し、

・「才能と努力」
・「漫才の教科書」
・「相方と戦略」
・「XとYの分析」
・「運と計算」
・「心で記憶する」
・「テレビの秘密」

などに分かれます。

すべて面白いのですが、改めて見直してみて、特に普遍性を感じたのは「才能と努力」「XとYの分析」「相方と戦略」でしょうか。

●「才能と努力」

島田紳助の主張は以下(太字)のようなものです。

***
世の中はすべて才能である。
努力も才能も、数値化して0から5まであるとする。
才能5の人間が5の努力をすると5×5=25で最高点の結果が出る。
M-1に落ちてる受講生にも5の努力をしてないやつがいるかもしれない。やったつもりでも、間違って努力している可能性がある。才能が3〜4あっても、1の努力しかしてなければ、かけたって3、4にしかならない。
だから自分が伝えられるとしたら努力の方法だけ。
***

別の箇所で芸人の才能がゼロの後輩に鉄板焼屋を薦めたら大成功した事例が話されます。これも結局、後輩の彼が才能が「0」で努力する能力が「5」あったことを見抜いた島田紳助が別の道を薦めたことがきっかけになっていると説明されます。
これはGrid−やり抜く力−の「努力×努力×才能」の方程式とも類似しています。


そしてここからがさらに深い内容なのですが、紳助氏は努力の方法について説明していきます。

***
ミスター・タイガースの掛布雅之が虎風荘で毎日素振り500回していた。
彼と話すと「紳助さん違うんですよ。プロになったら誰でも500回くらい素振りしてますよ。それを努力と言えますかね?」という。
意味なく素振りしても腕太くなるだけだ。
たとえばボクサーは一日3時間以上練習したらオーバーワークになる。
「何も考えずに数をこなす」ということを努力と言ってはいけない。
漫才師も同じ。
何時間も練習しても面白くなるわけじゃなくて、それはただネタに慣れただけの状態。ネタは必要以上に練習しちゃ駄目。そんなことよりもやるべきことがある。
***

「量をこなす」「量が質に転化する」というのは間違ってはいませんが、そこには「正しく考えながらやっている度合い」が変数として存在していると個人的にも思います。
上達度をY、こなす量をX、考えてやっている度合いをαとすると、
Y=αXとなるはず。一日24時間という限られた時間があるなから、プロが結果を出す場合、否応無しにもαに注目してその質を上げざるを得ないということ。
ちなみにαの質の上げ方のヒントは「自らの行動を書き出す」ことにあると考えています。
上達したい対象に関する努力の内容と気づきを日々日記に書き出して振り返ることで、上達の速度は一気に高まるということです。

 

 

●XとYの分析

これが評価経済社会で重要になってくる方法論だと思います。

***
(X)は自分の得意領域
(Y)は時代のニーズ
XとYが明確に定まってはじめて自分が何をやるべきかがきまる。

(X)の見つけ方は、売れている漫才師を見て「面白さが理解できる」「自分でもできそう」なものをいくつか探して、そこから構造を抽出してオリジナルを作り上げていく。
(Y)の見つけ方は、何十年も移り変わっていく漫才を全部見る、聞く。流行の移り変わりを研究する。

俺も今まで沢山いろんな仲間が居たりしたけど、このXもわからんと、Yもわからんと悩んでる人ばっかりやわ。ほんまに。先輩も後輩も。
***

新しい笑いをやりたいと相談されても「俺はお前やないからわからへん」と答えるというのも、この『XY理論』があるから。そして、たまたまうまくいった芸人がその後伸びない、一発屋が一発屋で終わる理屈もこの理論に基いて説明できます。
継続的に「売れる」をつくるための非常に有用な方法論だと言えます。

***
XとYがたまたま会うだけで売れた人間は一発屋。
Yがずれるともう売れない。なぜ売れたかを理解していない。
インパクトが強すぎて修正が聞かない。
売れ続けている人は、時代を見ながら修正している。
無駄な練習はする必要ない。
***

明石家さんまさんを例に出して「彼はYをしっかり研究しているから、時代に置いていかれない」という旨の発言をしています。たしかにさんまさんはポッとでの一発芸などもうまく取り込んだ上で自分の芸を展開するメタゲームを戦っているように見えますね。

芸能界だけではなく、ビジネス業界、出版業界、twitter界隈、サービスやアプリ、企業体に至るまでこの原則は当てはまるのではないでしょうか。一瞬跳ねるのは運でもできる。むしろ継続的に売れ続けることがプロである。そのように感じます。

 

●相方と戦略

売れるためのコンビの組み方についての解説ですが、起業やビジネスに応用可能に思えます。

***
仲いいやつと組んでもしょうがない。
「どうやったら売れるか」を1人で考えて、それに会う相方をつくる。
やろうとしていることをひたすら実現するために根性のあるやつが必要だった。
漫才の教科書を3人めの相方竜介に授業した。
稽古をせずに漫才理論をずっと教えていた。衣装の話など…
***

漫才コンビ・紳助竜介におけるCEOは島田紳助だったわけです。
私も一時期お笑いにハマっていろんなコンビを研究したりしたのですが、決まってブレーンはどちらかひとりでしたね。「ブレーンの暗い性格の人間」と「底抜けに明るい/ただおもろい人間」の組み合わせがお笑いコンビには多い気がします。市場で勝とうと思った時、「冷静な戦略家」と、「情熱的でタフなソルジャー」の両方の要素が必要になるということなのかもしれません。

***
20歳〜35歳の男がターゲットだと決めていたから、ジジイとババア相手の漫才は本気を出さなかった。
我々は一部に強力な支持を得られることが重要。
劇場に来ている前列の若い女を笑わしにかかったら負け。いちばん後ろで腕組んで見ている同年代の男が笑わなくなる。そして、舞台の向こう(=テレビの前)に本当の客はいる。
自分たちはそいつらを笑わせないといけない。
***

別のテレビ番組で「子どもに受けるやつは一発屋、同年代に受けるとターゲットともに成長するので売れ続ける」と語っていましたが、その方法論を論理的に説明しています。今回見直してみていちばん勉強になったのはこの部分でした。
女性や子どもに人気が出ると爆発的なブームになるものの、恐ろしい速度で陳腐化する現象を、私は生まれてこの方見続けてきました。
彼ら彼女たちの多くは本質を見抜いてコンテンツを選んでいるのではなく、自分たちのコミュニケーションのネタとして消費しているだけなわけです。だからコミュニティで飽きられた瞬間、手のひらを返したようにポイ捨てするわけですね。
そしてそれを避けるためには本質を見抜いてくれる層(お笑いならば同年代の男性)に絞るべきなのです。
この考えでいくと子どもに人気のYouTuberなんかは結構リスキーな選択なんじゃないだろうかと思えてきます。

 

DVD『紳竜の研究』は現代のコンテンツビジネスの成功法則が詰まっており、かつ、とても刺激的でわかりやすいです。下手な自己啓発本の10倍以上役に立ちます。ひとりで悶々と悩んでいたり、進路に迷ったりしている人はとりあえず見てほしいと思います。

 

●参考文献

『自己プロデュース力』−島田紳助

『評価経済社会』−岡田斗司夫

『幸福の資本論』は何を追わなくていいかを教えてくれる

 

幸せになるのには別に誰の許可もいらない

夏の朝にキャッチボールを/ザ・ハイロウズ

 

 

話題になっている橘玲氏の新刊『幸福の資本論』を読んでいたら、そんな歌詞が頭に浮かびました。プロローグに登場する印象的な一節「いまの時代の日本に生まれたことが最大の幸福である」を常に頭のなかに置きながら読むことでこの書から受け取れることが一段階深まると思います。私はこの本は、現代日本人のための生き方の戦略書だと思いました。

 

本の中身ですが、橘玲氏は、書の冒頭で幸福の条件が、この3つに対応していると説きます。

①金融資産
②人的資本
③社会資本

金融資産は自由を生み出し、人的資本はやりがいを生み出し、社会資本は絆を生み出す。様々な事例の検証を通じて、①金融資産②人的資本③社会資本の最適ポートフォリオを論理的に設定していきます。そして、それぞれについての以下のような結論が下されています。

 

①金融資産:世界に分散投資せよ。

幸福度の調査から、世帯年収1500万円・金融資産1億円をこえると幸福感は変わらなくなる。ゆえにそのラインを目指し、あとの資産は分散投資しながら、お金に執着しすぎずに生きること。

 

②人的資本:好きなことに集中投資せよ

人生100年時代の人生戦略はいかに人的資本を長く維持するかにかかっているため、「好きを仕事にする」ことで生涯現役で働き続けること。

 

③社会資本:小さな愛情空間と大きな貨幣空間に分散投資せよ

大切なひととのごく小さな愛情空間を核として、貨幣空間の弱いつながりで社会資本を構成すること。つまり「強いつながり」を恋人や家族にミニマル化して、友情を含めそれ以外の関係はすべて貨幣空間に置き換えること。

 

①②については、データや研究を見たことがあったし、『LIFE SHIFT』などでも同様の議論がされていました。このなかで私が画期的だと思ったのは「③社会資本」についてです。「友達は多ければ多いほどいい」、「家族・親戚・会社の同僚もなるべくたくさんいたほうがいい」。なんとなくそう思われている常識対して、「人間関係はストレスだし、雁字がらめになるので最低限にしてあとはお金で置き換えましょう」という提案をしています。

 

***

日本人は幸福になろうと「つながり」を求めますが、その結果、関係のなかに埋め込まれ身動きがとれなくなってしまいます。相次ぐ過労死や過労自殺を見てもわかるように、これはきわめて危険な環境でもあります。会社は嫌いだけれど、会社なしでは生きていけないというのが、日本人の悲しい性なのです。

幸福感を毀損するいちばんの要因は、こうしたひと(=サイコパス)たちと関係をもたざるを得なくなることです。それが顧客であればまだ対処のしようもあるでしょうが、上司であれば悲劇ですし、同僚や部下であっても攻撃的コミュニケーションしかできない人物は職場という(逃げ場のない)閉鎖空間では強いストレスになります。

(『幸福の資本論』本文より引用)

***

 

だからこそ「困ったひと」と付き合わない選択の自由を持つために、人間関係はお金を介することでフリーエージェントとして生きる戦略が有効だ、そういうロジックです。

この書(というか橘玲氏の考え方)のなかで、実はもっとも大事だなと思ったのは、「大切なものを選びぬく意志」です。

・金融資産については最低限の資産は「残」(分散投資)しておいて、あとは自由のために使う。
・人的資本についてはあれこれ手を出すよりも「好きに絞って」つきつめる。
・社会資本については「愛情空間だけ」を大切に守り抜くこと。

この本を上辺で読んでしまうと「お金はなるべくたくさん稼ごう」、「仕事はやりがいあるものを」、「人付き合いはなるべくしないでおこう」ということを結論にしてしまいがちです。冒頭で述べたように私はこの本は幸福になるための「戦略」書であると思いました。戦略とは「戦いを略くこと」です。

だからむしろ、

・「無駄に稼ぎを追わないこと」
・「やりたくないことはやらないこと」
・「愛する人は選ぶこと(=たくさん愛しすぎないこと)」

という「やらなくていいことについての基準の提案」だという受け取り方もできるはずです。

そう解釈した時、いままで肩の荷に感じていたものの多くがふっと消え去り、足取りが軽くなったような気持ちになる気がしませんか。幸せになるためには、実はそんなにたくさんのことは必要ないんだと。自由になら一秒でなれるんだと。私はそんなことを思いました。

 

そしてこの考えをベースにした具体的な働き方・生き方の例として、

・堀江貴文 著『多動力

・高城剛 著『多動日記

がある気がしています。ぜひあわせて読んでみてください。

 

 

おしまい

チカンする奴が生き残る時代

エコノミスト誌の「ビッグマック指数」と、僕がその街にマクドナルドがあるかどうかを気にかけるのは、少し違う。僕が判断しているのは、マクドナルドが出来てしまった観光地は、年々つまらなくなるのを、長年の旅の経験から知っているからだ。石垣島にマクドナルドができてから、まるで別のしまに変貌してしまったかのように。

高城剛『多動日記』

 

旅が好きな人間ならこの文章に共感する人は多いんじゃないだろうか。せっかく都会の喧騒を離れてやってきた異国の地で空港を出てマクドナルドとスターバックスを目にしたときのガックリ感。どこまでも追いかけてくる資本主義的日常。

「お天道様が見ている」ように、グローバル資本主義は異国の地であなたが消費したコーヒー一杯分の履歴までおいかけてくる。共産主義の祖カール・マルクスは19世紀の人間だが、彼が著書『共産党宣言』で資本主義に対して危惧した内容が今になって一般市民にも共感できるレベルで伝わってくる。

ブルジョア階級は、世界市場の開拓を通して、あらゆる国々の生産と消費を国籍を超えたものとした。反動派の悲嘆を尻目に、ブルジョア階級は、産業の足元から民族的土台を切り崩していった。民族的な伝統産業は破壊され、なお日に日に破壊されている。それらの産業は新しい産業に駆逐され、この新たな産業の導入がすべての文明国民の死活問題となる。そうした産業はもはや国内産の原料ではなく、きわめて遠く離れた地域に産する原料を加工し、そしてその製品は、自国内においてばかりでなく、同時に世界のいたるところで消費される。国内の生産物で満足していた昔の欲望に代わって、遠く離れた国や風土の生産物によってしか満たされない新しい欲望が現れる。かつての地方的、一国的な自給自足と孤立に代わって、諸国民相互の全面的な交易、全面的な依存が現れる。そして、物質的生産におけると同じことが、精神的な生産にも起こる。ここの民族の精神的な生産物は共同の財産となる。民族的な一面性や特殊性はいよいよ保持しがたいものとなり、数多の民族的および地方的文学から、一つの世界的文学が形成される。

マルクス『共産党宣言』
ここでは「ブルジョア階級」をグローバル企業と置き換えるとしっくりくる。利益至上主義の資本主義を追求し、至る所で貨幣による交換可能な経済システムを構築した結果、世界中の都市で似たような風景が広がることになった。

『多動日記』ではマクドナルドだらけのマルセイユを指して、面白みのない都市と言い切る。日本でも、すき家やガストなどのファストフード店が国道沿いに並び、イオンのショッピングモールを目指してミニバンが渋滞しているような郊外都市的風景は、いたるところに存在する。そしてそれは何の非日常的な面白みも喚起しない。その一方でグローバル資本主義がどれだけ広まろうとも固有性を維持している地域や都市が存在しているのも事実だ。この違いはどこから来るのだろうか。

オーストラリアのバイロンベイは、地方条例でファストフードの出店を禁止している。そのような他の街と違う場所なので観光客が集まり、なにもない人口6千人の街に100万人を超える観光客の集客に成功している。観光戦略を考える際に、なにか目玉を作ろうとする人が多いが、足し算より引き算で考えたほうがうまくいく好例だろう。

『多動日記』

 
ジェイン・ジェイコブズの『発展する地域 衰退する地域:地域が自立するための経済学』という書籍がある。都市の発展と衰退のダイナミズムについて実地的な検証を行った名著である。

地域経済を転換させる唯一の力は、善かれ悪しかれ、輸入置換都市に端を発する大きな力、すなわち、都市の市場・仕事・技術・移植工場・資本である。そしてこれらのうちの一つが、自前の輸入置換都市をもたない遠隔地に不均衡な形で及んだとき、その結果は悲惨でアンバランスなものになる。人々に見捨てられた地域の場合、この不均衡な力とは、遠方の都市の仕事による牽引力である。この力は、ある地域の人口を流出させることはできても、地域の経済を転換させることはできない。

(『発展する地域 衰退する地域』)

この書では、都市が経済成長するためには「これまで他の都市から輸入されていた財やサービスを、自分の都市で生産できるようにならねばならない」(=輸入置換すべし)と述べている。逆に言えば、何かを他の都市に頼っている場合その地域は衰退してしまう可能性があるということである。では輸入置換を行うためには何が必要なのだろうか。台湾をひとつの成功例として以下のように述べられる。

もしかすると、台湾で起こったことは、他のところでは不可能かもしれない。台湾でうまく作用した都市の資本のインプロビゼーションは、他のところではうまく機能しないかもしれない。しかし、経済的なインプロビゼーションの成功とはそもそもそういうものなのであり、インプロビゼーションがうまくいくとしたら、原因はそれが抽象的または理論的に「正しい」からではなく、時と場所と手近にある資源と機会とが現実に合っているからなのである。インプロビゼーションがうまくいけば、経済活動は驚くべき発展を遂げるのである。

(『発展する地域 衰退する地域』)

インプロビゼーション(Improvisation)とは即興という意味である。ありあわせの素材で何かを作り上げること。つまり都市が経済的に成功するには、地理的・文化的・気候的・歴史的に「うまいこと価値を拵える」必要があるのである。

その(台湾の成功の)原理は次のように要約できる。「自分たちの安い労働力が外人に利用されるくらいなら、我々自身がそれを利用すべきである」。また、「外国からの移植工場が、われわれにも利用できる経験や技術を与えてくれるなら、われわれはそれを自分たちの意にそうように利用することができる」。

外資企業に労働力を使われる前に内資企業に人材を回せ。外資企業が持っている技術やノウハウをうまく盗んで使え。「置換せよ」ということだ。この意味で、明治政府が行った「お雇い外国人システム」は非常に有効な方法論だったと言えるし、逆に外資企業を丸ごと誘致する戦略は都市を魅力的にするためにはワークしにくいということだ。

ジェイコブズの分析を借りるなら、グローバル資本主義のなかで固有性を保持するためには、McDonald・STARBUCKS・ZARA・UNIQLOという企業誘致を行うより前の段階で、彼らが中枢で持つノウハウや技術を土地に残す回路を用意しておくべきだろう。グローバル資本主義にヤリ捨てされないためには不器用でもいいから自前の爪痕を残そうという気概にある。

この原則は人の成長にも当てはまると思っている。すなわち、「不器用でも自前の材料で創造することが、結果的にその人の養分となり、価値を高めてくれる」ということ。

今の時代、派遣会社やクラウドソーシングを含めて、何事も外注で済ますことがよしとされがちだ。確かに固定費のカットや効率化を考えると、内製よりも専門家への外注は圧倒的だ。ただし、あらゆる外注を削ぎ落として残るものが、果たして真に競争力があるものなのかを考えると多くの疑問符がつく。最終的に行き着く場所はマルクスの指摘するとおり、似たり寄ったりのコモディティ人材になる可能性が高い。

あらゆるモノゴトを外注(輸入)できるようになった時代だからこそ、逆に自前でやってみようとすることによって、競争優位が生まれるというパラドックスが生まれている。チカンする者が生き残る時代ということだ。

 

 

おしまい

 

参考書籍:

・高城剛『多動日記

・カール・マルクス『共産党宣言

・ジェイン・ジェイコブズ『発展する地域 衰退する地域:地域が自立するための経済学

 

 

ADHDの時代 〜堀江貴文『多動力』より〜

 

堀江貴文・著『多動力』を読んだ。

私は別にホリエモンのファンではない。メルマガもとっていないし、オンラインサロンにも入っていない。

著書を読んだのも2〜3冊くらいだ。ただこの本のテーマ「多動力」は今の自分にぴったりな気がした。これまでもADHD的な人が今の時代圧倒的な結果を出していることを仕事やプライベートを通じて感じ取っていたからだ。

ちなみにADHDとは「注意欠陥多動性障害」という意味で、不注意(集中力がない・気が散りやすい)、多動性(じっとしていられない・落ち着きがない)、衝動性 (順番を待てない・考える前に実行してしまう)の3つの要素がみられる障害のことだ。イーロン・マスクは思いつきが多すぎてボタンすらかけられないらしい。

そしてamazonの内容紹介を見て即買いした。以下。

 

*****

一つのことをコツコツとやる時代は終わった。
これからは、全てのモノがインターネットに繋がり、全産業の〝タテの壁〟が溶ける。
このかつてない時代の必須スキルが、あらゆる業界の壁を軽やかに飛び越える「多動力」だ。

第1章 1つの仕事をコツコツとやる時代は終わった
第2章 バカ真面目の洗脳を解け
第3章 サルのようにハマり、鳩のように飽きよ
第4章 「自分の時間」を取り戻そう
第5章 自分の分身に働かせる裏技
第6章 世界最速仕事術
第7章 最強メンタルの育て方
第8章 人生に目的なんていらない

Iotという言葉を最近ニュースでもよく耳にすると思う。これは、ありとあらゆる「モノ」がインターネットとつながっていくことを意味する。

すべての産業が「水平分業型モデル」となり、結果〝タテの壁〟が溶けていく。この、かつてない時代に求められるのは、各業界を軽やかに越えていく「越境者」だ。そして「越境者」に最も必要な能力が、次から次に自分が好きなことをハシゴしまくる「多動力」なのだ。

この『多動力』は渾身の力で書いた。「多動力」を身につければ、仕事は楽しくなり、人生は充実すると確信しているからだ。

– 「内容紹介」より

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この本を読んで感じたこと考えたことを以下に述べていきたい。

 

 

「大波」の時代は終わり、「小波」が連続する時代になった

 

テクノロジーは歴史的に人類の発展を大きくサポートしてきた。活版印刷技術、自動車、電話機、飛行機、インターネットetc、例を上げれば枚挙にいとまがないが、共通するのは大きなプラットフォーム的テクノロジーが時代を変えてきたという事実である。

しかし、最近どうもサービスのトレンドが読めない。読めないというか節操がない。どのサービスが来るのか、スマホの次はなんなのか。ライフスタイルの大方針をどうやって決めればいいのかわからない。

ここ2,3年のテクノロジーの進化を見ると「1つのテクノロジーによる大変化」というよりも「多数のテクノロジーの組み合わせによる怒涛の小変化」が進行している気がする。

自動車という大発明があってそれが普及していくというシンプルな流れではなく、「スマホ×写真×チャット×AI」みたいな小波の連続。こういう時代の流れについては、大局を見極めて優勢につくという悠長な戦略がどうも機能しにくいんじゃないかと、直感的にモヤモヤしていたところだった。

そんなモヤモヤをこの本は解決してくれた。答えは「多動せよ」である。

 

インターネットというものが「水平分業モデル」だからである。「水平分業型」の反対は「垂直統合型モデル」で、その代表としては、テレビ業界がわかりやすい。テレビ業界は各局が番組制作から電波の送信まであらゆるレイヤーの業務を垂直に統合している。またリモコンを見ればわかるように、限られたチャンネルによる寡占状態なのでイノベーションは起きにくい。反対にインターネットは「水平分業モデル」だ。電話もフェイスブックも、動画もゲームも電子書籍も、すべてがスマホ上のアプリという一つのレイヤーの中に並べられる。そこには2、3年でプレイヤーが入れ替わるような熾烈な競争がある。グリーやモバゲーの勢いがあったのははるか昔のように感じられ、数年前には存在しなかったLINEやメルカリが生活の中心になり、1年後には、まったく新しいアプリが登場しているだろう。

−「はじめに」より

 

私は無意識のうちに次の「大波」を待っていたようだ。これこそ昭和の価値観である。しかしホリエモンに言わせればインターネットが普及するともう大波は来なくて「小波」の連続しかない。たしかにWebサービスの業界に転職した友人たちはものすごい速度で転職を重ね、経験と成長を重ねている。まさに多動主義が時代適応型の生き方になっているのだ。しかし多くの日本人はその前提で人生を設計していない。

 

小波が連続する時代、資産は負債に変わる

 

資産や資格をもっていることで、むしろ腰が重くなる人が多い。そんなものさっさと捨てて、やりたいことをやったほうがいい。「祖父から土地を引き継いだので、この土地を使って何かできませんか?」「ソムリエの資格をもっているので、この資格を生かした仕事をできませんか?」という類の質問は多い。なぜ、みんな今もっているものをなんとか生かそうという発想になるのだろうか?こういった貧乏根性があると、結局は損をしてしまう。まず、発想の仕方が逆なのだ。「●●をしたい→●●が必要」というのが筋であって、「●●を持っている→●●をしないともったいない」というのは大体うまくいかない。

−「資産が人を駄目にする」より

 

今いるポジションを使って何かできることを探そうとしている人にとってこのメッセージは衝撃的だ。それを捨てろといっているのだから。この言葉を表層的に受け取ると「会社をやめて歌手になりました」ということになってしまうのだが、このメッセージの本質は「やりたいことから逆算せよ」である。

たとえば「仕事でやりたいことを考えろ」というと、銀行員の人は無意識のうちに銀行員であることを利用した範囲内で思考してしまっている。アパレル業界にいる人はアパレルの知識やネットワークの範囲内で考えがちだろう。しかし、水平分業の時代、その考え方が損をすると堀江氏は言っている。

アイドルをプロデュースしたいんだったら、そこに向かってとりあえず進めばいい。芸能事務所やテレビ局、広告代理店の人間が集まる場所にいって「アイドルのプロデュースをしたいんです」と申し出て、最終的に事業を立ち上げてそこにCFOとして参画することだってできるかもしれない。未来は分からない。だからこそまず動いてみることが大切なのだ。要は、現在の資産に捕らわれて動けないことの機会損失こそが最も回避すべきことなのだ。

 

やりたいことがない人への処方箋、まずやれ!

この本を読んで直接的に救われるのは「やりたいこと」が山ほどある人だろう。でもやりたいことがない人はどうすればいいのだろう。私はこういう人にこそ「多動力」を身につけるべきなんじゃないかと思っている。実際、私自身5年位前まで「少動的な」人間だった。決まったルーティンが大好きでフットワークも重かった。しかしその先には決まりきった景色の決まりきった生活しかないのだという悟りを持ってからとりあえず目の前のことをなるべく楽しくしようと動き始めた。動いてみてわかったのは、行動を起こせば起こすほど等比級数的に結果が伴ってくることだ。

アウトプットをし続けるとその何倍もの情報が集まってくる。「よくそんな文章を書けますね」「サロンいくつやってるんですか?」と言われることも多いがそれはアウトプットすることによってインプットが集積し、それを料理することでさらなるアウトプットが可能だからだ。

だから「やりたいことがない」という悩みを抱えている人はまず少しでも心が動く対象があれば、やってみることが近道なのだ。どうやら傍観者には厳しい時代になってしまったようだ。

「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々」

なのである。

 

 

 

 

おしまい

 

ホリエモンの書籍でおすすめのもの

→『多動力

→『本音で生きる

→『ゼロ

 

サヨナラ、昭和の幸せモデル

 


ワーク・シフト』の著者リンダ・グラットンと、経済学の権威アンドリュー・スコットによる「100年時代の人生戦略」がテーマの書。この本の要点は以下の2つだ。


100年時代の人生戦略のポイント

1)高齢における病気の克服により実質的な長寿化(健康寿命の延長)が進行すると、老後の資金の必要性から「教育期→仕事期→引退期」モデルは崩れていく。求められるのは、ステージを移行しながら自分の人生を主体的に生きていくスキルである。

2)人生が長期化すると様々なリスクや機会に備えるため、金銭的な有形の資産と、家族や友人関係、知識、健康といった「見えない資産」とのバランスをとることがますます重要となる。この「見えない資産」は生産性資産、活力資産、変身資産の3つに大別される。特に見えない資産は市場では売買できない(80歳のときに一生の友人を「購入」することはできない)ため、すべてのステージを通じてコツコツ投資を続け、自らを再創造することが重要になってくる。


ポイントは、アップデートし続けられるか

日本も含めて高齢者介護・医療や年金問題ばかりが議論されているが、そもそもなぜこのような事態に陥っているかというと人が80年以上健康に生き続けるというモデルを国家の仕組みや制度に組み込んでいなかったことが大きい。まずすべきなのは「老い」自体の概念を変えること。そして人生全体を設計し直すことなのだ。ライフシフトはそのための教科書兼提案書といったポジションを持つ書籍である。

「教育→仕事→引退」という3ステージの人生が一般的だった時代は終わり、70代以降も働かなければならない時代はもう目の前に迫っている。だったら定年を80歳まで延長すればいいというのは、企業寿命が30年と言われる時代に非現実的だ。むしろ早くから複数のキャリアを準備して、ライフステージに応じて移行させていく「マルチステージ」の人生に今後は突入していく。

そのとき必要となるのは、画一的な生き方にとらわれず、生涯「変身」を続ける覚悟だ。キャリアの選択肢だけでなく、パートナーシップのあり方、友人関係、居住地に関しても新しい考え方を持たねばらない。

『ライフシフト』で述べられているのは、今後絶対寿命が伸びるのでお金・人関係を含めた老後の人生を若いときからデザインし、つねにアップデートしていきましょうという話である。

*****

長寿化がもたらす恩恵は、煎じ詰めれば「時間」という贈り物だ。人生が長くなれば、目的意識をもって有意義な人生を形作るチャンスが生まれる。バイオリニストのスティーブン・ナハマノヴィッチは、創造性についての著書でこう述べている。

時間がたっぷりあると思えば、立派な大聖堂を建てられるが、四半期単位でものを考えれば醜悪なショッピングモールが出来上がる。(中略)長寿化は、人がショッピングモールではなく大聖堂を建てることを可能にするのだ。

−本書・第6章より

*****

 

私が重要と感じたのは人生に必要な新たな3つのステージという概念だ。


人生の新しい3つのステージ

長寿化と資産の重要性を鑑みた時、人生において、次の3つのステージが新たに登場する。

 

エクスプローラー

一ヵ所に腰を落ち着けることなく、身軽に探検と旅を続け、幅広い針路を検討する「エクスプローラー(探検者)」の時期。この時期では、多様な人たちの苦悩や喜びを自分事のように考える「るつぼの経験」が組み込まれていることが望ましい。他の人生の物語にふれることで、自分の価値観が揺さぶられ、アイデンティティについて熟考できるからだ。

 

インディペンデント・プロデューサー(独立生産者)

組織に属さずに、自由と柔軟性を重視して小さなビジネスを起こす「インディペンデント・プロデューサー(独立生産者)」の時期。このステージの人たちは、事業活動自体を目的としており、試行錯誤しながら未来を探索する「プロトタイピング」を通じて、学習を深めていく。このステージでは、安心して失敗できるからだ。現在の18~30歳の層にとっては一つの選択肢になりつつある。彼らは都市部にある創造性の集積地に集まって、みんなで協働する精神を重視している。

 

ポートフォリオ・ワーカー

異なる種類の仕事や活動に同時並行で携わる「ポートフォリオ・ワーカー」の時期。他の新しいステージと同様、年齢を問わず実践できるが、この生き方をとりわけ魅力に感じるのは、すでにスキルや人的ネットワークの土台を築いている人たちだ。このステージにうまく移行するには、フルタイムの職に就いているうちに、小規模なプロジェクトで実験を始め、汎用的スキルや社外の多様なネットワークといった変身資産を育むことが望ましい。
個人的に感じたのは日本においてこの3つのステージはマイノリティであるということ。学生からそのまま企業へと就職し、自らビジネスを起こす経験なくそのまま老年を迎える。転職のない一本道のキャリアの場合はポートフォリオ・ワークを行うスキルもネットワークも育っていない。

 

私は昨年からはじめて本格的に副業を始めた。現時点で収入口はブログの執筆、noteの販売、サロンの運営、不動産の運営、事業会社へのコンサルティング、アフィリエイト、投資など多岐に及ぶ。(いずれも微々たるものだが)

やってみて思うのはどれも最初はまったく稼げないということだ。しかしあるとき急にノウハウを理解したり、人脈を介して紹介してもらったりすることでそのポートフォリオの一口が華を開いたりする。だから副業もとい複業についてとるべきスタンスは長期保有なのである。現在の日本人のマジョリティの生き方として「長期で複業を持つ」というスタンスはほとんどモデルとして存在しない。


「昭和の幸せモデル」からいかに早く脱却できるか

「ライフシフト」が行う提案の真反対を行くのが実は日本の戦後・昭和時代の幸せな生き方モデルだ。
男はいい大学にいって大企業に就職し、途中で専業主婦の奥さんをもらって35年ローンを組んで家を買う。定年60歳まで勤め上げ、その後は引退、年金暮らし。今どき、鼻で笑ってしまうような超ハイリスクな生き方である。
「大企業でリストラされたらどうするの?」「そもそも倒産するんじゃない?」「奥さんと仲悪くなったら?」「不動産って今後下落トレンドですよ?」「年金もらえないかもしれませんよ」四方八方からいじわるな質問が飛んできそうである。

個別で見ると馬鹿らしいが、でもそれらをまとめあげた「昭和の幸せモデル」にこだわっている人はまだまだ多い。このようなハイリスクモデルが支配的な理由は、ひとえに団塊世代の人口ボリュームが原因だろう。彼らの価値観がそのままマスメディアから拡大伝達され、クルマ・不動産・家電、その他サービスに、マーケティングというお題目を通じてビルトインされる。

私の周りでもキャリアの早い段階で転職を経験し自らの市場価値を認識している人は、昭和の幸せモデルを脱却している人が多い。たとえば結婚しても親の実家に住んでいたり、クルマはカーシェアリングやレンタルで済ませていたり、あるいはライフワークとして副業を会社に認めてもらっていたりする。ただこれらの生き方は全体で見ればまだまだ少数派で一つの会社にしがみついて出世していくことが正しいという価値観は依然強く残っている。

私自身は別にその生き方を否定するわけではない。実際にそのルートに乗って非常に華々しく活躍している友人も数多くいる。ただし、くれぐれもマジョリティの生き方を選んで安心しないこと。20世紀は多数派が地位と権力を得る時代だったが、21世紀は少数派がそれらを奪還する時代なのだから。

 

 

 

おしまい

 

関連note

50年働く時代のキャリアの考え方
−60歳で定年する時代が終焉し、働き続けなければならない時代に、どのようなキャリア形成をすればいいのかを考察しています。

マイナンバーで副業が会社にバレるのか?
−サラリーマンは副業すると確定申告をしなければいけません。そのときに副業が会社にバレないための方法論を検証しました。

正しい副業の始め方を副業コンサルの悠斗さんに聞いてみた
−アフィリエイト歴10年の悠斗さんに副業を始める際のコツと注意点と聞いてきました。

「みんなと一緒」は買い叩かれる時代になったらしい

「コモディティ化」という言葉をご存知だろうか。

「コモディティ」とは日用品・生活必需品のことで、商品の機能、品質、ブランド力などではなく、価格や買いやすさだけを理由に購買が行われる。機能や品質面で大差のない製品が多く流通し、買う側にとっては入れ替え可能な存在である。

この「コモディティ化」は物品だけではなく、人材の面でも進んでいる。誰がやっても同じようなアウトプットの出る仕事に関しては、市場原理により徹底的に安く買い叩かれることになる。マニュアルによる接客・販売に始まり、事務・管理、最近では会計・調査分析などもコモディティ化の波が押し寄せている。これはオートメーション化の進行と無関係ではない。コンピュータで処理できるタスクを人間の労働から排除した結果、コンピュータが得意な領域の仕事に「人の技」がいらなくなったのだ。企業にしてみればコストは一円でも安くしたいから、クオリティに差がなければ人よりも安い機械を導入したりする。結果、人が働けるポストが縮小され、そのポストをめぐって競争が激化するから賃金はまた安くなる。

労働の話だけではなく、それは生き方やファッションの段階にも影響を及ぼしている。「量産型ファッション」「量産型女子」などという言い方が象徴的で、その昔、ファッションやトレンド、ヘアスタイルはすべて量産型であった。しかし誰もそれを価値のないことだと指摘しなかった。むしろ流行りに乗るという意味で肯定的にすら捉えられていた時代もあったのだ。

 

↑こういうのとかね。

重要なのは「『みんなと同じ』ことに価値がなくなった」という構造的転換にある。コピペがあまりに簡単にできるようになったためだ。以前は「オリジナルをつくること」と「コピーをつくること」の差があまりなく、むしろ粗雑なオリジナルより、精巧なコピーのほうがありがたがられた。しかし、いまは「コピーをつくること」があまりに簡単なので「オリジナルをつくる」ことに圧倒的に重きが置かれる社会になっている。

 

すなわち今『ゼロからイチ』を生み出す能力に価値が集まっているのだ。

 

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シリコンバレーにおいてペイパルマフィアのドンとされるピーター・ティール氏の書籍に『ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか』というものがある。

 

新しい何かを作るより、在るものをコピーする方が簡単だ。おなじみのやり方を繰り返せば、見慣れたものが増える、つまり1がnになる。だけど、僕たちが新しい何かを生み出すたびに、ゼロは1になる。人間は天から与えられた分厚いカタログの中から、何を作るかを選ぶわけではない。むしろ、僕たちは新たなテクノロジーを生み出すことで、世界の姿を描き直す。それは幼稚園で学ぶような当たり前のことなのに、過去の成果をコピーするばかりの世の中で、すっかり忘れられている。

 

「賛成する人のほとんどいない、大切な真実とは?」この逆説的な質問にそのままズバリと答えるのは難しい。(略)誰もが信じる幻想を見つけたら、その後ろに隠れているものがわかる。それが逆説的な真実だ。

 

資本主義と競争は対極にある。資本主義は資本の蓄積を前提に成り立つのに、完全競争下ではすべての収益が消滅する。だから起業家ならこう肝に命じるべきだ。永続的な価値を創造してそれを取り込むためには、差別化のないコモディティ・ビジネスを行ってはならない。

 

少なくともビジネスの世界は、シェイクスピアの説により近い。社員は出世のためにライバルとの競争に執着するようになる。企業もまた、市場の競合他社に執着する。そんな人間ドラマの常として、人は本質を見失い、ライバルばかりを気にするようになる。

-『ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか

 

金言だらけだ。ここから私が汲み取ったのは、誰かの敷いたレールの上を必死に競争した先に新しい何かがあるわけではないということ。勇気をもって人と違うことをして、0から1を立ち上げる。そこに独占市場がある。それでも人は競争をやめられないのはなぜだろうか。

「アドラー心理学」では、「承認欲求」という概念を補助線にしてその疑問を解決してくれる。

いくら自分が正しいと思えた場合であっても、それを理由に相手を非難しないようにしましょう。ここは多くの人が陥る、対人関係の罠です。(略)人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。(略)そもそも主張の正しさは、勝ち負けとは関係ありません。あなたが正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結するべき話です。ところが、多くの人は権力争いに突入し、他者を屈服させようとする。

 

他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。(略)承認されることを願うあまり、他者が抱いた「こんな人であって欲しい」という期待をなぞって生きていくことになる。つまりほんとうの自分を捨てて、他者の人生を生きることになる。

 

不自由な生き方を選んだ大人は、いまこの瞬間を自由に生きている若者を見て「享楽的だ」と批判します。もちろんこれは、自らの不自由なる生を納得させるために出てきた、人生の嘘です。自分自身がほんとうの自由を選んだ大人なら、そんな言葉は出てきませんし、むしろ自由であろうとすることを応援するでしょう。

(すべて『嫌われる勇気』哲人の言葉より引用)

 

「誰かに褒められたたい」、「誰かに勝ちたい」という承認欲求は際限のない欲望を生み、究極的に人を幸せにはしない。それよりも、「誰か(共同体)の役に立ちたい」という感覚に従って貢献していくことが幸せを手に入れる方法だと「アドラー心理学」は説く。日本の学歴社会に始まる競争社会で、不幸になっている人をたくさん見ているなかで、この主張はとても腑に落ちる。

 

 

「同調圧力」が強い日本社会の中で「みんなと一緒」はとても強い価値観だった。「みんなと違うだけでいじめられた」というのは芸能界のハーフタレントの多くが持っている子供時代の体験である。しかし時代は確実に「人と違う」ことを評価する方向にシフトしている。人と違うことをコンプレックスだと思わずに堂々と主張する。誰も手を出していないことを見つけて勇気を出して形にしてみる。ちょっとでもいいからそのような取り組みをはじめてみることをおすすめしたい。特にブログやツイッターなどのリアルのコミュニティとの相関性が低い場所ではそのような勇気に対して強い応援と指示をもらえる可能性が高い。

 

ちなみにExplosive|自分時価総額サロンもそういうコンセプトで運営されている。新しい時代の価値観をインストールした自分をバーチャル上で先に実働させてしまおうという試みである。

 

 

おしまい

 

文献リスト

・『ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか

・『嫌われる勇気

 

 

 

ネットビジネスの教科書として、MEDIA MAKERSを読んでみる

田端信太郎 著 『MEDIA MAKERS-社会が動く「影響力」の正体』を読んだ(再読)。

2012年に発売されたこの書籍は、インターネットを中心とするメディア環境の変化を述べた書籍として、評価されている。著者は2017年現在、LINE株式会社上級執行役員の田端信太郎氏。
Twitterでも10万フォロワーを持っているような現代のインフルエンサーである。

私はこの書籍を、メディアの教科書というよりは、SNS時代のネット人格醸成のための教科書として読んだ。

目次の一部を抜粋する。

・「キャッシュ」から「タレント」と「アテンション」の時代へ
・「アテンション」を集め、「タレント」をモチベートするメディア
・コミュニケーションとクリエーションは似て非なるもの
・誰もがメディアになり得る「情報爆発時代」
・なぜ、「缶けり」専門誌は存在し得ないのか?
・上場廃止に向かうライブドア社内で見えたこと
・源氏物語からニコ動までコンテンツを分類する3次元マトリックス
・「食べログ」と「ミシュラン」の違いから考える参加性と権威性
・映画監督はなぜ「偉い」と思われるのか?
・「ペルソナ」があればコモディティ商売から脱却できる
・「FT」の紙がピンクなのはなぜか?
・編集権の独立−高潔さがメディアの差別化要因
・技術が進化しても記者の使命は変わらない…は間違い!
・馬具メーカーであることをやめたエルメス
・津田大介、ホリエモン、「お布施型」メディアが流行る理由
・雑誌がオーケストラなら、メルマガはロックバンド

昨今のネット界隈のビジネスに感度のある人であるなら、興味深い構成であることには頷いてもらえるかと思う。いくつか有用だと感じた概念があったので以下に紹介したいと思う。

 

メディアを8つに分類する3次元マトリックス

なかでも特に有用だと思ったのは、コンテンツを分類する3次元マトリックス。

①ストック⇔フロー
②参加性⇔権威性
③リニア⇔ノンリニア

この3軸で、コンテンツを分類するとあらゆるネットコンテンツの立ち位置が明確になる。

 

たとえば、

Wikipediaは、①ストック②参加性③ノンリニア
日経新聞は、①フロー②権威性③ノンリニア
ビジネス書は、①ストック②権威性③リニア

というふうに分類される。

これをネットビジネスにどう使うかという視点であるが、自らが弱い部分を意図的に補うための戦術を考えて行くのがいいだろう。

たとえば、twitterだけの人気アカウントは、①フロー②権威性③ノンリニアなので、逆に①ストック②参加性③リニアを意識したコンテンツを生成することで一気に他を出し抜くチャンスになる。

たとえば、フローのtwitterとストックのブログとは、相互補完関係があるメディアなので、戦略的にネットでキャラをブランディングしようとするなら、twitterとブログは連携させるべきだ。

オンラインサロンとnoteは参加性と権威性の部分が大きく異なっており、権威性を使ってオンラインサロンを立ち上げるとただの質問大会になって運営者は疲弊する。ゆえに、知識部分はnoteやメルマガで教授し、フォロワーたちとの交流にオンラインサロンを使うのがベストである。

このあたりの話はつねづね副業ラボのツイキャスなどでもやっているのだが、
結構理解していない人が多く、twitterでやたらめったらnoteのリンクを呟けば売れると思っている人が多い。

 

メディアをブランディングするために必要なのは編集権の独立

メディアというものが、経済的・法律的には送り手である企業の「所有物」であることは紛れもない事実です。しかし、そもそもメディアとは送り手と受け手をつなぐ「媒体・媒質」のことであり、受け手に影響を与えないメディアには存在意義はありません。それゆえ、送り手企業の経済的利益をはかることを第一の判断軸にして、メディア運営における編集判断がなされることは、必ずや、読者の離反を招き、結果的に送り手企業の所有物としての「企業価値」や「資産価値」も破壊してしまうことになるはずなのです。

(「編集権の独立−高潔さがメディアの差別化要因」)

ここでも解説されている通り、メディア(コンテンツ)の信頼度は、行ってしまえば「売らんかな」の精神からの独立性にある。自分の記事を売りたいから提灯記事を書いていると思われたらメディアは終わる。このへんは自戒でもあるわけだが、なるべく自メディアの儲けとは切り離された部分で有益な記事を買いてメディアとして信頼された上で課金モデルをまわしていくほうが、永続的な運営につながっていくはずである。

 

メディアのオリジナリティを追求するためにペルソナを意識する

読者の「ペルソナ」をわかりやすく外部に体現するアイコンとしての表紙専属モデルや、読者層を指す造語の対外的なアピールになります。たとえば、「LEON」という雑誌は、「ちょいワルオヤジ」という言葉で、彼らの読者ペルソナをうまくラベル貼りしてパッケージングし、そして、その「ちょいワルオヤジ」を体現する存在として、ジローラモさんを表紙モデルに用いました。「CanCan」は、ゆるふわ愛されOLというように読者のペルソナにラベル貼りし、それを「エビちゃん」というキャラで体現したわけです。(中略)この広告主に向けて語られる「読者ペルソナ」の設定が、広告主の脳内に呼び起こす「ああ、このメディアの読者は、ウチの製品のターゲットユーザーと近いな!」というシズル感が強ければ強いほど、広告メディアとして、単なる「クリックいくら? インプレッションいくら?」のコモディティ商売からの脱却も可能になりやすいと私は確信しています。

(「ペルソナがあればコモディティ商売から脱却できる」)

ここにも書かれているが、雑誌メディアを運営していた著者だけあって、ネットメディアが手薄になっている部分を的確に指摘している点はお見事である。とはいえ、軒並み衰退する紙メディアをどうするべきかというと別の話になるのだが。従来の雑誌は、読者のライフスタイル像みたいなものを事細かに仮定し、調査し、かなり突っ込んだ提案をしていた結果、カルチャーを生み出せていたのだと私は考えている。単なるネット調査ででてきたイメージに「当てに行く」記事ではなく、フォーカスインタビューや読者とのコミュニケーションを通じてあぶり出されてきた潜在ニーズを鮮やかにコンテンツとして表現してあげること、これができればネットメディアであっても、きっと新たなカルチャーを生み出すことができるはずだ。実際、インスタグラムがこれまでの雑誌メディアの役割を果たしはじめている。憧れられるような強烈なライフスタイルを発信しつづけるものはメディアでも個人でも、確実に時代をつくっていくのである。

 

書かれた当時の熱量を感じながら冷静に読むとメディアビジネスの未来が見えてくる

3年前に読んでみたときよりもMEDIA MAEKERSは学びが多かった。それは、自身でtwitterやブログ、noteやオンラインサロンなどのメディア運営をやってみて、各種経験を棚卸しすることができたからかもしれない。ぜひ、ちょっとだけでもメディアを持っているという方(twitterアカウントを持っていたり、ブログを書いているという方)は、ネットビジネスの視点でこの本を読んでみてほしいと思う。2012年当時からメディアの何が変化し、何が変わらないのかに焦点を当てながら読むことで、メディアにまつわる潮流の本質をつかむことができると考えます。

 

 

おしまい

 

 

文献リスト

・『MEDIA MAKERS-社会が動く「影響力」の正体