仕事

副業戦士に捧ぐ『サボりハック』

今回は副業戦士のShimizuさんから「サボりハック」が届いています。
うまくサボるのってQOLを高めるのに重要だと思うんですよ。
私もよく疲れたらオフィスのすみっこで昼寝してます。笑

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はじめまして、Shimizu(Twitter: @shimizun14)です。

都内の企業で働いているのですが、最近PuANDAさんの主催する副業ラボに参加し、本格的に副業を始めました。男たるもの稼いでナンボ、ということで頑張っております。

さて、僕と同じく本業と副業でガンガン稼ごう、と意気込んでいる方も多いとは思いますが、我々副業戦士にとって喫緊の課題が、いかに副業する時間を捻出するか、であります。

時間は皆平等に1日24時間です。時間を増やすことは残念ながら出来ません。
仕事の処理効率を上げましょう、というのが最適なアプローチになります。

ただ、仕事効率化に関するTipsというのはネットを叩けばいくらでも出てきます。
代表的なものだと、

・メールを確認するタイミングを決めておく
・ショートカットキーを使いこなす
・仕事を仕分けし、優先度をつける

パッと思いつくだけですが、このような話はよくあります。

こうした仕事効率化はどんどんやってほしいのですが、副業をやっている人というのは総じて真面目な人が多いはずです。
本業だけでも大変なのに、さらの副業で社会に貢献しようとしている志の高い人たちですからね。真面目はいいことなのですが、その性格から何事もきっちりしすぎてしまい、結果的に副業に影響が出てしまっている人も少なくないのではないでしょうか?

何が言いたいかと言うと、うまくサボることの重要性です。

本業は確かに大事です。サボった結果成績が落ちてしまっては意味がありません。
ただ、不必要なことに時間とエネルギーを使わずに済めば、
もっと副業が捗ると思いませんか?

ということで、副業戦士に贈るサボりハックを紹介させていただきます。

<〜朝編〜>

一日の始まりである朝。
朝型の人は、早起きして副業している人もいるかと思います。
僕はどちらかというとむしろ朝型に人を尊敬しているのですが、正直夜に結構集中できたりするのもあるので、朝型に切り替えるのは半分あきらめていますw

僕のような早起き苦手人間は、いかにしてギリギリまで寝るか、ということにフォーカスしましょう。

ここでサボりハックひとつめですが、

– 職場の近くに住む

やはりこれに尽きます。
始発に乗って座りながらゆっくり本を読む、という人もいるかと思いますが、僕はすいませんが反対の立場です。わざわざ電車でやらなくてもいいと思うので。電車じゃなくても本は読めます。移動時間は極限まで削るのがサボりハックです。

※僕はdoor to doorで10分程度ですが、人生変わりました。家賃上がりましたがQOLはそれ以上に爆上がりですそして、さらに朝の時間を快適にするサボりハックがあるのですが、

– 朝イチでクライアントアポを入れちゃう

これは毎日は無理ですが非常にオススメです。こうしてれば朝会社に行かなくてよくなります。たとえば9時始業の会社であれば、9:30もしくは10:00ぐらいからお客さんとのミーティングを入れてしまいましょう。

そうすると、朝来なくても「あいつは今日直行だ」となるので、条件にもよりますが、アポ先が家と近ければその分寝れます。

で、そのアポが終わればお昼前ぐらいなので、ついでにランチも出先で食べ、ちょっとカフェでも寄ってひと仕事、もしくはひと休みできちゃいますね。

さらにさらにこれはだいぶ裏技ですが、アポが入ってると見せかけて実際は何も入れてない、というのも、会社によってはアリかもしれません。

こうすると、10時からアポ、と上司ならびに同僚は認識してますが、実際は何も予定が入ってません。つまり、午前中はまるまる自分の時間に出来ちゃいますw
ある程度の裁量を持っていれば出来なくないはずなので、副業が立て込んでいる、もしくは疲れている場合は使ってみてください。

※何かあっても責任は負えません

<〜昼編〜>

さて、出社して本業の仕事を次々とこなしているはずです。
基本的に日中は本業にコミットすべきですが、ひと工夫すれば
時間は捻出できます。
早速いってみましょう。

– サテライトオフィスを持つ

 

これは、自分のデスク以外に自分ひとりになって作業ができるスペースを持ちましょう、という意味です。会社近くのカフェでも構いませんし、もしくは社内のフリースペースでもいいのではないでしょうか。とりあえず一人になる、というのが重要なので、必ずサテライトオフィスは持ちましょう。あとは仕事するなり休むなり、有意義に過ごしましょう。

– ミーティングで重要な「やってる感」

1日の中で、社内ミーティングに出なきゃいけない場合もあると思います。
重要なものはもちろんフルパワーで頑張るべきなんですが、中には進捗報告会など、ぶっちゃけ出なくてもいいようなものもあるはずです。そんな時に、あんまり参加してないんだけどけっこう頑張ってるように見せるテクニックがあります。

言い換え/要約/質問

これらを積極的に使っていきましょう。

例えば、前年比で30%売上伸びてきてますね、みたいな話になったとします。
その時に、ぼそっと「3割か…」とかわかったように言ってみたりします。言い換えてるだけなので全く価値はない発言なのですが、少なくとも参加しているという証明にはなりますね。

または、話の節々を聞いた上で、要約してあげるのもいいです。
「要するにxがyだからzだよね」みたいな。
ある程度話を聞いている必要がありますが、要約し終わればしばらくその会議からは注意を背けてもいいはずです。

最後に、単純に質問とかするだけでもいいです。「これってどういうこと?」「この数字って先月のやつ?」とか、なんでもいいので隣の人とかに聞いて、参加してる感を出しましょう。

しょうもないミーティングは出ないのが最善なんですが、そうも言ってられない時は上記のような「やってる感」で乗り切りましょう!

意外と使えます→『会議でスマートに見せる100の方法

<〜作業編〜>

会社の仕事と言えば、やはりメールの返信が多かれ少なかれ
ついて回ると思います。日本の会社だと体裁を非常に重んじるので、

「お世話になっております」
「何卒よろしくお願いします」

みたいな、大して意味もない枕詞が多用されます。
(いまだに慣れないんですがなんとかならないんでしょうか…)

面倒なんですが周りから色々言われるのも余計に面倒なので、効率的にメールを返すための辞書登録テクニックを伝授したいと思います。

人によるとは思いますが、僕は基本的に2文字で登録します。

よろ⇒よろしくお願いします。
おつ⇒お疲れ様です。
おせ⇒お世話になっております。
あり⇒ありがとうございます。
もう⇒申し訳ございません。
しつ⇒失礼いたしました。

こんな感じです。ただお礼を言うだけのメールであれば、

おせ⇒変換⇒あり⇒変換⇒よろ⇒変換

これだけのキーボードタッチで、

お世話になっております。Shimizuです。
ありがとうございます。
よろしくお願いします。

これぐらいは打てます。
※実際はもう少し長くなるかもですが

いつもお世話になっておりますと打つ人であれば、

いつ⇒いつもお世話になっております

これで登録すれば一瞬です。
特に日本では枕詞や挨拶が長すぎるので、辞書登録はマストですね。2文字登録、使ってみてください。

まとめると、

職場の近くに住んで睡眠時間を確保し、朝イチのアポとサテライトオフィスで一人の時間を捻出。謎のミーティングはやった感を出して乗り切り、メール処理は辞書登録で効率的に終わらせる。

これで夜は早く帰って、副業に精を出せば結果もついてくるはずです。

より具体的な方法やアイテムなどは私のこちらの記事にまとめてあります。興味を持たれたかたはぜひ読んでみてください。

『SLEEPを読んで考えた理想のサボり生活』

副業戦士の皆様、ともにがんばりましょう。

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Shimizuさん、ありがとうございました。
うまくサボることは生産性を高めることでもあります。
みなさんもしょうもない仕事はどんどんサボって意味のある仕事にパワーを割いていきましょう!

チカンする奴が生き残る時代

エコノミスト誌の「ビッグマック指数」と、僕がその街にマクドナルドがあるかどうかを気にかけるのは、少し違う。僕が判断しているのは、マクドナルドが出来てしまった観光地は、年々つまらなくなるのを、長年の旅の経験から知っているからだ。石垣島にマクドナルドができてから、まるで別のしまに変貌してしまったかのように。

高城剛『多動日記』

 

旅が好きな人間ならこの文章に共感する人は多いんじゃないだろうか。せっかく都会の喧騒を離れてやってきた異国の地で空港を出てマクドナルドとスターバックスを目にしたときのガックリ感。どこまでも追いかけてくる資本主義的日常。

「お天道様が見ている」ように、グローバル資本主義は異国の地であなたが消費したコーヒー一杯分の履歴までおいかけてくる。共産主義の祖カール・マルクスは19世紀の人間だが、彼が著書『共産党宣言』で資本主義に対して危惧した内容が今になって一般市民にも共感できるレベルで伝わってくる。

ブルジョア階級は、世界市場の開拓を通して、あらゆる国々の生産と消費を国籍を超えたものとした。反動派の悲嘆を尻目に、ブルジョア階級は、産業の足元から民族的土台を切り崩していった。民族的な伝統産業は破壊され、なお日に日に破壊されている。それらの産業は新しい産業に駆逐され、この新たな産業の導入がすべての文明国民の死活問題となる。そうした産業はもはや国内産の原料ではなく、きわめて遠く離れた地域に産する原料を加工し、そしてその製品は、自国内においてばかりでなく、同時に世界のいたるところで消費される。国内の生産物で満足していた昔の欲望に代わって、遠く離れた国や風土の生産物によってしか満たされない新しい欲望が現れる。かつての地方的、一国的な自給自足と孤立に代わって、諸国民相互の全面的な交易、全面的な依存が現れる。そして、物質的生産におけると同じことが、精神的な生産にも起こる。ここの民族の精神的な生産物は共同の財産となる。民族的な一面性や特殊性はいよいよ保持しがたいものとなり、数多の民族的および地方的文学から、一つの世界的文学が形成される。

マルクス『共産党宣言』
ここでは「ブルジョア階級」をグローバル企業と置き換えるとしっくりくる。利益至上主義の資本主義を追求し、至る所で貨幣による交換可能な経済システムを構築した結果、世界中の都市で似たような風景が広がることになった。

『多動日記』ではマクドナルドだらけのマルセイユを指して、面白みのない都市と言い切る。日本でも、すき家やガストなどのファストフード店が国道沿いに並び、イオンのショッピングモールを目指してミニバンが渋滞しているような郊外都市的風景は、いたるところに存在する。そしてそれは何の非日常的な面白みも喚起しない。その一方でグローバル資本主義がどれだけ広まろうとも固有性を維持している地域や都市が存在しているのも事実だ。この違いはどこから来るのだろうか。

オーストラリアのバイロンベイは、地方条例でファストフードの出店を禁止している。そのような他の街と違う場所なので観光客が集まり、なにもない人口6千人の街に100万人を超える観光客の集客に成功している。観光戦略を考える際に、なにか目玉を作ろうとする人が多いが、足し算より引き算で考えたほうがうまくいく好例だろう。

『多動日記』

ジェイン・ジェイコブズの『発展する地域 衰退する地域:地域が自立するための経済学』という書籍がある。都市の発展と衰退のダイナミズムについて実地的な検証を行った名著である。

地域経済を転換させる唯一の力は、善かれ悪しかれ、輸入置換都市に端を発する大きな力、すなわち、都市の市場・仕事・技術・移植工場・資本である。そしてこれらのうちの一つが、自前の輸入置換都市をもたない遠隔地に不均衡な形で及んだとき、その結果は悲惨でアンバランスなものになる。人々に見捨てられた地域の場合、この不均衡な力とは、遠方の都市の仕事による牽引力である。この力は、ある地域の人口を流出させることはできても、地域の経済を転換させることはできない。

(『発展する地域 衰退する地域』)

この書では、都市が経済成長するためには「これまで他の都市から輸入されていた財やサービスを、自分の都市で生産できるようにならねばならない」(=輸入置換すべし)と述べている。逆に言えば、何かを他の都市に頼っている場合その地域は衰退してしまう可能性があるということである。では輸入置換を行うためには何が必要なのだろうか。台湾をひとつの成功例として以下のように述べられる。

もしかすると、台湾で起こったことは、他のところでは不可能かもしれない。台湾でうまく作用した都市の資本のインプロビゼーションは、他のところではうまく機能しないかもしれない。しかし、経済的なインプロビゼーションの成功とはそもそもそういうものなのであり、インプロビゼーションがうまくいくとしたら、原因はそれが抽象的または理論的に「正しい」からではなく、時と場所と手近にある資源と機会とが現実に合っているからなのである。インプロビゼーションがうまくいけば、経済活動は驚くべき発展を遂げるのである。

(『発展する地域 衰退する地域』)

インプロビゼーション(Improvisation)とは即興という意味である。ありあわせの素材で何かを作り上げること。つまり都市が経済的に成功するには、地理的・文化的・気候的・歴史的に「うまいこと価値を拵える」必要があるのである。

その(台湾の成功の)原理は次のように要約できる。「自分たちの安い労働力が外人に利用されるくらいなら、我々自身がそれを利用すべきである」。また、「外国からの移植工場が、われわれにも利用できる経験や技術を与えてくれるなら、われわれはそれを自分たちの意にそうように利用することができる」。

外資企業に労働力を使われる前に内資企業に人材を回せ。外資企業が持っている技術やノウハウをうまく盗んで使え。「置換せよ」ということだ。この意味で、明治政府が行った「お雇い外国人システム」は非常に有効な方法論だったと言えるし、逆に外資企業を丸ごと誘致する戦略は都市を魅力的にするためにはワークしにくいということだ。

ジェイコブズの分析を借りるなら、グローバル資本主義のなかで固有性を保持するためには、McDonald・STARBUCKS・ZARA・UNIQLOという企業誘致を行うより前の段階で、彼らが中枢で持つノウハウや技術を土地に残す回路を用意しておくべきだろう。グローバル資本主義にヤリ捨てされないためには不器用でもいいから自前の爪痕を残そうという気概にある。

この原則は人の成長にも当てはまると思っている。すなわち、「不器用でも自前の材料で創造することが、結果的にその人の養分となり、価値を高めてくれる」ということ。

今の時代、派遣会社やクラウドソーシングを含めて、何事も外注で済ますことがよしとされがちだ。確かに固定費のカットや効率化を考えると、内製よりも専門家への外注は圧倒的だ。ただし、あらゆる外注を削ぎ落として残るものが、果たして真に競争力があるものなのかを考えると多くの疑問符がつく。最終的に行き着く場所はマルクスの指摘するとおり、似たり寄ったりのコモディティ人材になる可能性が高い。

あらゆるモノゴトを外注(輸入)できるようになった時代だからこそ、逆に自前でやってみようとすることによって、競争優位が生まれるというパラドックスが生まれている。チカンする者が生き残る時代ということだ。

 

 

おしまい by PuANDA( @shoichirosm )

 

参考書籍:

・高城剛『多動日記

・カール・マルクス『共産党宣言

・ジェイン・ジェイコブズ『発展する地域 衰退する地域:地域が自立するための経済学

 

 

サヨナラ、昭和の幸せモデル

 


ワーク・シフト』の著者リンダ・グラットンと、経済学の権威アンドリュー・スコットによる「100年時代の人生戦略」がテーマの書。この本の要点は以下の2つだ。


100年時代の人生戦略のポイント

1)高齢における病気の克服により実質的な長寿化(健康寿命の延長)が進行すると、老後の資金の必要性から「教育期→仕事期→引退期」モデルは崩れていく。求められるのは、ステージを移行しながら自分の人生を主体的に生きていくスキルである。

2)人生が長期化すると様々なリスクや機会に備えるため、金銭的な有形の資産と、家族や友人関係、知識、健康といった「見えない資産」とのバランスをとることがますます重要となる。この「見えない資産」は生産性資産、活力資産、変身資産の3つに大別される。特に見えない資産は市場では売買できない(80歳のときに一生の友人を「購入」することはできない)ため、すべてのステージを通じてコツコツ投資を続け、自らを再創造することが重要になってくる。


ポイントは、アップデートし続けられるか

日本も含めて高齢者介護・医療や年金問題ばかりが議論されているが、そもそもなぜこのような事態に陥っているかというと人が80年以上健康に生き続けるというモデルを国家の仕組みや制度に組み込んでいなかったことが大きい。まずすべきなのは「老い」自体の概念を変えること。そして人生全体を設計し直すことなのだ。ライフシフトはそのための教科書兼提案書といったポジションを持つ書籍である。

「教育→仕事→引退」という3ステージの人生が一般的だった時代は終わり、70代以降も働かなければならない時代はもう目の前に迫っている。だったら定年を80歳まで延長すればいいというのは、企業寿命が30年と言われる時代に非現実的だ。むしろ早くから複数のキャリアを準備して、ライフステージに応じて移行させていく「マルチステージ」の人生に今後は突入していく。

そのとき必要となるのは、画一的な生き方にとらわれず、生涯「変身」を続ける覚悟だ。キャリアの選択肢だけでなく、パートナーシップのあり方、友人関係、居住地に関しても新しい考え方を持たねばらない。

『ライフシフト』で述べられているのは、今後絶対寿命が伸びるのでお金・人関係を含めた老後の人生を若いときからデザインし、つねにアップデートしていきましょうという話である。

*****

長寿化がもたらす恩恵は、煎じ詰めれば「時間」という贈り物だ。人生が長くなれば、目的意識をもって有意義な人生を形作るチャンスが生まれる。バイオリニストのスティーブン・ナハマノヴィッチは、創造性についての著書でこう述べている。

時間がたっぷりあると思えば、立派な大聖堂を建てられるが、四半期単位でものを考えれば醜悪なショッピングモールが出来上がる。(中略)長寿化は、人がショッピングモールではなく大聖堂を建てることを可能にするのだ。

−本書・第6章より

*****

 

私が重要と感じたのは人生に必要な新たな3つのステージという概念だ。


人生の新しい3つのステージ

長寿化と資産の重要性を鑑みた時、人生において、次の3つのステージが新たに登場する。

 

エクスプローラー

一ヵ所に腰を落ち着けることなく、身軽に探検と旅を続け、幅広い針路を検討する「エクスプローラー(探検者)」の時期。この時期では、多様な人たちの苦悩や喜びを自分事のように考える「るつぼの経験」が組み込まれていることが望ましい。他の人生の物語にふれることで、自分の価値観が揺さぶられ、アイデンティティについて熟考できるからだ。

 

インディペンデント・プロデューサー(独立生産者)

組織に属さずに、自由と柔軟性を重視して小さなビジネスを起こす「インディペンデント・プロデューサー(独立生産者)」の時期。このステージの人たちは、事業活動自体を目的としており、試行錯誤しながら未来を探索する「プロトタイピング」を通じて、学習を深めていく。このステージでは、安心して失敗できるからだ。現在の18~30歳の層にとっては一つの選択肢になりつつある。彼らは都市部にある創造性の集積地に集まって、みんなで協働する精神を重視している。

 

ポートフォリオ・ワーカー

異なる種類の仕事や活動に同時並行で携わる「ポートフォリオ・ワーカー」の時期。他の新しいステージと同様、年齢を問わず実践できるが、この生き方をとりわけ魅力に感じるのは、すでにスキルや人的ネットワークの土台を築いている人たちだ。このステージにうまく移行するには、フルタイムの職に就いているうちに、小規模なプロジェクトで実験を始め、汎用的スキルや社外の多様なネットワークといった変身資産を育むことが望ましい。
個人的に感じたのは日本においてこの3つのステージはマイノリティであるということ。学生からそのまま企業へと就職し、自らビジネスを起こす経験なくそのまま老年を迎える。転職のない一本道のキャリアの場合はポートフォリオ・ワークを行うスキルもネットワークも育っていない。

 

私は昨年からはじめて本格的に副業を始めた。現時点で収入口はブログの執筆、noteの販売、サロンの運営、不動産の運営、事業会社へのコンサルティング、アフィリエイト、投資など多岐に及ぶ。(いずれも微々たるものだが)

やってみて思うのはどれも最初はまったく稼げないということだ。しかしあるとき急にノウハウを理解したり、人脈を介して紹介してもらったりすることでそのポートフォリオの一口が華を開いたりする。だから副業もとい複業についてとるべきスタンスは長期保有なのである。現在の日本人のマジョリティの生き方として「長期で複業を持つ」というスタンスはほとんどモデルとして存在しない。


「昭和の幸せモデル」からいかに早く脱却できるか

「ライフシフト」が行う提案の真反対を行くのが実は日本の戦後・昭和時代の幸せな生き方モデルだ。
男はいい大学にいって大企業に就職し、途中で専業主婦の奥さんをもらって35年ローンを組んで家を買う。定年60歳まで勤め上げ、その後は引退、年金暮らし。今どき、鼻で笑ってしまうような超ハイリスクな生き方である。
「大企業でリストラされたらどうするの?」「そもそも倒産するんじゃない?」「奥さんと仲悪くなったら?」「不動産って今後下落トレンドですよ?」「年金もらえないかもしれませんよ」四方八方からいじわるな質問が飛んできそうである。

個別で見ると馬鹿らしいが、でもそれらをまとめあげた「昭和の幸せモデル」にこだわっている人はまだまだ多い。このようなハイリスクモデルが支配的な理由は、ひとえに団塊世代の人口ボリュームが原因だろう。彼らの価値観がそのままマスメディアから拡大伝達され、クルマ・不動産・家電、その他サービスに、マーケティングというお題目を通じてビルトインされる。

私の周りでもキャリアの早い段階で転職を経験し自らの市場価値を認識している人は、昭和の幸せモデルを脱却している人が多い。たとえば結婚しても親の実家に住んでいたり、クルマはカーシェアリングやレンタルで済ませていたり、あるいはライフワークとして副業を会社に認めてもらっていたりする。ただこれらの生き方は全体で見ればまだまだ少数派で一つの会社にしがみついて出世していくことが正しいという価値観は依然強く残っている。

私自身は別にその生き方を否定するわけではない。実際にそのルートに乗って非常に華々しく活躍している友人も数多くいる。ただし、くれぐれもマジョリティの生き方を選んで安心しないこと。20世紀は多数派が地位と権力を得る時代だったが、21世紀は少数派がそれらを奪還する時代なのだから。

 

 

 

おしまい by PuANDA( @shoichirosm )

 

 

関連note

50年働く時代のキャリアの考え方
−60歳で定年する時代が終焉し、働き続けなければならない時代に、どのようなキャリア形成をすればいいのかを考察しています。

マイナンバーで副業が会社にバレるのか?
−サラリーマンは副業すると確定申告をしなければいけません。そのときに副業が会社にバレないための方法論を検証しました。

正しい副業の始め方を副業コンサルの悠斗さんに聞いてみた
−アフィリエイト歴10年の悠斗さんに副業を始める際のコツと注意点と聞いてきました。

すべての方法論オタクたちへ

 

大学時代の友人で大手予備校の講師になった友人がいる。

たまたま昨年末、飲む機会があったので、品川の適当な居酒屋で数時間だけ飲んだ。
全国のクラスを回っていてその日は冬季講習で大阪から帰ってきた彼はスーツケースを下げてやってきた。

そのとき印象に残った話。

今の子ども(受験生)はある意味不幸な環境にある。
調べればなんでも情報が出てくるせいで、一つのやり方を信じて愚直にマスターすることがどんどんやりづらくなっているという。

ためしに「予備校講師 評判」なんかで検索するとアフィリエイトっぽい作り方をされたサイト、口コミサイトなどがドゥワワワっと表示され、嘘か本当か分からないレビューが読み切れないほど掲載されている。
受験勉強をやる前の人間がこういう情報を目にしてしまうと、きっと一歩踏み出すことを躊躇してしまうのだろうなと思う。

私が受験生だったころ以上に今の受験生は勉強方法の選択肢が増えている。脳天気な大人はそれを手放しに賞賛するかもしれないが、実際の受験生にとっては気が散る要因になっていると彼は言う。

 

選択肢が増えると幸福度が下がる

私たちは皆、その(選択肢が多いことの)良さは知っています。ですから私は悪い面について話したいと思います。全ての選択には2つの影響がでます。どちらも悪い影響です。1つは、矛盾していますが、これが開放感ではなく無力感を生むということです。あまりにも多くの選択肢を前にすると、人は選択が非常に難しいと感じます。これの非常に良い例をひとつ出しましょう。定年後の年金投資計画に関する研究において、私の同僚がヴァンガードという巨大な投資信託会社から、約2000ヶ所の職場に渡る、約100万人の社員の情報を手に入れました。
彼女が調べたところによると、会社が提示する投資信託が10件上がるごとに 参加率は2%落ちたという結果が出たのです。50件の投資信託を提示すると、5件提示した時と比べて10%少ない社員が参加する。何故でしょう?
50件もの投資信託が提示されると、どれを選べばいいのか決めるのがとても難しくなり、人は「明日やろう」と後回しにしてしまうのです。次の日も「また明日」、「また明日」と延びていき、結局決断を下す「明日」は2度ときません。

http://logmi.jp/26437

講師の彼によると情報収集リテラシーのあるそこそこ頭のいい生徒ほどこの罠に陥るという。私の観察するところでもあるのだけれど、頭がよくてリスクを嫌う人種ほど「批評家」ポジションに行き着いてしまう。あれこれ情報を集め、失敗する理由をいくつも見つけ出し、結果自身で行動することを拒否してしまうからだ。ただ批判する能力は超一流で、その批判に捕らわれて自分自身が動けなくなっているほどである。受験生で「あの参考書は解説がよくない。あの講師は実は嘘を教えている」などやたら裏事情に詳しい生徒ほど実際の勉強自体に時間とエネルギーを避けず、本来のゴールである合格から遠ざかってしまう。

彼が言うには、参考書でも講師でも平均以上の評価で直感的に「合うな」と感じるものが現れればその瞬間から他を遮断して邁進する人間がもっとも成績が伸びるという。大学時代、哲学の授業で「常に疑え、自分が今考えていること自体が虚構かもしれないのだ」みたいなことを教わったけれど、そういう態度は現実社会で決められたゴールを突破する態度としてはとても不利である。

もちろん自らを俯瞰しその都度向かう先を微調整できる能力自体は十分価値がある。ただしその能力の副作用として「決められない」症候群に陥ることがあることを理解し、意図的にその能力を遮断するスキルを使える段階にいけるまでは、実はそこまで有益な能力でもないのかもしれない。

 

これを読んでいる人のなかには、就活生で複数内定をもらっていて、就職先を一社にしぼりきれないという人がいるかもしれない。「複数恋愛」をしていて彼女を1人に選びきれないという人がいるかもしれない。

そのときはこう考えてみるのもいい。
「選ばずに何もしないよりは、選んで失敗したほうが人生は面白くなる」
失敗することには価値があるのだ。

 

ここで私が言いたかったことは、「戦略と実行」のバランス感覚である。メタゲームとしての「どの戦略で動くか」という命題には時として値千金の価値がある。ただメタゲームをすすめる上で隠れた成功要因となってくるのが、「シミュレーション能力」と「実行フェーズへすぐにシフトできるフットワークの軽さ」である。現場経験のないロジックだけが正しい正論には価値がないし、実行できないお題目はストレスを生む分むしろ弊害である。

 

自分が方法論オタクに傾いてきたなと感じたときは頭の抽象度をあえてダウンさせ、現場に出てみることが実はもっとも有効な解決策であることが多い。

 

頭のいい若い人たちが陥りがちな罠。寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』というタイトルにはそういうメッセージが込められているのだと思う。

 

おしまい by PuANDA( @shoichirosm )

新時代のメディア・コンテンツ論

モテたい男のデートコースマガジン・Forkyというウェブメディアはご存知でしょうか。

2017年4月末にローンチされ、すでにかなりのPVを稼いでいるようで、ちなみにこのメディアのなかに私自身も記事を書いています。Forkyのコンセプトは以下のようなものです。

総フォロワー100万人以上のインフルエンサーが執筆・監修する男性向けデートコースメディア。『Forky』とは、“男性の魅力(デートのエスコート力)を上げて大好きな彼女を作れるようになる”をコンセプトにインフルエンサー及び恋愛に精通する方たちの提案するデートコースを紹介するサービスです。

■サービス特徴
(1)1軒目・2軒目・3軒目と点ではなく線でのデートコースを紹介
(2)総フォロワー100万人以上のインフルエンサーが執筆・監修
(3)各界の著名人による男性の魅力が上がるためのコンテンツの寄稿・対談など

Forky(フォーキー)
公式WEBサイト公式Facebook公式Twitter公式Instagram

(プレスリリースより引用)

特筆すべきポイントはライター陣がプロのライターではなく、インフルエンサーであるという点でしょう。ホリエモン・MB氏・はあちゅう・暇な女子大生・萩原清澄氏など界隈の錚々たるメンバーが顔を連ねています。これは2016年末話題になったwelq等のキュレーションメディアとは一線を画す特徴だと言えます。物書きを生業にするライターではなく、多くのフォロワーを有するインフルエンサーを記者に利用する。これの意味することは何でしょうか。いくつかのブログ記事を通して考察してみます。

 

「メディア>コンテンツ」時代の終わり

以下に引用するのはキングコング西野氏が読売テレビの収録に対してブチ切れて帰ったと言われるエピソードについての本人による記述です。

今回の読売テレビさんのロケのように、時々問題になっているのが、その瞬間に垣間見える「(タレントを)出してやっている」「(店を)取材してやっている」というテレビ側の俺様姿勢。一昔前は、放送局や新聞社の力を借りないとマス(大衆)に向けて、エンタメや情報を届けることができなかったのですが、今は、個人がマスメディア化し、お客さんとダイレクトに繋がれる時代になり、ニュースを自分で発信できるようになったので、テレビと個人がウィンウィンの関係でないと、テレビに出演する理由がなくなりました。テレビが「悪戯に煽って、感情を逆撫でし、不用意な発言を誘発させて、その部分だけを刈り取って電波に流す」という下品な技を決め込んでくるのなら、ハナからテレビを排除できる時代になったわけです。史上最もSNS親和性の高い大統領、ドナルド・トランプの言葉を借りるなら、「マスコミを迂回して声明を表すことができる。そうなれば自分が発言にこめた地味がキープでき、マスコミがこれを歪曲するのを我慢せずにすむ」です。スゲー簡単に言うと、「マスコミを経由する理由が昔ほど無くなった」というところ。今回、読売テレビさんは、時代がこのフェーズに移ったことを踏まえていなかったのでしょう。

【キンコン西野】収録中にブチギレて帰った後の整理より

西野氏はマスコミという言い方をしていますが、彼の言うマスコミとはすなわちマスメディアのことです。彼のなかでは明確にメディアとタレントは独立・対等の関係であることが明言されています。「そんなの当たり前じゃないの」と思われるかもしれませんが、マスメディア(特にテレビ)とタレント(事務所)は持ちつ持たれつの関係を続けてきました。ミュージックステーションには必ずジャニーズ枠があるし、レコード大賞の受賞者は政治的な理由で決まっていたりするわけです。それはタレント側からすると、テレビに出ること、CMに出演することが「おいしかった」からなわけで、そしてテレビ側からすると、人気タレントを擁する事務所に貸しを作っておくことがやはり「おいしかった」わけです。しかし西野氏は個人がマスメディア化した結果この関係は終焉してしまったと述べています。

実はこの話をまったく別の文脈で述べている記事があります。メディアコンサルタントの境治氏のコラムです。

 

誤解を恐れずに言えば、これまでの業界はメディアの価値を異常に高めて守ってやってきたんです。そこを変えないといけない。いやメディアの価値が高いのはいいことですけど、コンテンツの価値を高めることでメディアの価値を高める、そういう哲学になってなかった。メディアの価値を高めるために、コンテンツを安く使っていただけなんです。テレビ局や大手代理店の給料が高くて制作会社の給料が安いのは、その現れです。逆だっていいはずなのに、なぜか制作会社は「おれたちプロダクションですからね」と最初から決めつけちゃっている。大事なことを決めるのはテレビ局や代理店の人たちだと思い込んじゃってる。テレビ局や広告代理店の中でも、制作の人たちは一時期ちやほやされても、結局はあまり偉くならない。そりゃあそうですよ、だって業界構造が、コンテンツよりメディアを重視しているのだから。

去年、これまでのパラダイムが終わったとしたら、「メディア>コンテンツ」の構図も終わったのだと思うのです。「コンテンツ>メディア」になったはずです。業界中の会社が労働基準局にビクビクしながら残業を制限し、足りない人手をどんどん補っているのは、大きくいうとコンテンツが主の時代になったんだと思います。関係ないようで、密に関係していることだと思う。

「コンテンツ>メディア」という把握は少し違うかもしれません。「コンテンツ=メディア」なのかも。対等になったという意味ではなく、コンテンツそのものがメディアになった。だからコンテンツそのものの価値がぐんと高まる、ということですが。それは裏を返すと、メディアだけでは価値を持てなくなってきた、ということでもある。

時代は結局、変わるべき方向に向かっていく。十数年かけての方向転換の「転換点」が、今なのだと思います。

Adver Times 境治氏のコラムより

境氏は広告業界の方だそうですが言っていることはキングコング西野さんと同じです。メディアとコンテンツ(=タレント)の関係が反転したというのです。もっと言うとメディアは存在意義を失い、コンテンツそのものがメディアの地位にとって変わったといっても過言ではありません。だって、ローラさんのインスタグラムのフォロワーだけで450万人いるわけですから、これだけで十分マスメディアです。女性誌でいちばん部数を稼いでいる『VERY』でも30万部なんですから、トップタレントはすでにマスメディアよりパワーがあるといっていいのかもしれません。

企業より個人の時代

私はコンサルティングの仕事上、企業メディアの運営・改善にも関わることがあるのですが、たいていメディア運営の経験のない素人の担当者はYahoo JAPANのような壮大なポータルサイトを作ろうとします。化粧品メーカーなら化粧品や美容にかかわる情報を一手に集めることであらゆる層を集客しようという魂胆です。その発想は十分理解できるのですが、まあ、時代遅れです。何十億の予算がないかぎりうまくいかないでしょう。

クロネコ屋@アフィリエイターさんは、この点について独自の分析を述べられています。

DeNAのキュレーションメディアの問題によって、少なからず読み手であるユーザーも『誰が書いているのか』を意識するようになってきていると思います。クラウドワークスで集められた1円ライターが仕事で書いているのか、それとも個人が趣味、あるいは善意で書いているのか。同じような内容のコンテンツでも、前者と後者では読み手の印象も大きく異なりますよね。また、書き手としても匿名性・客観性を意識したコンテンツは、どうしてもキュレーションサイトや大手企業のメディアに押しつぶされてしまいます。企業の運営するメディアは、資金が豊富ですから記事数では勝てません。そうなると、必然的に差別化をするために『独自の視点』『自分なりの解釈・意見』を書いていく必要が出てきます。私はここらへんを意識してコンテンツを作っていたのですが、最近はそれすらもリライトされたり、差別化の要素として弱くなってきてるな…と感じています。もちろん専門知識をぶっ込んで、リライトを難しくする事は出来るのですが、例えば『年収1000万の手取りはいくら?』みたいな単純な計算で出せるコンテンツはすぐ真似されます。おまけに、オリジナル記事よりコンテンツを充実させて上位を取られます。こういった強者の戦略にどう立ち向かえば良いのか…と考えた時に、個人を前に出してブランド化して読み手との距離を縮める戦略が一番無難ではないかと思ったのです。

これからのSEOはブランド化された個人ブロガーが強いと思う理由』より

Webというフラットな世界で個人が戦っていくときに資金力がないのであれば「ブランド化された個人」としてサイトをつくるべきだというメッセージです。私はさらに、企業でもそうすべきであるという点をさらに付け加えたいと思います。一消費者として今時新しいポータルサイトなんていりません。Google先生とYAHOOとFacebookとtwitterがあれば情報は事足ります。それにプラスして欲しているのは好きなブランドor個人に関する情報くらいなもので、私自身もクソ情報を垂れ流しているまとめサイトなどは即ブロックします。

少なくともこのブログを読んでいる方は自身のtwitterアカウントやFacebookアカウントを持っている方が多いと思うのでその運用に関してもひとつの方針を持つのがこれからの時代、有益ではないかと思うのです。

クロネコ屋@アフィリエイターさんのこのフレーズは私の心に響きました。

『Twitterで収益化!とまでは行かずとも、自分自身の魅力を伝えるチャネルは今後のために持っておいたほうが良いですよ』

今後、社会や世界がどうなるかはわからないですが、確実に個人の価値や魅力・芸に対して対価が支払われる時代にシフトしていきます(それがForkyなんですが)。会社員3000人を抱えて作ったコンテンツが、Youtuber1人がつくったコンテンツに負けてしまう世の中なのです。だったら個人の芸と換金技術を高めるしかないでしょう。

私がもろもろのサロンを運営しているのもその変化に備えるコミュニティが少なすぎると感じているからです。というわけで「Forkyに見る新しい時代のメディア・コンテンツ論」でした。

おしまい by PuANDA( @shoichirosm )

試行回数でレバレッジをかけよ

努力は2乗で効いてくる

 

 

これは『やり抜く力 GRIT −人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける』で紹介されている「達成の方程式」だ。努力は2乗で効いてくる。努力し続けることが、圧倒的に重要ということだ。日々、恋愛コンサルをしていて実感していることであるが、初期設定である才能以上に試行回数があとあと効いてくるのである。まさに試行回数によってレバレッジがかかってくるわけだ。

結局、金持ちになるには何かにレバレッジをかけるしかない。金森さんはお金のレバレッジで不動産、僕は今はITのレバレッジ。

『ニッポンの富裕層論』という金森重樹氏との対談で作家の藤沢数希氏が述べている一文だが、ITもお金もない私みたいな人間は努力(試行回数)によってレバレッジをかけるという方法があるのかもしれないと思ってしまう。じっさいtwitterをはじめて2年ちょっとくらいであるが日々つぶやき続けているとコツコツとフォロワーが増えていって今は8000人近い人にフォローしてもらっている。別にもともと有名人だったわけではない。ブログやメディア掲載というITレバレッジなしにここまでこれるのだから、この方程式はやっぱり有効だ。

 

twitter上の成果 =[つぶやきの才能 × つぶやき回数 × つぶやき回数]

 

しかもやればやるほど成功確率はあがる

試行回数レバレッジの何がいいかというと、無制限であるところなんですよね。失敗さえ受け入れることができればいくらでも回数は打つことが可能。ミドリムシで有名なユーグレナの社長もこう言っている。

 

「1回目の成功の可能性が1%しかなかったとしても、2回挑戦したら、成功率は1.99%になる」という法則があります。例えば、あなたが成功率1%のことに挑戦するとします。成功率1%ということは、逆に失敗する確率が99%であり、ほとんど成功しないということになります。しかし、1度失敗したことをもう1度チャレンジすると99%(1回目の失敗確率)×99%=98.01%となり、失敗する確率は1%減り、成功確率は2%に上がります。同じように3回目のチャレンジの場合、98.01%(2回目の失敗確率)×99%=97.0299%で成功率は3%に上昇。以後、挑戦すればするほど成功率は上がり、50回挑戦すると、成功率は39.4994%と3分の1以上、100回挑戦すると成功率は63.3968%で、なんと3分の2にまで上がり、459回目の挑戦での失敗確率はわずか 1%! 逆に成功率は 99% となるのです」

-ユーグレナ社長・出雲充

 

1%の確率のものに成功したければ、確率的には459回チャレンジしたら99%成功する。これはもうやるしかない。

 

というか、幸せになりたければ “JUST DO IT”.

カリフォルニア大学リバーサイド校のソニア・リュボミルスキ教授の著書『ハピネスの方法(The HOW of Happiness)』によると、幸せは、およそ半分は遺伝的に決まっているという。

我々は普通、結婚してよき伴侶を得たり、新しい家を購入したり、たくさんボーナスをもらったりすると、自分の幸せが向上すると思う。リュボミルスキ教授の定量的研究によれば、これらには、案外小さな効果しかない。逆に人間関係がこじれたり、仕事で失敗したりすると、我々は不幸になると考えている。ところが実際にはそうでもないというんだ。人間は我々が想像するよりはるかに短期間のうちに、よくも悪くも、これらの自分のまわりの環境要因の変化に慣れてしまうのだ。この環境要因に含まれるものは広い。人間関係、お金、健康がすべて含まれる。驚くべきことに、これら環境要因をすべて合わせても、幸せに対する影響は、全体の10%にすぎないのだ。

-『データの見えざる手

では遺伝と環境要因を覗いた残りの40%は何か。リュボミルスキ教授によると日々の行動の習慣や選択の仕方によるという。特に自分から積極的に行動を起こしたかどうかが大きく影響を与えるという。

 

行動を起こした結果、成功したかが重要なのではない。行動を起こすこと自体が人の幸せなのである。(略)行動すること自体が、ハピネスだとすると、幸福になるための発想がまったく変わる。極端にいえば、今日、今このときにもハピネスが得られるかもしれない。

-『データの見えざる手

 

となるとウジウジなやんでないで行動するのが絶対的に正解と言えるんじゃなかろうか。やるかやらないかを逡巡していたら半年くらい経っていたというのは実は大企業エリートの癖だ。プロジェクトで日系大手の人と仕事をすると「やるやらない」についてひたすらシミュレーションしまくって時間を浪費している。「やっちゃって失敗したほうが早いんじゃないですか」というのセリフが喉元まで出かかっているのだが、彼らは失敗を極端に嫌う人種なので言葉を飲み込む。「時期尚早」という便利な言葉でプロジェクトがペンディングになるのがたいていのオチだ。もったいないよね人生の時間は限られているのに。

だからたいして失うものがないのならばひたすら行動するのが正解ってことです!

 

 

おしまい by PuANDA( @shoichirosm )

 

文献リスト

・『データの見えざる手

やり抜く力 GRIT −人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

・『ハピネスの方法(The HOW of Happiness)

 

 

 

「みんなと一緒」は買い叩かれる時代になったらしい

「コモディティ化」という言葉をご存知だろうか。

「コモディティ」とは日用品・生活必需品のことで、商品の機能、品質、ブランド力などではなく、価格や買いやすさだけを理由に購買が行われる。機能や品質面で大差のない製品が多く流通し、買う側にとっては入れ替え可能な存在である。

この「コモディティ化」は物品だけではなく、人材の面でも進んでいる。

誰がやっても同じようなアウトプットの出る仕事に関しては、市場原理により徹底的に安く買い叩かれることになる。マニュアルによる接客・販売に始まり、事務・管理、最近では会計・調査分析などもコモディティ化の波が押し寄せている。これはオートメーション化の進行と無関係ではない。コンピュータで処理できるタスクを人間の労働から排除した結果、コンピュータが得意な領域の仕事に「人の技」がいらなくなったのだ。企業にしてみればコストは一円でも安くしたいから、クオリティに差がなければ人よりも安い機械を導入したりする。結果、人が働けるポストが縮小され、そのポストをめぐって競争が激化するから賃金はまた安くなる。

労働の話だけではなく、それは生き方やファッションの段階にも影響を及ぼしている。「量産型ファッション」「量産型女子」などという言い方が象徴的で、その昔、ファッションやトレンド、ヘアスタイルはすべて量産型であった。しかし誰もそれを価値のないことだと指摘しなかった。むしろ流行りに乗るという意味で肯定的にすら捉えられていた時代もあったのだ。

 

↑こういうのとかね。

重要なのは「『みんなと同じ』ことに価値がなくなった」という構造的転換にある。コピペがあまりに簡単にできるようになったためだ。以前は「オリジナルをつくること」と「コピーをつくること」の差があまりなく、むしろ粗雑なオリジナルより、精巧なコピーのほうがありがたがられた。しかし、いまは「コピーをつくること」があまりに簡単なので「オリジナルをつくる」ことに圧倒的に重きが置かれる社会になっている。

 

すなわち今『ゼロからイチ』を生み出す能力に価値が集まっているのだ。

 

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シリコンバレーにおいてペイパルマフィアのドンとされるピーター・ティール氏の書籍に『ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか』というものがある。

 

新しい何かを作るより、在るものをコピーする方が簡単だ。おなじみのやり方を繰り返せば、見慣れたものが増える、つまり1がnになる。だけど、僕たちが新しい何かを生み出すたびに、ゼロは1になる。人間は天から与えられた分厚いカタログの中から、何を作るかを選ぶわけではない。むしろ、僕たちは新たなテクノロジーを生み出すことで、世界の姿を描き直す。それは幼稚園で学ぶような当たり前のことなのに、過去の成果をコピーするばかりの世の中で、すっかり忘れられている。

 

「賛成する人のほとんどいない、大切な真実とは?」この逆説的な質問にそのままズバリと答えるのは難しい。(略)誰もが信じる幻想を見つけたら、その後ろに隠れているものがわかる。それが逆説的な真実だ。

 

資本主義と競争は対極にある。資本主義は資本の蓄積を前提に成り立つのに、完全競争下ではすべての収益が消滅する。だから起業家ならこう肝に命じるべきだ。永続的な価値を創造してそれを取り込むためには、差別化のないコモディティ・ビジネスを行ってはならない。

 

少なくともビジネスの世界は、シェイクスピアの説により近い。社員は出世のためにライバルとの競争に執着するようになる。企業もまた、市場の競合他社に執着する。そんな人間ドラマの常として、人は本質を見失い、ライバルばかりを気にするようになる。

-『ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか

 

金言だらけだ。ここから私が汲み取ったのは、誰かの敷いたレールの上を必死に競争した先に新しい何かがあるわけではないということ。勇気をもって人と違うことをして、0から1を立ち上げる。そこに独占市場がある。それでも人は競争をやめられないのはなぜだろうか。

「アドラー心理学」では、「承認欲求」という概念を補助線にしてその疑問を解決してくれる。

いくら自分が正しいと思えた場合であっても、それを理由に相手を非難しないようにしましょう。ここは多くの人が陥る、対人関係の罠です。(略)人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。(略)そもそも主張の正しさは、勝ち負けとは関係ありません。あなたが正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結するべき話です。ところが、多くの人は権力争いに突入し、他者を屈服させようとする。

 

他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。(略)承認されることを願うあまり、他者が抱いた「こんな人であって欲しい」という期待をなぞって生きていくことになる。つまりほんとうの自分を捨てて、他者の人生を生きることになる。

 

不自由な生き方を選んだ大人は、いまこの瞬間を自由に生きている若者を見て「享楽的だ」と批判します。もちろんこれは、自らの不自由なる生を納得させるために出てきた、人生の嘘です。自分自身がほんとうの自由を選んだ大人なら、そんな言葉は出てきませんし、むしろ自由であろうとすることを応援するでしょう。

(すべて『嫌われる勇気』哲人の言葉より引用)

 

「誰かに褒められたたい」、「誰かに勝ちたい」という承認欲求は際限のない欲望を生み、究極的に人を幸せにはしない。それよりも、「誰か(共同体)の役に立ちたい」という感覚に従って貢献していくことが幸せを手に入れる方法だと「アドラー心理学」は説く。日本の学歴社会に始まる競争社会で、不幸になっている人をたくさん見ているなかで、この主張はとても腑に落ちる。

 

 

「同調圧力」が強い日本社会の中で「みんなと一緒」はとても強い価値観だった。「みんなと違うだけでいじめられた」というのは芸能界のハーフタレントの多くが持っている子供時代の体験である。

しかし時代は確実に「人と違う」ことを評価する方向にシフトしている。人と違うことをコンプレックスだと思わずに堂々と主張する。誰も手を出していないことを見つけて勇気を出して形にしてみる。

ちょっとでもいいからそのような取り組みをはじめてみることをおすすめしたい。特にブログやツイッターなどのリアルのコミュニティとの相関性が低い場所ではそのような勇気に対して強い応援と指示をもらえる可能性が高い。

ちなみに、まったく違う観点から個人の時代へのシフトを解説しているのが、大前研一氏の『個人が企業を強くする』という書籍である。今回のエントリに共感して頂いた方はぜひ下記のnote(無料)も読んでみてください。

●今どきのサラリーマンにすすめる大前研一氏の本
https://note.mu/puanda/n/ndf7abfc69ecb

 

おしまい by PuANDA( @shoichirosm )

 

文献リスト

・『ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか

・『嫌われる勇気

 

 

 

失敗を味方につけると、人生は成長軌道に乗るらしい

失敗が好きである。

失敗にはヒントがたくさんつまっている。失敗を無視するのではなく、失敗を分解して考えてみる。そうすると思いもよらなかった発見がある。「失敗」に対してうまく立ち回ることで人生を明らかに好転させることができる。失敗をテーマにしたいくつかのコンテンツを紹介してみる。

 

1)失敗への恐怖は「対策可能」である

失敗への恐怖が生じたとき、「失敗の結果、最悪の出来事はなにか?」ということを自分に問うてみる。そして、その問いへの思いつく限りのすべての答えを箇条書きにする。すべての答えをながめ、その結果「自分は生きていられるかを判断する。もし、生きていられるなら、GOサインを出そう。

But my response to the dread of failure is a little different. I ask myself, “What’s the worst that can happen if I fail at this?” Then I make a list of all the answers — every last one I can think of. Then I review each answer and decide if I can live with that result. If the answer is yes, I go for it.

Small Failures Can Lead to Big Successes

 

ビジネスでも、人間関係でも、恋愛でも、勇気を出す局面に立ったら、気合をいれるよりも、失敗したときの最悪の事態を想定する。そしてiPhoneを取り出し、それを箇条書きにする。

ほとんどの場合は、「なんだたいしたことじゃないな」という感想を抱くはずだ。もし、「失敗したら、ヤバイことになりそうだ」という印象を抱いたら、迷わず退却しよう。事前に対策を打ってからでも遅くはない。

島田紳助は「つねに最悪の事態を想定しながら生きている」とあるテレビ番組で述べていた。「マイナス思考」や「ネガティブ思考」は意識高い系の人々には一蹴されがちだが、真の戦略家は極限までマイナスを想像してそれをプラスに転じるのだと理解している。

 

2)イチロー流・失敗からのヒントをつかむ方法

私が好きなエピソードは、イチローが松井との対談で「凡打をヒントにする」と語った部分だ。

打つつもりがない球にカラダが反応することにより陥ったスランプ。メジャー3年目の春、ファウルフライを売った瞬間「凡打の中にスランプ脱出のヒントがあった」とイチローは言う。

失敗を見つめると「どうして失敗するのか」という原因が見える。逆に「どうしていい当たりがでるのか」というふうには考えると、できなかったときにパニックになる。そうイチローは語る。

 

 

大学時代、個別指導塾で講師をやっていたとき、私はいわゆる偏差値の低い子を担当させられることが多かった。他の教師以上に成績を劇的にあげることが多かったからだ。それは私が彼らのできない部分に着目していたからだと、この対談を聞いて思い直した。「できる人がやるとおりにやりましょう」でも半分くらいの人はできる。しかしそれでも「できない人」には致命的に躓いているポイントが存在し、そこを意識化して補助してあげることで劇的な改善が見られる。

たとえば、国語の成績がとても悪かった男の子がいたのだが、私はその弱点を「読解力」ではなく「語彙力」と認識し、語彙の特訓をした。具体的には熟語の書き取りと意味を毎回テストするという方法だ。すると彼は半年後、コンスタントに90点以上を叩き出し、国語が最も得意な科目となった。希望の中学にも合格し、ご両親からは高いお鮨をごちそうになった。

逆上がりのできない子を見たこともある。大抵の子は補助器具を使えばできるのだが、その女の子は周りの子にくらべて明らかに腕が細かった。私は腕の力をつけることを目的にして、斜め懸垂を週3回するように指導した。3ヶ月後、彼女はなんなく逆上がりができるようになった。

私がやっている恋愛コンサルティングも対象者は童貞や経験が少ない初級者だ。彼らには「できるようになるやり方」を示すとともに、「なぜできないのか」についてのポイントの指摘も行っている。たいていは自己流でなんとかなると思っていた部分が致命的にマズく、一部のやり方を修正するだけでうまくいくパターンが多かった。

おそらくイチローは、「できるとき」と「できないとき」の差異を抽出し比較し、長期的にコンスタントに結果を出し続ける方法論へとフィードバックしているのだと思う。

 

 

3)体系として「失敗学」を学ぶ

 

失敗学のすすめ 畑村 洋太郎

失敗を、未知との遭遇による「良い失敗」と、人間の怠慢による「悪い失敗」の2種類に分け、「良い失敗」から物事の新しい側面を発見し、仮想失敗体験をすることで「悪い失敗」を最小限に抑えることを方法論として問いている。財布を落としてしまったときに後悔するよりかは、なぜ落としてしまったのかを考え、二度と落とさないためにはどういう仕組をつくればよいかを考える。転んでもただでは起きない精神を学ぶことができる。

日々、挑戦して失敗する。それがヒントになって、新しい世界が切り拓ける。失敗は避けるのでなくて、自ら選び取るくらい実りあるものなのである。

「こうすればうまくいく」といういわば陽の世界の知識伝達によって新たにつくりだせるものは、結局はマネでしかありません。ところが、「こうやるとまずくなる」という陰の世界の知識伝達によって、まずくなる必然性を知って企画することは、人と同じ失敗をする時間と手間を省き、前の人よりも1ランク上の創造の次元から企画をスタートさせることができます。

「よい失敗」とは未知への遭遇の中に含まれるもので、細心の注意を払って対処しようにも防ぎようのない失敗を指します。(略)未知による失敗はいたずらに忌み嫌うものではなく、文化をつくる最大の糧として大切に扱うべきです。

誰も到達したことのない未来に行こうとする場合、失敗はつきものであり、それを恐れて行動しないのは本末転倒である。だから失敗を前進する仕組みのなかに組み込んでいかに致命傷にならないかという観点で行動様式を設計していくほうがはるかに生産的なのだ。

 

 

失敗にも「失敗のハインリッヒの法則」とでも呼ぶべきものが存在しています。企業のケースでたとえるなら、新聞で取り上げられる大きな失敗がひとつあればその裏には必ず軽度のクレーム程度の失敗が29は存在し、さらにはクレーム発生にはいたらないまでも、社員が「まずい」と認識した程度の潜在的失敗がその裏にはかならず300件はあるわけです。

(略)大きな失敗が発生するときには、必ず予兆となる現象があらわれます。ハインリッヒの法則に従えば、ひとつの大失敗の裏には現象として認識できる失敗が約30件はあり、その裏には「まずい」と感じた程度の失敗とは呼べないものも含めて300件もの小失敗があるからです。

 

仕事である小学校に調査にいったときに職員室に「ヒヤリ・ハット」集というものが置かれており、大事故ではないまでも教職員や生徒が気づいた注意すべきポイントがまとめられていた。こういう未然の策をきちんと講じている組織が長期的な安定と信頼を手にするのだろうなということを実感したわけである。

このような「失敗−とくに小失敗」を利用するような考え方は「β版思考」とでも呼ぶべき方法論で、あえて小さくスタートし、小失敗をたくさんしておきそのフェーズで穴を防ぐことによって、大きくスケールしたときの大事故を防ぐ手立てになっている。ハイリスク・ハイリターンと言われるが、ローリスク・ハイリターンの作り出し方はこのあたりに隠れていると個人的には考えている。「小さく生み出し、穴を塞いでから大きくする」。

 

 

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企業や社会ではお題目のように「新しいことに挑戦せよ」というメッセージが発信されているが、本来的にはそれとセットで「失敗を許しましょう」というメッセージがなければならないのである。が、世間にはそんな慈悲などないので自分と仲間のあいだでまずは失敗に関するリスクヘッジとセーフティーネットをつくることから始めるのがいいのかもしれない。

 

おしまい by PuANDA( @shoichirosm )

 

文献リスト

・『失敗学のすすめ