書評

お金より、信用より、大切なもの(後編)

●価値には3種類ある

 

こちらは前編で紹介したメタップス佐藤氏が、出演した番組です。

▲株式会社メタップス代表取締役CEO 佐藤航陽が語る『「お金2.0」が予言する7つの未来』

動画の中では”『お金2.0』が予言する未来”として7つのトピックが取り上げられています。

特に重要だなと感じたのは、佐藤氏が<価値の3分類>として
①有用性としての価値/②内面的な価値/③社会的な価値を解説する部分です。

①有用性としての価値を一言で説明すれば、「役に立つかどうか」に依存する価値(=資本主義)

②内面的な価値とは、愛情・共感・興奮・好意・信頼など、個人の内面にとってポジティブな効果を及ぼす価値。

③社会的な価値とは、個人ではなく社会全体の持続性を高めるような価値。

動画のなかで、②の典型としてYouTuberをあげます。③については、政治の領域を経済で解決しようとする社会起業家のような領域の仕事をあげています。

 

●3つの価値は共存しつつ、順序だっている

書籍の中では①②③を並列に扱っているような印象を受けましたが、動画では①をクリアして②へ、②をクリアして③へ行くといった、明確なフェーズとして認識されていることが理解できました。

つまりは、ある程度物質的な豊かな社会でないと、内面的価値に重きは置かれない。
また、精神的(内面的)充足をしてはじめて、社会性を持った取り組みをするに値する、というようなイメージです。

動画を見るとあたかも「10年後の未来はこうなる」という予言に捉えがちですが、①⇢②⇢③という流れは個人の自己実現のルートと全く相似形をなしており、現在においても③まで進んでいる方はたくさんいるということです。

ビル・ゲイツ氏やザッカーバーグ氏を筆頭に米国の大富豪は財団を設立したり、多額の寄付を通じて社会に貢献していますし、トランプ氏だったりブルームバーグ氏だったりは、ビジネスから政治の領域へ軸足をシフトさせています。

資本主義での成功者が、内面主義の充足を経て、社会的貢献に向かっていく流れが、今後もっと加速していくと捉えて間違いないでしょう。

そして、この議論を通じて落合陽一氏のツイートに戻ります。

『ポジションを取れ.批評家になるな.フェアに向き合え.手を動かせ.金を稼げ.画一的な基準を持つな.複雑なものや時間をかけないと成し得ないことに自分なりの価値を見出して愛でろ.あらゆることにトキメキながら,あらゆるものに絶望して期待せずに生きろ.明日と明後日で考える基準を変え続けろ』

ですが、これを①②③の価値に分類していきましょう。

①ポジションを取れ、批評家になるな、手を動かせ、金を稼げ

②複雑なものや時間をかけないと成し得ないことに自分なりの価値を見出して愛でろ、あらゆることにトキメキながら生きろ

③フェアに向き合え、画一的な基準を持つな、あらゆるものに絶望して期待せずに生きろ、明日と明後日で考える基準を変え続けろ

といったところでしょうか。(恣意的である部分もある点、ご了承ください)

つまり、

①まず自ら行動して分かりやすい価値を生み出すことだ重要で、その後、
②心をワクワクさせる活動に従事することを大切にし、それが満たされたら、
③社会をまっさらな目で見て働きかけよう、

というメッセージだと解釈することも可能だということです。「ポジションを取れ」とはその全てのはじまりにある言葉なのです。

ちなみに落合陽一氏のツイートは、新著の帯にも採用されています。

落合陽一『日本再興戦略』

 

●お金より、信用より、大切なのは、俯瞰できること

たとえば「お金を十分稼いだらあとは引退するだけだ」と言っている人は①だけの価値しか見ておらず、②③の価値を見過ごしています。ゆえに虚無感に苛まれたり、人生の目的を見失ったりします。

①がうまく周りはじめたら、ムダだと思っても②を開始する。そして②が軌道に乗ったら、手間かもしれないが③の価値に足を踏み入れる、そうすることで、新しい社会のルールに全張りすることが可能になります。

橘玲氏の『幸福の資本論』における3つの資本に順番を設けた(①金融資本⇢②人的資本(やりがい)⇢③社会資本)のが、佐藤氏の動画での解釈だったように思います。

 

「信用経済」という言い方もされますが、まず①を満たせない人は、人に与えることもできないので、最低限の経済力は絶対に必要でしょう。その上で社会貢献などで信用や社会資本を蓄積していく必要があるという話だと私は捉えています。

というわけで、何を言いたかったのかというと、『お金2.0』を読んで俄に「これからはお金が要らない時代なんだ!」と早とちりしてはダメで、むしろお金・精神(内面)・社会貢献のバランスが問われるようになっていきますよ、あるいは、順々にクリアして行く必要がありますよ、という話です。

近視眼的に生きていると行き詰まりがちなので、つねに息抜きしながら自らを俯瞰できることが大事なんじゃないかなと個人的には思うわけでした。

 

おしまい

 

●関連記事

・『幸福の資本論』は何を追わなくていいかを教えてくれる

・お金より、信用より、大切なこと(前編)

・『評価経済社会』での生き方を島田紳助に学ぶ

お金より、信用より、大切なこと(前編)

年末年始、アウトドアをしながらぼんやりと考えていたんですけど、こういう結論になりました。

 

 

なぜそう思ったのかを、読書した内容も含めて以下に書いてみます。

 

●お金がなくても、心が動かせる時代に。

資本主義の世の中では資本を最大化すること(=お金を増やすこと)が最も重要でした。
ただスマホ一台で世界中の人々と瞬時にコミュニケーションが取れるようになった世の中では、お金以上に、「カッコイイ」「かわいい」「クール」「ワクワクする」「憧れる」「会ってみたい」「セクシー」「応援したい」といった純粋なモチベーションが、人やモノを動かす原動力になっている気がします。

この現象を、メタップス経営者の佐藤航陽氏は著書『お金2.0』で資本主義の先にある価値主義という概念で説明しています。

前述の例を見てもわかるように、資本主義上のお金というものが現実の価値を正しく認識・評価できなくなっています。今後は、可視化された「資本」ではなく、お金などの資本に変換される前の「価値」を中心とした世界に変わっていくことが予想できます。
私はこの流れを「資本主義」ではなく「価値主義」と呼んでいます。
(中略)
価値主義ではその名の通り価値を最大化しておくことが最も重要です。価値とは曖昧な言葉ですが、経済的には人間の欲望を満たす実世界での実用性(使用価値・利用価値)を指す場合や、倫理的・精神的な観点から真・善・美・愛など人間社会の存在にプラスにやるような概念を指す場合もあります。
(中略)
あらゆる「価値」を最大化しておけば、その価値をいつでもお金に変換することができますし、お金以外にものと交換することもできるようになります。お金は価値を資本主義経済の中で使える形に変換したものに過ぎず、価値を媒介する一つの選択肢に過ぎません。

『お金2.0 新しい経済のルールと生き方』

なぜ「お金が一番の資本主義」の先に人類が行けるようになったのかというのは、情報環境の進化により、お金を介さなくても多くの人の心が動かせるようになったからだと思います。ネットやSNSがなければ、多額のお金や時間を使ってスタッフを動かし、撮影・編集をし、メディアに掲出しなければ不可能だったアウトプットを、個人がものの数分でできるようになった。

キングコングの西野亮廣さんが「マネタイズを後にしろ」というのも、”マネタイズは物理的に時間がかかるから先に心を動かそう”という文脈でも処理できると思います。貨幣を介さずとも伝えられる「自分の価値」をしっかりと作っておくことこそ、情報ベースのポスト資本主義の世界では何よりも重要なのです。

 

●ポジションを取れば、価値になる。

では、どういう行動を取れば価値を生み出せるようになるのか。もちろん一朝一夕に価値を飛躍的に増大させる方法はありませんが、ゆっくりとですが価値を生み出せる方法論は存在すると思います。

以下は、メディアアーティスト・落合陽一氏のツイートとテレビ番組での発言です。


“よく学生に言っているのは「ポジションをとれ』と。株とかでポジションをとる。何かに作用しろ。つまり買えとか。
やりたいことをサポートしてくれることが人工知能のいちばん面白いところ。
モチベーション高めにやりたいことをやるべきだ。
最近イルカが大好きでイルカの研究したいなと思ったときディープラーニングを使ってイルカをどうやって解析できるのか、
やるために水族館に行くんですよ
そういうことをやるときにツールは大体そろっている
マイクもあればスピーカーもあれば機械学習機能もあれば
そういうものを使って何かをしたいと思ったときに、
「僕がなぜ今イルカが好きなのか」が最も大切であって
それに対してフットワーク軽くやる側の人間になることが重要で
それをボーっと見ていると特にやらないまま明日になっちゃうので
なるべきニュースを追っかけるとか詳しい人にきいてみるとか
どうなるんだろうと予測を立てて株を買ってみるだけでもいい。
何かのポジションをとることがすごく重要なこと。
何もしないというのがいちばんよくない”

    -落合陽一 AI(人工知能)との賢い付き合い方とは? BS日テレ – 「深層NEWS」

ここで落合氏はしきりに「ポジションを取れ」と言っています。
ここで「ポジションを取る」とは、自分の判断・モチベーションでリスクと時間とある程度の金銭を使って、行動してみるという意味でしょう。そして単純化すると、「ポジションをとれば価値になる」ということです。

ではなぜ「ポジションをとると価値になる」のでしょうか。

それは先ほど述べたポスト資本主義社会の特徴がヒントになります。
貨幣以上に影響力のある「価値」は、国や法律が制御できないスピードで拡散し、暴風のようにブームを起こし、一部の人々を洗脳し、そしてある時、ふっと消えてしまうような特徴を備えているからです。

ここでポジションを取らない人は、ただの情報に翻弄され続ける人になります。

では、ポジションを取った後、我々はどうすればいいのでしょうか。そのポジションをどのように利用すればいいのでしょうか。ポジションを取ることで生まれる価値の形態について考察してみたいと思います。

 

後半へつづく

 

恋愛工学小説『ぼくは愛を証明しようと思う』の落とし穴

漫画化、ドラマ化が進んでいる藤沢数希氏の恋愛小説『ぼくは愛を証明しようと思う』は現代日本の恋愛マーケットに風穴をあけたコンテンツだ。

彼のメールマガジン週刊金融日記では2012年頃からスタートし、メインコンテンツのひとつとして「恋愛工学」が展開されてきた。私も創刊当時からの読者なので分かるのであるが、初期はまさにロッカールームでのトークといった具合のとても生々しく、かつ個別具体的な事柄を扱っていた。

たとえばこんな感じだ。

***

週刊金融日記第14号「33歳独身男性、年収1000万超、ルックスも悪くない匿名希望さんの相談」より

今回は極めて深刻な相談をさせて頂きます。

当方、33歳独身 年収(本業)1000万超 ルックスも悪くありません。

(中略)

私のように平均以上に金銭的な自由があってもいい出会いにたどり着けない男
子がどのようのアプローチを踏んでいけばいいのか(本命との出会い・セフレとの出会い
は問いません)、何卒アドバイスを頂戴できますようお願い申し上げます。

 

─藤沢数希の回答

まず、結果として現在、パートナーもセフレもいない、という現状を深刻に受け止めた方がいいと思います。
あなたは、同年代の男性に比べて、そこそこのスペックがあり、そのことを鼻にかけていませんでしょうか。
おそらく、周りの女性達も、あなたのそんな態度に気が付き、離れていったのかもしれません。
大事なことは「感謝の気持ち」です。
ここはひとつ原点に立ち返ろうではありませんか。
女子が、わがままをいっても、嘘をついても、時には浮気をしても、我々男子は、おっぱいを触らせてもらえるだけでも大変ありがたいことだと思わないといけないのです。
どれだけ社会的地位が違えども、どれだけ自分の方がものをよく知っていようとも、また、どれだけ自分のほうが正しくても、若くて綺麗な娘のあそこをペロペロさせてもらおうと思えば、我々は無条件に膝を地面に着いて、お願いしなければいけない立場なんですよ。
そういった謙虚な姿勢を取り戻せば、道は自ずと開けてくると思います。

また、私は主義主張として合コンに行かないわけではありません。
単に、昔から合コンに呼んでくれる友だちがいなかっただけです。
それにハイグレードな出会いのプロセスなんてものはありませんよ。

***

 

ある程度恋愛経験を積めばあたりまえになるマインドセットや知識も、自己流のペーストやり方でやっていると遅々として身につかない。それをメルマガというコミュニティのなかで高速PDCAを回しだしたのが、恋愛工学の画期的な点であった。
上記の質問などは、有名企業につとめるいわゆるハイスペ男性にありがちな状況で、本来は仕事をバリバリやるべき時期なのに自分の男性としての魅力が劣化していくのではないかと思いこんで、おかしな方向にいってしまう数多くのハイスペ戦士たちを救っているはずだ。

 

このように週刊金融日記は多くの非モテ男性を救ったが、メルマガという胡散臭さと、「恋愛工学」というテクニカルタームっぽさがマジョリティへの浸透を妨げた。
ただ、それはある意味でコミュニティが確固たるアイデンティティを築くために有効に機能したと思われる。

以下はメールマガジンなどで使われる独特の用語の一部である。

 

***

【非モテコミット】
好きな異性のことばかり考え(コミット)、下手に出たり、気持ち悪いLINEなどを送って嫌われてしまう状態。

【フレンドシップ戦略】
異性に嫌われるのを恐れるあまり、友達から関係を始めてあわよくばセックスしようという戦略。ほとんどうまく行かない。(類語)「友達フォルダ行き」

【スタティスティカル・アービトラージ戦略】
統計的手法による恋愛戦略。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。世の中の一般的な男性は勇気がなくて数を打たないため、相対的にこの戦略が機能する。

【モテスパイラル現象】
セックスする相手が何人かできるともっと女の子が寄ってくるようになる現象。忙しい人に仕事が集まる現象と似ていて、周囲からの評価を「雰囲気で」(←大事)匂わせることで、価値のある男性だと認識させることが人工的にも可能になる。

【セックストリガー理論】
女の子はセックスしちゃった男性を好きになってしまう現象。妊娠・出産から逆算された女子の生存戦略であるという説明が合理的である。一方、ヤリマンであるほど、セックストリガー効果は発動しにくい。

【タイムコンストレイントメソッド】
時間制限法。「30分だけしか時間がないんだけど、お茶でもしませんか?」などと誘うほうが警戒されないし、かつ自分が忙しく価値のある人間だということも伝えられるので、結果的に女性からの印象を高められるというメソッド。

***

絶妙に、口の端に登りにくいワーディングセンスで、金融日記読者とそれ以外の壁を作ってくれている。特に、天敵である女性にとってはちんぷんかんぷんな用語に見えるため、未だに正しく理解されていないのが実情である。

 

●小説『ぼくは愛を証明しようと思う』のただひとつの欠点

そんな環境の中で満を持して出版されたのが小説『ぼくは愛を証明しようと思う』である。
当時私は「『恋愛工学完全マニュアル』にしたほうが売れるのになあ」と考えていたのだが、藤沢氏の目算はもっと広かった。今になるとわかるが、小説になるとそれを原作に、漫画・ドラマ・映画化される。そして漫画は言語圏・文化圏を超えて広がっていく。藤沢氏はメルマガコミュニティで温めてきたノウハウとメソッドを小説化した時点で、ビジネスパーソンとして「上がった」わけだ。

さて、そんな小説『ぼくは愛を証明しようと思う』はメルマガ金融日記以上に読みやすく、馬鹿でも恋愛工学を理解できる素敵な恋愛工学マニュアルとなっている。

主人公は、20代後半のそこそこスペックは高い(弁理士)がいまいちモテない渡辺くん。そして彼に恋愛工学を指南する謎の男性・永沢さん。登場人物の名前は、村上春樹『ノルウェイの森』へのオマージュになっている。

ストーリーとしては彼の恋愛面での成長(乞食女に振られるレベルから、モデルの彼氏になるレベルまで)が描かれる。
普通に読んでいても楽しいし、しかも恋愛工学の概念とテクニックも学べちゃうわけなので、本当におトクな小説なのだが、この小説にはひとつ大きな欠点が存在する。

〜〜

「俺は、渡辺に単なる街コンプレイヤーで終わってほしくないんだよ。俺はもっと上を見ている。これまでの3時間はほんのウォーミングアップだ。トライアスロンの本番はこれからだよ」

「これから?」

「これまでは、ビーチの脇にあるホテルのプールで泳いでいただけなんだ。本当の大海原に漕ぎ出して行くぞ。お前はきっと、あのまま街コンの二次会に行かなくてよかった、と思うはずだ」


「これから何をはじめるんですか?」


「ストナンをしながら、銀座のナンパバーに行く」


「ストナンって、ストリートナンパですよね? 道で声をかけるんですか!?」


「そうだ」


永沢さんがあっさりとこたえた。

僕たちは、八重洲のインド料理やから銀座のそのナンパバーまで歩いて行くことになった。道でナンパしながら、だ。
そんなことが、この僕にできるのだろうか?
はやくも緊張してきた。

〜〜

これは小説の序盤で渡辺くんと永沢さんが街コンに参戦し、いくつか連絡先を交換した直後のシーンだ。
ここで、永沢さんは渡辺くんにストナンを強制的にやらせる。
そして実際、永沢さんのアシストもあり、渡辺くんはいくつか連絡先をゲットしてしまう。

私は「恋愛サロン」および「恋愛コンサルティング」で、多くの男性に対してナンパやデートの指導をしていますが、そのなかで最も多くのつまづきがこの小説のこのシーンから生み出されていると考えている。

どういうことか。

『ぼくは愛を証明しよう』を読み恋愛工学を知った人間で、意欲のある人間は、まず自分でもやってみようと思う。
街コンやパーティに行ってみて、いくつか連絡先を交換できる。
「よしクリアだ!」
「そしてその次はストリートに出てみよう」
小説を素直に読むとこういうステップになるわけだが、これが大きな落とし穴で、
まともに女性とデートできない男性がストリートでナンパすることというのは、
家に包丁もまな板も食器もない人間がスーパーで手料理のための食材を探しているくらい滑稽で不毛なものなのである。

小説の設定でわたなべくんは女性となんなく会話できるレベルのコミュ力を有しているが、
モテない一般男性のほとんどは「デートでの会話・振る舞い」につまづきがあるわけだ。

まずはたくさんのデート経験をつんでそこを改善しなくては、ナンパをしてたまたまオープンできても、結局女性を楽しませることができずに不幸な時間を過ごすことになるだけだ。

「恋愛コンサルティング」では面談によって、本人の課題・目標・方法論を定めた上で、数カ月の恋愛指南を行っているわけだが、本当に多くの男性が、「女性とのデートでの楽しませ方」を軽視している。なぜだか知らないが、ナンパして、恋愛工学のテクニックをつかっていれば、自動的にセックスできるみたいに考えていたりする。

実際はそんな簡単ではない。まず会った時にそこそこの好印象を残し、女性の興味やニーズをそれとなく探ってデートを提案。デートでも女性との共通点を探り、和ませ、内面を聞き出し、自分の自己開示をする。そして最後に「一緒にいたい」と意思を表示してやっと成約。それくらいの作業工程があるのだ。

伝えたいのは恋愛工学は魔法のテクニックというよりは、当たり前の作業工程の個々人のボトルネックであるポイントをテクノロジーによって解決するための方法論である、ということ。

私個人はやはり「非モテコミット理論」と「セックストリガー理論」によって女性に対する認識を大きく変えることができました。
「やさしくするだけじゃダメなんだ」ってことと、「ヤらなきゃ好きになってもらえなんだ」ってことですね。

『ぼく愛』を読んでみた方は、ぜひ週刊金融日記のメルマガの初期の号を手厚めに読んでみてください。
いろんな戦士たちの試行錯誤にきっと感動するはずです。

 

 

おしまい

『知的戦闘力を高める独学の技法』で頭ひとつ抜け出す方法

「だから読むのさ。他人と同じものを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなる。そんなものは田舎者、俗物の世界だ。まともな人間はそんな恥ずかしいことはしない。なあ、知ってるか、ワタナベ?この寮で少しでもまともなのは俺とお前だけだぞ。あとはみんな紙屑みたいなもんだ」
(村上春樹/『ノルウェイの森』)

 

はじめて『ノルウェイの森』を読んだ時、いちばん感心したセリフです。
以来、キャリアを考え直すときや大きな方向性を思い描くときに、なんとなくですが、この原則を持ち出していました。
これは自分にとって独学の指針になる言葉だったのです。

最近、個人的にファンである山口周さんの新著がでました。

 

知的戦闘力を高める 独学の技法』です。

その名の通り、独学に関して体系的なメソッドが書かれている本です。ある1ページをツイートで紹介したところ、ものすごい数のリツイートといいねがつきました(笑)

 

 

この本の冒頭では、「いま独学が必要な4つの理由」として以下が解説含めて述べられています。

1)「知識の不良債権化」‐学校で学んだ知識は急速に時代遅れになる

2)「産業蒸発の時代」‐イノベーションがいまの仕組みを根底から覆す

3)「人生三毛作」‐労働期間は長くなるのに企業の「旬の寿命は短くなる」

4)「クロスオーバー人材」‐2つの領域を横断・結合できる知識が必要となる

 

これは、私の経験と直観にも一致しており、過去のエントリ『サヨナラ、昭和の幸せモデル』や『みんなと一緒は買い叩かれる時代になったらしい』にも伏流している問題意識と強くリンクしています。要は、「コモディティ化しないために」&「長期的に第一線でいるために」自身で学ぶ対象をデザインしてラーニングしていかなければならないということです。

 

・みんなが英語を勉強しているから、英語を勉強することが果たして有効なのか?

・これからは人工知能の時代だから、人工知能の勉強はしたほうがいいのか?

 

こういう問いに対して直ちに自身の答えを持っていない人は、この書を読むことで新しい視点が得られると思います。

以下に、『知的戦闘力を高める独学の技法』で個人的に参考になった部分を紹介したいと思います。

 

①学ぶジャンル選びは「自分の持っているもの」を起点にする。


その人にとっての本当の強み、他の人にはなかなか真似のできない強みというのは、それが本当の強みであればあるほど、本人にとっては「できて当たり前、知ってて当たり前」であることが多いのです。だから、それを「あなたの強みってここですよね」と言われると「はあ、それは私にとって当たり前なんですけど…」と思ってしまう。一方で、周囲の人たちにはできるのに自分にはできないことに意識を向けてしまい、いわば「ない物ねだり」をしてしまう。(『知的戦闘力を高める独学の技法』)

私もコンサルティングをやっていて痛感するのは、人は自分の強みを強みだと思っていないということです。
100年以上の伝統を持つ企業が古臭さをコンプレックスに思っていたり、確固たる開発技術に基づいたプロダクトを持っている企業がこのままじゃダメだと新商品開発に躍起になっていたりする。

ここでコンサルタントがやることは、彼らがやりたがっていることを応援するのではなく、
「いやいや御社は十分ファンダメンタルバリューがあるので、それを伝える努力をしましょう。届ける仕組みをもちましょう」ということだったりします。

人にしても同じです。身長が低かったり、線が細いことをコンプレックスに感じている男性は多いですが、裏を返せば「警戒されにくい」ということなので、親しみを持って女性と接する武器にすればいいのです。プラスして内面や言動で男らしさのギャップを出してあげれば、簡単にモテるようになります。

 

まず、自分が学ぶべきジャンルについては、2つのジャンルのクロスオーバーを考えてみる。1つのジャンルで飛び抜けるのは難しいことですが、クロスオーバーを作るとユニークなポジションを作りやすい。
そして2つめのポイントが、掛け合わせるジャンルについては「自分の持っている本性や興味」を主軸に選ぶべきで、他人が「持っているもの」で自分が欲しいものを主軸にしてはいけない、ということです。(『知的戦闘力を高める独学の技法』)

 

ここにも書かれている通り、まず自分のあるものを認識してそれをどう使っていくかを考えるほうが、圧倒的にラクだし、効果が出やすいです。

 

②つねに「問い」や「テーマ」を持つこと


「どうやってインプット量を維持し続けるか」という点と「どうやって定着化を図るか」の2点が問題として浮上してきますが、この2点を解消するためには、常に「問い」を持ってインプットに臨むというのがカギになります。…万能の天才と言われたレオナルド・ダ・ヴィンチは、膨大な量のメモを残したことで知られています。多くのスケッチや考察が書かれているのですが、そのノートの中の一節に、こういう文章があります。

”食欲がないのに食べると健康を害すのと同じように、欲求を伴わない勉強はむしろ記憶を損なう。”

(『知的戦闘力を高める独学の技法』)

 

私が社会人になったときに延々つまらない課題研修を受けさせられたときに、自分なりにテーマを設定して課題に向き合っていました。毎週、企業のケーススタディをやるんですが、単に分析していてもつまらないので、著名な経営学者やマーケティング学者(マイケル・ポーターやコトラー)の最新の論文から引用することをテーマに課題をこなしていました。すると、単に課題に向き合う以上に、問題意識がシャープになりますし、課題をこなすごとに自分が使える知識が増えていくことになります。

 

特に今の時代であれば「ブログを書く、noteでコンテンツをつくる」という目的から問いやテーマを設定することが誰にでもできます。企業のマーケティング部門にいて、アイドルが趣味の人なら、「アイドルをマーケティング理論で捉える」というテーマを掲げたら仕事にも精が出るかもしれません。お医者さんでナンパをしている人なら、「男の美容」をテーマに掲げるといろんなビジネスアイデアが生まれてくるかもしれません。

「問い」や「テーマ」というのは机上で何時間も考えてひねり出すというよりも、「そういえばこれってどうなんだっけ?」「興味あるけどググっても出てこないな」みたいな日常のふとした疑問から生まれてくるものです。

日常の疑問や直感に素直になるところからはじめましょう。

 

③知識はストックではなくてフローだと考える

 

せっかく学んだ内容を「アンラーン=消去」してしまうというのは、とてももったいないように思われるかもしれませんが、本書の目的である「知的戦闘力の向上」を目指すのであれば、アンラーンは絶対に欠かすことができません。
なぜ、貴重な時間という資源を投資してせっかく学んだことをまっさらにしなければならないのか? 理由は簡単で、環境の変化がとても速くなっているからです。10年前には有効だったコンセプトやフレームワークがどんどん時代遅れになり、新しいコンセプトやフレームワークにとって代わるということが起こっているのが現代です。(『知的戦闘力を高める独学の技法』)

 

2つの意味で私は知識はストックではなくて、フローだと思っています。
1つは、知識は使うためのものであり、溜めこんでも無価値だといいう意味。
2つめは、知識はつねに最新版にアップデートしなければ使い物にならないという意味。
仕事などで新しい領域に取り組む時はなるべくたくさんの文献や資料を読み込みます。そのとき心がけているのは、時系列を意識して読むということです。これは、最新の論文やデータなのか、古典と呼ばれる理論なのかを、常に意識して読むことで、それらの知識の耐用年数がなんとなくイメージできます。100年以上も前に書かれており、最新の論文でも引用されているような理論はかなり耐用年数が長いものと判断できますが、1−2年前に発表されて、その後検証されていないような理論は実はかなり怪しかったりします。そういう意味でも常に最新のものにアップデートしながら、これまでに仕入れた知識の役に立たないものを捨てていくという作業は実は重要なのです。

 

●まとめ

この『知的戦闘力を高める独学の技法』は社会人になって「一通り基礎的な仕事を身に着けたな」と思った人にはぴったりの書籍だと思っています。『知的戦闘力を高める』と書かれていますが、簡単に言えば「アウトプットでオリジナルな価値を出すための独学の技法」だと思っています。そういう意味でも含め、評価経済社会に移行していくなかで、自分の学びをデザインする方法論は極めて重要になっていくと考えています。

 

●関連エントリ

好きなことで、生きていく?

『幸福の資本論』は何を追わなくていいかを教えてくれる

「みんなと一緒」は買い叩かれる時代になったらしい

 

 

『革命のファンファーレ』は、「作り手」のための広告&マネタイズ論だ

キングコング西野亮廣氏の『革命のファンファーレ』を読了。

えらく面白くて数時間で読めた。

副題は「現代のお金と広告」であるが、もう少し補足して言うと、「現代の『作り手』のための広告とマネタイズ論」かなと思う。
すなわち、表現やものづくりに関わる人や志す人はぜひ読むべき本である。

マネタイズの方法から、告知、プロモーションの考え方が実例および数字を交えて書かれてある。
こんなナマの情報が本人の企図とともに読める本はなかなかない。

この本に書かれていることで個人的に強く印象に残ったのは以下の3点だ。

①好感度と信用は違う
②本当の意味での広告
③ロボット化・AI時代で勝つビジネスとは?

それ以外にも、クラウドファンディングを使ったマネタイズの方法やエンタメビジネスのリアルな裏側などが書かれており、一読の価値はある。

ただ西野氏のオリジナリティという側面で上記の3点が突出していると感じた。

 

①好感度と信用は違う

「芸能界の収益の出どころは広告費である」と看破するところからその論ははじまる。

ベッキーとゲスの極み乙女。が例として分かりやすい。
不倫をしても活動を続けることができたゲスの極み乙女。に対して、ベッキーの活動が、たった一度の不倫で全て止まった理由は、彼女が「認知タレント」でファンを抱えていなかったからに他ならない。スポンサーが離れ、広告以外の場所でお金を稼ぐしかなくなったわけだが、ファン(ダイレクト課金者)がいないからお金を生み出すことができない。テレビタレントとしてリクエストに徹底的に応え続けた結果だ。現代のテレビ広告ビジネスの、最大の落とし穴だと思う。

『革命のファンファーレ』本文より

日本のテレビ局の収益の大半はスポンサーからの広告費である(+不動産w)。
広告とは、大衆に対してその商品のポジティブなイメージを印象づけることが目的である。
だからタレントは嫌われていないこと(=好感度)が何よりも重要。
逆に、嘘をつかないこと(=信用度)は広告とは相性が悪い。

いや、これはなかなかですよ。普通のタレントなら、自分の食い扶持はテレビ番組やイベントなどの出演のギャラだと考えるはずです。ベッキーだってそう信じていたはず。このあたりから西野さんは視点が違うんですね。彼は間違いなくメタゲームを戦っている。

八方美人で誰からも好かれるようにすれば、フォロワーが増えてマネタイズができると思っている人もいるが、それは短絡的だ。

どちらかと言えばフォロワー数は好感度・認知度に近い指標で、お金を払ってくれるようなファンを生み出すには何かしらの強い主張や高い能力・信頼性が必要になってくる。

著者が「嫌われ者」(=低好感度)であったからこそ、ここまでドライに理論化できたのではないだろうか。

 

②本当の意味での広告とは

この本でもっとも価値がある具体論はこの部分だ。
多くの人は信用とマネタイズの部分に感銘を受けると思うが、新しい時代の広告プロモーション事例をここまで具体的に解説した書籍は他にないという意味で、非常に価値があると思う。

目次からいくつか抜粋してみると…

・ネタバレを恐れるな。人は「確認作業」でしか動かない。
・「セカンドクリエイター」を味方につけろ。
・信用時代の宣伝は、口コミが最強。口コミをデザインしろ。
・自分の作品と、社会を一体化させろ。
・お客さんは、お金を持っていないわけではなく、お金を出す「キッカケ」がないだけだ。

西野氏の主張に共通しているのは、「たくさんの人を味方(共犯者)にしてムーブメントを起こしていくやり方が、この時代にもっとも有効な広告である」ということ。

マーケティングでも「エヴァンジェリスト」という用語がある。和訳すると「伝導者」。商品やサービスを広めてくれる熱心なファンといったところで、「信者」とも言える。アップルやBMWなんかは信者が多いブランドだ。

この本では、「信用」という尺度でこのエヴァンジェリストをどうやって作っていくかということが書かれている。

広告を作るときは、自分の手から離れても尚、こういった「広告の連鎖」が自然発生する基盤を作ることが大切だ。
今の時代、面白い看板があれば写真にとってインスタグラムにアップし、政治に意見したければツイッターで呟き、感動したことがあればフェイスブックに書き、日記はブログに書く。それを生業にしているか否かの違いはあれど、国民総クリエイター(情報発信者)だ。クリエイターに軸足は置かないまでも、時々趣味で作り手側に回ろうとするセカンドクリエイター(ラジオで言うハガキ職人)の層が増えに増えた。…これからの時代は、このセカンドクリエイターのクリエイター心をいかに揺さぶるか。いかに「つくってみたいな」と思わせるか。そこがヒットの鍵になってくる。

『革命のファンファーレ』本文より

「広告代理店にお金を払ってCMや公共スペースの枠を買い、商品のよさをただ述べるだけ」の旧来の広告は、西野氏の定義する「現代」にはまったく適合しなくなっているということかもしれない。

 

③ロボット化・AI時代で勝つビジネスとは?

こちらの視点は、この本のメインテーマではないが、彼の視点が面白かったので紹介したい。

間違いなく僕らは、60歳から、新たな仕事を探さなければならない。…その時にだ。若い人間にはない「老人のアドバンテージ」をキチンと提示できていあにと、人生の後半戦において仕事にありつけない。若い人間にはない、ロボットにもない、老人しか持ち合わせていない能力(老人力)を見つけ、それを仕事化していかなくてはならない。

『革命のファンファーレ』本文より

ここで西野氏は沖縄にある80歳近いお爺さん店主がやっている居酒屋の例をあげる。彼は店主のくせに客より先に酔いつぶれて寝てしまうが、「愛される欠陥」(=許され力)があるので他の客が店員を代替してくれてうまくいくのだと。

歳をとるというのはこの「愛される欠陥」(=許される能力)を高めていくこと他ならない。AIやロボットはもちろんこのような欠陥能力を代替することができない、と。

AI・ロボット時代における人間の定義は「ミスをすること」だという説があるが、まさにそこを使って存在価値を高めようという提案に思える。

例が極端すぎてピンとこない節もあるが、実際、業務遂行能力ではなくて、その人の存在だけで周りがうまく回る事例というのは古今東西たくさんあった。「長老」みたいなものだ。

指針としてみると、歳を重ねるほどにストイックではなくしなやかに生きていく必要がありそうだ。

 

まとめ

 

 

冒頭でも述べたが『革命のファンファーレ』は、何かしら「つくりたい」「表現したい」「発信したい」と考えている人にとっては読むべき本である。旧来の定石のもはや通じなくなっている部分を過激な表現でつっつき、新しい常識に置き換えてくれるだろう。

 

もちろん西野氏はゴールデンの番組で活躍していた芸人だ。すべてを真似することはできない。ただひとつでもアイデアを取り入れて自分なりにチャレンジしてみることで思わぬ反応が手に入ることはかなり高い確率で予想できる。

『試行回数でレバレッジをかけよ』でも述べた通り、現代はやったもん勝ちの社会になりつつある。頭のいい人たちがウンウンうなりながら机上のプランより、泥臭く実践を繰り返して得られた経験知のほうに価値がある。

もし自身のうちに秘めたアイデアや創造物があるのであれば、すぐにでも形にして発信してみたほうがいい。きっと誰かが反応してくれるはずだし、そこから新しい物語がはじまる。

 

 

おしまい

 

 

 

PuANDA流「読書嫌いのための読書術」

私は読書が嫌いです。嫌いというかめんどくさいのです。

お金がない大学時代、やることもなかったのでブックオフで買ってきたドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を数日かけて読破しましたが、いま思えば苦行でしかありませんでした。読破して役に立ったことといえば「好きな小説は?」と訊かれたときに「『カラマーゾフの兄弟』。あれは宗教が絡んだ壮大な昼ドラだよね」と答えて、文学通をアピールできるくらいです。

しかし、なぜか社会では読書をすることが素晴らしいことだと思われており、読書嫌いの人間としては、肩身の狭い思いをしています。小学校や中学校のときも読書感想文というものがあり、私はそれが本当に苦痛でした。読んだ尻から忘れてしまうので、内容を覚えていないのです。読書感想文に「読んだけど忘れた」とは書けないので毎年毎年非常に苦労していました。一方でそのときの経験がいまの読書術を形づくっているのかもしれません。

夏目漱石の『吾輩は猫である』という面白くもない小説の読書感想文を書かねばならなくなったある夏休みのこと。私は毎日10ページずつ読んでいこうと計画していたのですが、ある時絶望的につまらなかったので諦めました。そしてちゃんと読まずに読書感想文を書いてしまおうとしたのです。

そのときの方法は、「吾輩は猫である」に出てくる食事について論じようというものでした。小説中の適当な食事の描写を拾ってきて、あれこれ考えを述べて字数を埋めようという作戦です。

神田の某亭で晩餐を食べるシーンから明治時代の食生活について調べたり、ジャムについての由来や時代背景を調べて論じたりしたと思います。結果、明治の風俗を調べるために図書館に通ったりして、それなりの論文みたいなのが完成しました。そしてその年の読書感想文の優秀作に選ばれたのです。

そのときの私の感想は、「全部読まなくても興味あるところだけ読んでればいいんだ」でした。結局、その読み方が現在の私の読書法のスタンダードになっています。

興味のあるところしか読まない「興味ファースト」

私は読書が嫌いなので全部は読みません。読んでいると面白くなってきて結果的に全部読む本はあるのですが、基本、いろんな本が虫食い状態で放置されています。だからまず目次を見て面白そうな小見出しを探します。

堀江貴文さんの『多動力』を買ったときも、まず目次を見て最初に8章の「資産が人をダメにする」から読み始めました。自分自身の問題意識にいちばん近いテーマだったからです。結果自分の思考が活性化されて筆がすすみ、発売日当日にブログ記事をアップしました。

人って自分の興味のある分野についてはスポンジのように知識を吸収して血肉化できるのですが、興味ない分野に関してはすぐに忘れたり、そもそも情報が入ってこなかったりします。だから私は「興味ファースト」で読書をしています。

なぜか本は最初から順番に読まないといけないと思っている人が多いですが、興味ファーストでの虫食い読みをして私はこれまでデメリットを感じたことがないです。しかも、人と話すとき「ホリエモンの『多動力』で『資産が人をダメにする』って書いてあって、まさに今の日本企業ってそんな感じですよね」とか言っちゃえば、全部読んだ人みたいな扱いを受けます。あ、ちなみに『多動力』は面白いので全部読みましたよ。

読んだらページレベルでメモ。すぐにアウトプット

TwitterでよくWeb記事の感想を買いてTweetしたり、Kindleのスクショを貼り付けてTweetしたりしていますが、あれはすべて自分用のメモです。メモは大学ノートやEvernoteを使ったり、いろいろしてきたのですが、Tweetするのがいちばん記憶に残ります。まず自分の言葉で解釈するので記憶に残りやすい。さらにそのTweetが「リツイート」や「いいね」をされ通知機能により記憶の定着が強まります。またそれについて人と議論やブレストが始まったりして、それが瞬時に価値に変わっていたりします。メモを自分だけに留めておくよりも何倍もメリットがありますよ。

あと、記憶の残存率から考えても読んだ直後にアウトプットしたほうがよりたくさんの情報が脳につまっていることになるんで、より詳細なアウトプットにつながります。だって1時間で半分以上忘れちゃうんですよ。(エビングハウスの忘却曲線)

 

読書嫌いでも本は読んだほうがいい

本をまったく読まない人もいると思うのですが、本は読んだほうがいいと思っています。本には自分ではない人の視点が入っています。普段自分が考えたり感じたりしていることが、他人の価値観で語られたりします。

そういう他人の視点に出会った瞬間に、これまで解けなかった課題が解けたり、新しいアイデアが閃いたりするのです。他人の視点や価値観を、簡単にインストールして自分のそれと化学反応させる最も手軽な手法として、読書は非常にコスパがいい行為だといえます。個人の脳内会議のようなものかもしれません。

 

というわけで、すぐにでも実践できる「読書嫌いのための読書術」でした。よい子のみんなは読書感想文がんばってください。

 

 

おしまい

 

『評価経済社会』での生き方を島田紳助に学ぶ

評価経済社会は始まっている

Youtuberにはじまり、VALUやTIMEBANKなど、個人の価値やネットワークをマネタイズするプラットフォームがここ数年で急速に出始めてきています。俯瞰すると、一般人すらタレントのように好感度・信頼性・人気が評価され、金銭価値化されていく世の中になっていくのかもしれません。

まさに岡田斗司夫氏の言う『評価経済社会』化が急速に進行していると言えます。

私個人はその流れに対して、賛成でも反対でもありません。この流れが加速すると、面白くなる人もいれば、面白くなくなる人もいるでしょう。これまで日の目を見ることのなかった個人がスポットライトを浴びるチャンスを獲得する一方で、慣れ親しんだコミュニティで平穏に暮らしたかった人が生きづらくなるのかもしれません。
ただ確実に言えるのは、この流れが不可逆であるということです。

インターネットが登場し、iPhoneが発売され、Facebook、Instagramがコミュニケーションのツールとなっていくなかで、テレビや雑誌に載る特別な芸能人と、一般人の垣根が取り払われ、すべてがフラットなプラットフォームの上で評価されていく。

このような「評価経済社会」においた、戦略を早くから解いているのが実は島田紳助です。

『紳竜の研究』というDVDがあります。友達の家に置いてあるのを見て、即買いしたのを覚えています。

このDVDの見どころは、NSCでの島田紳助による講義です。
テーマはいくつか存在し、

・「才能と努力」
・「漫才の教科書」
・「相方と戦略」
・「XとYの分析」
・「運と計算」
・「心で記憶する」
・「テレビの秘密」

などに分かれます。

すべて面白いのですが、改めて見直してみて、特に普遍性を感じたのは「才能と努力」「XとYの分析」「相方と戦略」でしょうか。

●「才能と努力」

島田紳助の主張は以下(太字)のようなものです。

***
世の中はすべて才能である。
努力も才能も、数値化して0から5まであるとする。
才能5の人間が5の努力をすると5×5=25で最高点の結果が出る。
M-1に落ちてる受講生にも5の努力をしてないやつがいるかもしれない。やったつもりでも、間違って努力している可能性がある。才能が3〜4あっても、1の努力しかしてなければ、かけたって3、4にしかならない。
だから自分が伝えられるとしたら努力の方法だけ。
***

別の箇所で芸人の才能がゼロの後輩に鉄板焼屋を薦めたら大成功した事例が話されます。これも結局、後輩の彼が才能が「0」で努力する能力が「5」あったことを見抜いた島田紳助が別の道を薦めたことがきっかけになっていると説明されます。
これはGrid−やり抜く力−の「努力×努力×才能」の方程式とも類似しています。


そしてここからがさらに深い内容なのですが、紳助氏は努力の方法について説明していきます。

***
ミスター・タイガースの掛布雅之が虎風荘で毎日素振り500回していた。
彼と話すと「紳助さん違うんですよ。プロになったら誰でも500回くらい素振りしてますよ。それを努力と言えますかね?」という。
意味なく素振りしても腕太くなるだけだ。
たとえばボクサーは一日3時間以上練習したらオーバーワークになる。
「何も考えずに数をこなす」ということを努力と言ってはいけない。
漫才師も同じ。
何時間も練習しても面白くなるわけじゃなくて、それはただネタに慣れただけの状態。ネタは必要以上に練習しちゃ駄目。そんなことよりもやるべきことがある。
***

「量をこなす」「量が質に転化する」というのは間違ってはいませんが、そこには「正しく考えながらやっている度合い」が変数として存在していると個人的にも思います。
上達度をY、こなす量をX、考えてやっている度合いをαとすると、
Y=αXとなるはず。一日24時間という限られた時間があるなから、プロが結果を出す場合、否応無しにもαに注目してその質を上げざるを得ないということ。
ちなみにαの質の上げ方のヒントは「自らの行動を書き出す」ことにあると考えています。
上達したい対象に関する努力の内容と気づきを日々日記に書き出して振り返ることで、上達の速度は一気に高まるということです。

 

 

●XとYの分析

これが評価経済社会で重要になってくる方法論だと思います。

***
(X)は自分の得意領域
(Y)は時代のニーズ
XとYが明確に定まってはじめて自分が何をやるべきかがきまる。

(X)の見つけ方は、売れている漫才師を見て「面白さが理解できる」「自分でもできそう」なものをいくつか探して、そこから構造を抽出してオリジナルを作り上げていく。
(Y)の見つけ方は、何十年も移り変わっていく漫才を全部見る、聞く。流行の移り変わりを研究する。

俺も今まで沢山いろんな仲間が居たりしたけど、このXもわからんと、Yもわからんと悩んでる人ばっかりやわ。ほんまに。先輩も後輩も。
***

新しい笑いをやりたいと相談されても「俺はお前やないからわからへん」と答えるというのも、この『XY理論』があるから。そして、たまたまうまくいった芸人がその後伸びない、一発屋が一発屋で終わる理屈もこの理論に基いて説明できます。
継続的に「売れる」をつくるための非常に有用な方法論だと言えます。

***
XとYがたまたま会うだけで売れた人間は一発屋。
Yがずれるともう売れない。なぜ売れたかを理解していない。
インパクトが強すぎて修正が聞かない。
売れ続けている人は、時代を見ながら修正している。
無駄な練習はする必要ない。
***

明石家さんまさんを例に出して「彼はYをしっかり研究しているから、時代に置いていかれない」という旨の発言をしています。たしかにさんまさんはポッとでの一発芸などもうまく取り込んだ上で自分の芸を展開するメタゲームを戦っているように見えますね。

芸能界だけではなく、ビジネス業界、出版業界、twitter界隈、サービスやアプリ、企業体に至るまでこの原則は当てはまるのではないでしょうか。一瞬跳ねるのは運でもできる。むしろ継続的に売れ続けることがプロである。そのように感じます。

 

●相方と戦略

売れるためのコンビの組み方についての解説ですが、起業やビジネスに応用可能に思えます。

***
仲いいやつと組んでもしょうがない。
「どうやったら売れるか」を1人で考えて、それに会う相方をつくる。
やろうとしていることをひたすら実現するために根性のあるやつが必要だった。
漫才の教科書を3人めの相方竜介に授業した。
稽古をせずに漫才理論をずっと教えていた。衣装の話など…
***

漫才コンビ・紳助竜介におけるCEOは島田紳助だったわけです。
私も一時期お笑いにハマっていろんなコンビを研究したりしたのですが、決まってブレーンはどちらかひとりでしたね。「ブレーンの暗い性格の人間」と「底抜けに明るい/ただおもろい人間」の組み合わせがお笑いコンビには多い気がします。市場で勝とうと思った時、「冷静な戦略家」と、「情熱的でタフなソルジャー」の両方の要素が必要になるということなのかもしれません。

***
20歳〜35歳の男がターゲットだと決めていたから、ジジイとババア相手の漫才は本気を出さなかった。
我々は一部に強力な支持を得られることが重要。
劇場に来ている前列の若い女を笑わしにかかったら負け。いちばん後ろで腕組んで見ている同年代の男が笑わなくなる。そして、舞台の向こう(=テレビの前)に本当の客はいる。
自分たちはそいつらを笑わせないといけない。
***

別のテレビ番組で「子どもに受けるやつは一発屋、同年代に受けるとターゲットともに成長するので売れ続ける」と語っていましたが、その方法論を論理的に説明しています。今回見直してみていちばん勉強になったのはこの部分でした。
女性や子どもに人気が出ると爆発的なブームになるものの、恐ろしい速度で陳腐化する現象を、私は生まれてこの方見続けてきました。
彼ら彼女たちの多くは本質を見抜いてコンテンツを選んでいるのではなく、自分たちのコミュニケーションのネタとして消費しているだけなわけです。だからコミュニティで飽きられた瞬間、手のひらを返したようにポイ捨てするわけですね。
そしてそれを避けるためには本質を見抜いてくれる層(お笑いならば同年代の男性)に絞るべきなのです。
この考えでいくと子どもに人気のYouTuberなんかは結構リスキーな選択なんじゃないだろうかと思えてきます。

 

DVD『紳竜の研究』は現代のコンテンツビジネスの成功法則が詰まっており、かつ、とても刺激的でわかりやすいです。下手な自己啓発本の10倍以上役に立ちます。ひとりで悶々と悩んでいたり、進路に迷ったりしている人はとりあえず見てほしいと思います。

 

●参考文献

『自己プロデュース力』−島田紳助

『評価経済社会』−岡田斗司夫

『幸福の資本論』は何を追わなくていいかを教えてくれる

 

幸せになるのには別に誰の許可もいらない

夏の朝にキャッチボールを/ザ・ハイロウズ

 

 

話題になっている橘玲氏の新刊『幸福の資本論』を読んでいたら、そんな歌詞が頭に浮かびました。プロローグに登場する印象的な一節「いまの時代の日本に生まれたことが最大の幸福である」を常に頭のなかに置きながら読むことでこの書から受け取れることが一段階深まると思います。私はこの本は、現代日本人のための生き方の戦略書だと思いました。

 

本の中身ですが、橘玲氏は、書の冒頭で幸福の条件が、この3つに対応していると説きます。

①金融資産
②人的資本
③社会資本

金融資産は自由を生み出し、人的資本はやりがいを生み出し、社会資本は絆を生み出す。様々な事例の検証を通じて、①金融資産②人的資本③社会資本の最適ポートフォリオを論理的に設定していきます。そして、それぞれについての以下のような結論が下されています。

 

①金融資産:世界に分散投資せよ。

幸福度の調査から、世帯年収1500万円・金融資産1億円をこえると幸福感は変わらなくなる。ゆえにそのラインを目指し、あとの資産は分散投資しながら、お金に執着しすぎずに生きること。

 

②人的資本:好きなことに集中投資せよ

人生100年時代の人生戦略はいかに人的資本を長く維持するかにかかっているため、「好きを仕事にする」ことで生涯現役で働き続けること。

 

③社会資本:小さな愛情空間と大きな貨幣空間に分散投資せよ

大切なひととのごく小さな愛情空間を核として、貨幣空間の弱いつながりで社会資本を構成すること。つまり「強いつながり」を恋人や家族にミニマル化して、友情を含めそれ以外の関係はすべて貨幣空間に置き換えること。

 

①②については、データや研究を見たことがあったし、『LIFE SHIFT』などでも同様の議論がされていました。このなかで私が画期的だと思ったのは「③社会資本」についてです。「友達は多ければ多いほどいい」、「家族・親戚・会社の同僚もなるべくたくさんいたほうがいい」。なんとなくそう思われている常識対して、「人間関係はストレスだし、雁字がらめになるので最低限にしてあとはお金で置き換えましょう」という提案をしています。

 

***

日本人は幸福になろうと「つながり」を求めますが、その結果、関係のなかに埋め込まれ身動きがとれなくなってしまいます。相次ぐ過労死や過労自殺を見てもわかるように、これはきわめて危険な環境でもあります。会社は嫌いだけれど、会社なしでは生きていけないというのが、日本人の悲しい性なのです。

幸福感を毀損するいちばんの要因は、こうしたひと(=サイコパス)たちと関係をもたざるを得なくなることです。それが顧客であればまだ対処のしようもあるでしょうが、上司であれば悲劇ですし、同僚や部下であっても攻撃的コミュニケーションしかできない人物は職場という(逃げ場のない)閉鎖空間では強いストレスになります。

(『幸福の資本論』本文より引用)

***

 

だからこそ「困ったひと」と付き合わない選択の自由を持つために、人間関係はお金を介することでフリーエージェントとして生きる戦略が有効だ、そういうロジックです。

この書(というか橘玲氏の考え方)のなかで、実はもっとも大事だなと思ったのは、「大切なものを選びぬく意志」です。

・金融資産については最低限の資産は「残」(分散投資)しておいて、あとは自由のために使う。
・人的資本についてはあれこれ手を出すよりも「好きに絞って」つきつめる。
・社会資本については「愛情空間だけ」を大切に守り抜くこと。

この本を上辺で読んでしまうと「お金はなるべくたくさん稼ごう」、「仕事はやりがいあるものを」、「人付き合いはなるべくしないでおこう」ということを結論にしてしまいがちです。冒頭で述べたように私はこの本は幸福になるための「戦略」書であると思いました。戦略とは「戦いを略くこと」です。

だからむしろ、

・「無駄に稼ぎを追わないこと」
・「やりたくないことはやらないこと」
・「愛する人は選ぶこと(=たくさん愛しすぎないこと)」

という「やらなくていいことについての基準の提案」だという受け取り方もできるはずです。

そう解釈した時、いままで肩の荷に感じていたものの多くがふっと消え去り、足取りが軽くなったような気持ちになる気がしませんか。幸せになるためには、実はそんなにたくさんのことは必要ないんだと。自由になら一秒でなれるんだと。私はそんなことを思いました。

 

そしてこの考えをベースにした具体的な働き方・生き方の例として、

・堀江貴文 著『多動力

・高城剛 著『多動日記

がある気がしています。ぜひあわせて読んでみてください。

 

 

おしまい

チカンする奴が生き残る時代

エコノミスト誌の「ビッグマック指数」と、僕がその街にマクドナルドがあるかどうかを気にかけるのは、少し違う。僕が判断しているのは、マクドナルドが出来てしまった観光地は、年々つまらなくなるのを、長年の旅の経験から知っているからだ。石垣島にマクドナルドができてから、まるで別のしまに変貌してしまったかのように。

高城剛『多動日記』

 

旅が好きな人間ならこの文章に共感する人は多いんじゃないだろうか。せっかく都会の喧騒を離れてやってきた異国の地で空港を出てマクドナルドとスターバックスを目にしたときのガックリ感。どこまでも追いかけてくる資本主義的日常。

「お天道様が見ている」ように、グローバル資本主義は異国の地であなたが消費したコーヒー一杯分の履歴までおいかけてくる。共産主義の祖カール・マルクスは19世紀の人間だが、彼が著書『共産党宣言』で資本主義に対して危惧した内容が今になって一般市民にも共感できるレベルで伝わってくる。

ブルジョア階級は、世界市場の開拓を通して、あらゆる国々の生産と消費を国籍を超えたものとした。反動派の悲嘆を尻目に、ブルジョア階級は、産業の足元から民族的土台を切り崩していった。民族的な伝統産業は破壊され、なお日に日に破壊されている。それらの産業は新しい産業に駆逐され、この新たな産業の導入がすべての文明国民の死活問題となる。そうした産業はもはや国内産の原料ではなく、きわめて遠く離れた地域に産する原料を加工し、そしてその製品は、自国内においてばかりでなく、同時に世界のいたるところで消費される。国内の生産物で満足していた昔の欲望に代わって、遠く離れた国や風土の生産物によってしか満たされない新しい欲望が現れる。かつての地方的、一国的な自給自足と孤立に代わって、諸国民相互の全面的な交易、全面的な依存が現れる。そして、物質的生産におけると同じことが、精神的な生産にも起こる。ここの民族の精神的な生産物は共同の財産となる。民族的な一面性や特殊性はいよいよ保持しがたいものとなり、数多の民族的および地方的文学から、一つの世界的文学が形成される。

マルクス『共産党宣言』
ここでは「ブルジョア階級」をグローバル企業と置き換えるとしっくりくる。利益至上主義の資本主義を追求し、至る所で貨幣による交換可能な経済システムを構築した結果、世界中の都市で似たような風景が広がることになった。

『多動日記』ではマクドナルドだらけのマルセイユを指して、面白みのない都市と言い切る。日本でも、すき家やガストなどのファストフード店が国道沿いに並び、イオンのショッピングモールを目指してミニバンが渋滞しているような郊外都市的風景は、いたるところに存在する。そしてそれは何の非日常的な面白みも喚起しない。その一方でグローバル資本主義がどれだけ広まろうとも固有性を維持している地域や都市が存在しているのも事実だ。この違いはどこから来るのだろうか。

オーストラリアのバイロンベイは、地方条例でファストフードの出店を禁止している。そのような他の街と違う場所なので観光客が集まり、なにもない人口6千人の街に100万人を超える観光客の集客に成功している。観光戦略を考える際に、なにか目玉を作ろうとする人が多いが、足し算より引き算で考えたほうがうまくいく好例だろう。

『多動日記』

 
ジェイン・ジェイコブズの『発展する地域 衰退する地域:地域が自立するための経済学』という書籍がある。都市の発展と衰退のダイナミズムについて実地的な検証を行った名著である。

地域経済を転換させる唯一の力は、善かれ悪しかれ、輸入置換都市に端を発する大きな力、すなわち、都市の市場・仕事・技術・移植工場・資本である。そしてこれらのうちの一つが、自前の輸入置換都市をもたない遠隔地に不均衡な形で及んだとき、その結果は悲惨でアンバランスなものになる。人々に見捨てられた地域の場合、この不均衡な力とは、遠方の都市の仕事による牽引力である。この力は、ある地域の人口を流出させることはできても、地域の経済を転換させることはできない。

(『発展する地域 衰退する地域』)

この書では、都市が経済成長するためには「これまで他の都市から輸入されていた財やサービスを、自分の都市で生産できるようにならねばならない」(=輸入置換すべし)と述べている。逆に言えば、何かを他の都市に頼っている場合その地域は衰退してしまう可能性があるということである。では輸入置換を行うためには何が必要なのだろうか。台湾をひとつの成功例として以下のように述べられる。

もしかすると、台湾で起こったことは、他のところでは不可能かもしれない。台湾でうまく作用した都市の資本のインプロビゼーションは、他のところではうまく機能しないかもしれない。しかし、経済的なインプロビゼーションの成功とはそもそもそういうものなのであり、インプロビゼーションがうまくいくとしたら、原因はそれが抽象的または理論的に「正しい」からではなく、時と場所と手近にある資源と機会とが現実に合っているからなのである。インプロビゼーションがうまくいけば、経済活動は驚くべき発展を遂げるのである。

(『発展する地域 衰退する地域』)

インプロビゼーション(Improvisation)とは即興という意味である。ありあわせの素材で何かを作り上げること。つまり都市が経済的に成功するには、地理的・文化的・気候的・歴史的に「うまいこと価値を拵える」必要があるのである。

その(台湾の成功の)原理は次のように要約できる。「自分たちの安い労働力が外人に利用されるくらいなら、我々自身がそれを利用すべきである」。また、「外国からの移植工場が、われわれにも利用できる経験や技術を与えてくれるなら、われわれはそれを自分たちの意にそうように利用することができる」。

外資企業に労働力を使われる前に内資企業に人材を回せ。外資企業が持っている技術やノウハウをうまく盗んで使え。「置換せよ」ということだ。この意味で、明治政府が行った「お雇い外国人システム」は非常に有効な方法論だったと言えるし、逆に外資企業を丸ごと誘致する戦略は都市を魅力的にするためにはワークしにくいということだ。

ジェイコブズの分析を借りるなら、グローバル資本主義のなかで固有性を保持するためには、McDonald・STARBUCKS・ZARA・UNIQLOという企業誘致を行うより前の段階で、彼らが中枢で持つノウハウや技術を土地に残す回路を用意しておくべきだろう。グローバル資本主義にヤリ捨てされないためには不器用でもいいから自前の爪痕を残そうという気概にある。

この原則は人の成長にも当てはまると思っている。すなわち、「不器用でも自前の材料で創造することが、結果的にその人の養分となり、価値を高めてくれる」ということ。

今の時代、派遣会社やクラウドソーシングを含めて、何事も外注で済ますことがよしとされがちだ。確かに固定費のカットや効率化を考えると、内製よりも専門家への外注は圧倒的だ。ただし、あらゆる外注を削ぎ落として残るものが、果たして真に競争力があるものなのかを考えると多くの疑問符がつく。最終的に行き着く場所はマルクスの指摘するとおり、似たり寄ったりのコモディティ人材になる可能性が高い。

あらゆるモノゴトを外注(輸入)できるようになった時代だからこそ、逆に自前でやってみようとすることによって、競争優位が生まれるというパラドックスが生まれている。チカンする者が生き残る時代ということだ。

 

 

おしまい

 

参考書籍:

・高城剛『多動日記

・カール・マルクス『共産党宣言

・ジェイン・ジェイコブズ『発展する地域 衰退する地域:地域が自立するための経済学

 

 

ADHDの時代 〜堀江貴文『多動力』より〜

 

堀江貴文・著『多動力』を読んだ。

私は別にホリエモンのファンではない。メルマガもとっていないし、オンラインサロンにも入っていない。

著書を読んだのも2〜3冊くらいだ。ただこの本のテーマ「多動力」は今の自分にぴったりな気がした。これまでもADHD的な人が今の時代圧倒的な結果を出していることを仕事やプライベートを通じて感じ取っていたからだ。

ちなみにADHDとは「注意欠陥多動性障害」という意味で、不注意(集中力がない・気が散りやすい)、多動性(じっとしていられない・落ち着きがない)、衝動性 (順番を待てない・考える前に実行してしまう)の3つの要素がみられる障害のことだ。イーロン・マスクは思いつきが多すぎてボタンすらかけられないらしい。

そしてamazonの内容紹介を見て即買いした。以下。

 

*****

一つのことをコツコツとやる時代は終わった。
これからは、全てのモノがインターネットに繋がり、全産業の〝タテの壁〟が溶ける。
このかつてない時代の必須スキルが、あらゆる業界の壁を軽やかに飛び越える「多動力」だ。

第1章 1つの仕事をコツコツとやる時代は終わった
第2章 バカ真面目の洗脳を解け
第3章 サルのようにハマり、鳩のように飽きよ
第4章 「自分の時間」を取り戻そう
第5章 自分の分身に働かせる裏技
第6章 世界最速仕事術
第7章 最強メンタルの育て方
第8章 人生に目的なんていらない

Iotという言葉を最近ニュースでもよく耳にすると思う。これは、ありとあらゆる「モノ」がインターネットとつながっていくことを意味する。

すべての産業が「水平分業型モデル」となり、結果〝タテの壁〟が溶けていく。この、かつてない時代に求められるのは、各業界を軽やかに越えていく「越境者」だ。そして「越境者」に最も必要な能力が、次から次に自分が好きなことをハシゴしまくる「多動力」なのだ。

この『多動力』は渾身の力で書いた。「多動力」を身につければ、仕事は楽しくなり、人生は充実すると確信しているからだ。

– 「内容紹介」より

******

 

この本を読んで感じたこと考えたことを以下に述べていきたい。

 

 

「大波」の時代は終わり、「小波」が連続する時代になった

 

テクノロジーは歴史的に人類の発展を大きくサポートしてきた。活版印刷技術、自動車、電話機、飛行機、インターネットetc、例を上げれば枚挙にいとまがないが、共通するのは大きなプラットフォーム的テクノロジーが時代を変えてきたという事実である。

しかし、最近どうもサービスのトレンドが読めない。読めないというか節操がない。どのサービスが来るのか、スマホの次はなんなのか。ライフスタイルの大方針をどうやって決めればいいのかわからない。

ここ2,3年のテクノロジーの進化を見ると「1つのテクノロジーによる大変化」というよりも「多数のテクノロジーの組み合わせによる怒涛の小変化」が進行している気がする。

自動車という大発明があってそれが普及していくというシンプルな流れではなく、「スマホ×写真×チャット×AI」みたいな小波の連続。こういう時代の流れについては、大局を見極めて優勢につくという悠長な戦略がどうも機能しにくいんじゃないかと、直感的にモヤモヤしていたところだった。

そんなモヤモヤをこの本は解決してくれた。答えは「多動せよ」である。

 

インターネットというものが「水平分業モデル」だからである。「水平分業型」の反対は「垂直統合型モデル」で、その代表としては、テレビ業界がわかりやすい。テレビ業界は各局が番組制作から電波の送信まであらゆるレイヤーの業務を垂直に統合している。またリモコンを見ればわかるように、限られたチャンネルによる寡占状態なのでイノベーションは起きにくい。反対にインターネットは「水平分業モデル」だ。電話もフェイスブックも、動画もゲームも電子書籍も、すべてがスマホ上のアプリという一つのレイヤーの中に並べられる。そこには2、3年でプレイヤーが入れ替わるような熾烈な競争がある。グリーやモバゲーの勢いがあったのははるか昔のように感じられ、数年前には存在しなかったLINEやメルカリが生活の中心になり、1年後には、まったく新しいアプリが登場しているだろう。

−「はじめに」より

 

私は無意識のうちに次の「大波」を待っていたようだ。これこそ昭和の価値観である。しかしホリエモンに言わせればインターネットが普及するともう大波は来なくて「小波」の連続しかない。たしかにWebサービスの業界に転職した友人たちはものすごい速度で転職を重ね、経験と成長を重ねている。まさに多動主義が時代適応型の生き方になっているのだ。しかし多くの日本人はその前提で人生を設計していない。

 

小波が連続する時代、資産は負債に変わる

 

資産や資格をもっていることで、むしろ腰が重くなる人が多い。そんなものさっさと捨てて、やりたいことをやったほうがいい。「祖父から土地を引き継いだので、この土地を使って何かできませんか?」「ソムリエの資格をもっているので、この資格を生かした仕事をできませんか?」という類の質問は多い。なぜ、みんな今もっているものをなんとか生かそうという発想になるのだろうか?こういった貧乏根性があると、結局は損をしてしまう。まず、発想の仕方が逆なのだ。「●●をしたい→●●が必要」というのが筋であって、「●●を持っている→●●をしないともったいない」というのは大体うまくいかない。

−「資産が人を駄目にする」より

 

今いるポジションを使って何かできることを探そうとしている人にとってこのメッセージは衝撃的だ。それを捨てろといっているのだから。この言葉を表層的に受け取ると「会社をやめて歌手になりました」ということになってしまうのだが、このメッセージの本質は「やりたいことから逆算せよ」である。

たとえば「仕事でやりたいことを考えろ」というと、銀行員の人は無意識のうちに銀行員であることを利用した範囲内で思考してしまっている。アパレル業界にいる人はアパレルの知識やネットワークの範囲内で考えがちだろう。しかし、水平分業の時代、その考え方が損をすると堀江氏は言っている。

アイドルをプロデュースしたいんだったら、そこに向かってとりあえず進めばいい。芸能事務所やテレビ局、広告代理店の人間が集まる場所にいって「アイドルのプロデュースをしたいんです」と申し出て、最終的に事業を立ち上げてそこにCFOとして参画することだってできるかもしれない。未来は分からない。だからこそまず動いてみることが大切なのだ。要は、現在の資産に捕らわれて動けないことの機会損失こそが最も回避すべきことなのだ。

 

やりたいことがない人への処方箋、まずやれ!

この本を読んで直接的に救われるのは「やりたいこと」が山ほどある人だろう。でもやりたいことがない人はどうすればいいのだろう。私はこういう人にこそ「多動力」を身につけるべきなんじゃないかと思っている。実際、私自身5年位前まで「少動的な」人間だった。決まったルーティンが大好きでフットワークも重かった。しかしその先には決まりきった景色の決まりきった生活しかないのだという悟りを持ってからとりあえず目の前のことをなるべく楽しくしようと動き始めた。動いてみてわかったのは、行動を起こせば起こすほど等比級数的に結果が伴ってくることだ。

アウトプットをし続けるとその何倍もの情報が集まってくる。「よくそんな文章を書けますね」「サロンいくつやってるんですか?」と言われることも多いがそれはアウトプットすることによってインプットが集積し、それを料理することでさらなるアウトプットが可能だからだ。

だから「やりたいことがない」という悩みを抱えている人はまず少しでも心が動く対象があれば、やってみることが近道なのだ。どうやら傍観者には厳しい時代になってしまったようだ。

「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々」

なのである。

 

 

 

 

おしまい

 

ホリエモンの書籍でおすすめのもの

→『多動力

→『本音で生きる

→『ゼロ