心は一生「非モテ」のままで。

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「非モテ」というと、馬鹿にされ、蔑まれ、害悪とまで言われる。

それは、男からも、女からも、そうである。

「非モテ」たちは、想像力が間違った方向に豊かである。

それゆえに、やはり、馬鹿にされ、ネタにされる。

 

ただ、私は、非モテとは「溜め」だと思うのだ。

 

Mr.Childrenの『星になれたら』という曲の中にこんな歌詞がある。

”長く助走をとった方がより遠くに 飛べるって聞いた”

 

 

非モテであることは、人生に「溜め」をつくることだ。
そして、その「溜め」はいつか、圧倒的創造力となって爆発する。

クリエイターやイノベーターというのは、ものすごいエネルギーを偏狭な対象に詰め込む。
「どうしてそこまでこだわれるの?」というくらいの熱量で、対象を愛する。
これは「非モテ」の特徴そのものである。

思春期に「非モテ」だった自分も、ナンパや恋愛工学を通じて、なんとか人並みにはモテるようになった。
その結果、念願だった生活が手に入った。
念願の生活とは、「女性のことにあれこれ悩まなくていい生活だ」


・気になる子からLINEがこなくても、死ぬほど落ち込まなくてもいい生活。

・セックスがしたくてしたくて夜中に風俗系サイトを巡回しなくてもいい生活。

・繁華街を歩いていたら、娼婦に勧誘されてぼったくられなくてもいい生活。

彼女やセックスフレンドが複数人いればとりあえずこういう暮らしからはサヨナラできる。

一方、モテを手に入れたからといって、毎日毎日、とっかえひっかえで女を抱く、酒池肉林のような生活には特に惹かれなかった。

むしろモテ出すと、逃げる言い訳が多くなる。

「女の子とデートだから」

「家でごはんをつくって待ってる子がいるから」

などという理由で、非モテ時代にはできていた「『どうしてそこまでこだわれるの?』というくらいの熱量で、対象を愛すること」ができなくなっていく。

これは、自分自身を”コモディティ化”させてしまう大きな罠だと思っている。

みんなができるコモディティな仕事には価値はなくなっていく。
誰でもできることに値段はつかなくなって、Fetishism的なこだわりに価値が認められていく方向に時代は動いている。
だから、これからの時代、非モテ的想像力&創造力が価値を持つようになっていくだろうと考えている。

何かに対してキモいと思われるほどに、こだわれること。
バカにされるほど、何かを愛すること。

恋愛工学では悪手とされている「非モテコミット」は、相手が、概念や数字の場合、コモディティから抜け出すための秘策として実は機能する。

仕事、音楽、芸術、ボディメイク、非モテコミットしている人ほど、突出した成果を出すのである。
「あいつは頭がおかしい」と、バカにされるくらいやってみよう。

 

そう。心は一生「非モテ」のままで。

 

 

 

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