何かを否定することの代償について

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「私が虚しさを感じることがあるとすれば、あなたと同じように感じている女性がこの国にはたくさんいるということ」

「今あなたが価値がないと切り捨てたものは、この先あなたが向かっていく未来でもあるのよ。自分がバカにしていたものに自分がなる。それって、辛いんじゃないかな」

「私たちのまわりにはね、たくさんの呪いがあるの。あなたが感じているのもそのひとつ。自分に呪いをかけないで。そんな恐ろしい呪いからはさっさと逃げてしまいなさい」

 

2016年の大人気ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の最終回での石田ゆり子さんのセリフです。

何かをバカにしたり、否定することは、自身のアイデンティティをたやすく確立してくれます。
思春期の中高生たち(=反抗期)の価値観とはまさにそういうことでしょう。親や先生たちに抗うことで、自らの存在意義を浮かび上がらせる。

ただし、その後には壮大なブーメランが返ってきます。


蓮舫氏を代表とする野党民主党がブーメランで死滅したように。

セクハラを糾弾したはあちゅう氏が童貞発言で盛大に非難されたように。

周囲からでなくとも、自分のなかにも呪いがかかります。それは自分を動けなくする呪いです。

たとえば「カタカナ英語」を批判した人は、その後、自分で「カタカナ英語」を使いづらくなります。

たとえばナンパする男をバカにした女性は、その後、素敵な人にナンパされてもついて行きづらくなります。

たとえばビットコインを詐欺だとツイートしてしまった人は、その後、仮想通貨を買うタイミングを逸しやすくなります。

「そんなの気にしなきゃいーじゃん」と思う方もいると思います。

たしかに「あいつは嘘つきだ」・「あいつは言うことがコロコロ変わる」という周囲からの評判がつくことを恐れずに、それができる人は素晴らしいと思います。非常に現代向きの適性を備えていると言えるでしょう。

ただほとんどの人は、自分の言ったことに一貫性を保たねばならないと責任を感じる手前、否定した物に対して認めるような行動を取る際、強いブレーキがかかります。

なぜ私がこのような記事を書いているのかというと、物事の趨勢が猛スピードで変化している時代に、何かに対して自分の将来のポジショニングまで約束することは、大きな機会損失であるからです。

しかもこの呪いは物事を否定することで簡単にまとわりついてきます

何かを否定することは、最も簡単なアイデンティティの確立方法であるが故、その後に大きな利息を払わされる。ただより高いものはないのです。

ただ、これにはテクニカルな解決策があって、それは否定形の言い方をしないということです。

「結婚する人はバカだと思う」というと結婚に踏み切る時の足かせになるので、「独身を貫くほうがすごいと思う」と言っておくといいでしょう。結婚するときも「俺には無理だった(てへぺろ)」で済みます。

「noteやアフィリエイトで金儲けするやつは悪だ」というとnoteで副業できなくなるので、「本業の仕事をちゃんとやることが大事だ」と言っておけば副業解禁になったタイミングで始められます。

「仮想通貨を煽ってるやつは詐欺師だ」というと仮想通貨を買えなくなるので、「言うても法定通貨がメインであることには変わりない」と言っておけば勉強がてら仮想通貨を始められます。

何かを強く否定することで、短期的に周りの注目を集めたり、カタルシスを得られますが、その背後にきちんとした対案がなければ、一過性のパフォーマンスになってしまいます。そして一発屋の芸人のように自らのパフォーマンスに足を取られ、時代に置き去りにされていきます。

これからの時代は何かを否定するには機会損失が大きすぎる時代だと思います。朝令暮改を簡単にできるような中腰の姿勢でいられる人が先頭を走れるようになるのではないでしょうか。

ということを、ここ1年くらいの間で感じています。

 

 

一年で最も寒い季節です。どうかご自愛ください。

 

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