セックス依存症&ナンパ中毒時代の私の生活

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こちらの記事にも書いたが、数年前ナンパを始めた頃はビギナーズラックというものもあってか、面白いほど結果が出てしまって、コンスタントに一ヶ月で5〜6人くらいの新しい女性とセックスができるようになっていった。

いま振り返って見ると、純粋に楽しかったのだと思う。
「非モテ」状態を脱出したこと、いろんな女の子と話したり、デートしたりできること。それまで引きこもりがちで休みの日はキッチンドランカーと化していた自分にとって、こちらのほうが健全にも思えた。

ナンパの流儀として「色」(恋愛をほのめかしてセックスする)を使ってはダメだという考え方があるのだが、当時の私はそのあたりも意識せず、結果付き合うこともあったし、1、2回会ってそのまま疎遠になる関係の子もいた。

当時、興奮状態なのか日記をつけていた。今見ると気持ち悪いが貴重な資料である。

 

 

この○とか✕はセックスのありなしを示している。3月下旬の約11日間で9セットのセックスをしている。私はこのときは楽しんでいたわけであるが、この少し後から、自分の行動を懐疑しはじめるようになる。

もともと非モテであったために、セフレがいたり、ナンパしてセックスができることに憧れ混じりの喜びを感じていたわけであるが、それが常態化してくると「この状態って果たして幸せなんだっけ?」という疑問が頭をもたげてきた。

・「少しでもムラムラすると誰かにLINEして呼びつけてしまう」

・「夜、時間ができるとナンパに出かけてしまう」

・「金・土の夜は新規開拓をするために予定をあけてある」


このような症状が出たら、ナンパ中毒&セックス依存症を疑うべきかもしれない。
タイガー・ウッズを悩ませたセックス依存症だが、どのような状態が「セックス依存症」と定義されるのか。

 

ジョンズ・ホプキンス大学の神経科学者であるデイヴィッド・J・リンデンは、根本的な基準は薬物やアルコールや食物の依存症と同じだとして定義付けをしている。同書では依存症全般にあてはめることのできる「当該行動」という言葉を使っているが、そこにセックスをあてはめるとこのようになる。

1.自分や周囲の人の生活に支障をきたしているにもかかわらずセックスを続ける。
2.当人が「普通と感じる」ために、また生活上の通常のストレスに対処するために、セックスが不可欠だと感じる。
3.セックスをやめると自分で決め、人にも約束していながら、繰り返しそれを破る。
4.セックスに走ってしまったことを後悔する。

「必要なセックスが得られないと、身体的、心理的に離脱症状が生じる。また、最もはっきりしている点として、単なるセックス好きからセックスが必要という状態に変化していく。この段階で、生活に活力を与えてくれる素晴らしい快楽であったセックスが、日々の生活に向き合うために欠かせない作業の一つとなってしまう」

つまり、単にセックスが楽しいというだけではなく、セックスをしないではいられない、セックスなしには生活が送れないほど渇望するようになると、それは依存症へと片足をつっこみはじめているということだ。

HEALTH PRESS

 

私の場合、ここまでひどくはなかったが、片足を突っ込んでいたように思う。
怖かったのは、「できるのだから、やらなければいけない」というような強迫観念めいたものが出現しはじめていたことだ。
経験者にしかわからないかもしれないが、生活の価値の最上位に近い部分に「ナンパやセックス」が来てしまい、それ以外のことに対して価値を感じなくなってしまう状態。twitter上でアカウントをつくっている人の一部にもこういう価値観の存在を見かけるように思う。セックス至上主義・ナンパ原理主義。非モテ出身の人間がテクニックやステータスでモテるようになったときに陥りやすいトラップである気がする。

ここから私はどう脱出したかであるが、幸いなことに私は勤め人であった。

それ故、日々の業務が忙しくなると、なかなか精神的・時間的・体力的にナンパやセックスに勤しむことは厳しくなってくる。暇な時間があればナンパとセックスを繰り返したいたわけであるが、それがなくなると自然とそれが「なくても大丈夫な状態」にシフトしていった。

これで正直、中毒を卒業できたと感じている。いまもう一度生活が暇になろうとも、もう一度そういう状態に足を突っ込むことはどうやらなさそうな気がする。それは、中毒状態・依存状態というものが、とても不毛で消耗する生活であるということを一旦脱した上で実感しているからだ。

これを書いていて思うのは、ある程度の経済的自由・時間的自由を獲得した成功者のほうが、中毒症状にかかると実は抜け出せなくなるのではないかということである。

愛人9人過去最高80股の岡田斗司夫氏を思い浮かべるではないが、お金と時間があればどこまでも拡大できるし、また、生活を逼迫するほどのことが起こりにくく断ち切る理由やタイミングがなかなかに見つからないからだ。

結論としての私のスタンスはこうだ。

ナンパやセックスは現代の社会生活においては遊びである。だから楽しみたいときは思う存分楽しめば良い。人生のある時期、ある期間、タイミング、熱中するのもいいと思う。一方で、「遊び」であるからにはその「外の世界」にも自分をきちんと置いておく必要がある。そしてその両者の世界を自分の意志で行き来できる状態を作り出すことが結果的に、健全で生産的で安定した社会生活を送れる基盤となっていくと考えている。

おそらく外野から見ると、間抜けで馬鹿げたことを考えているようにも見えるかもしれないが、経験者としての当人は至って真剣である。ある先輩の経営コンサルタントが「女で身を滅ぼす経営者が多くて、そのコンサルティングに需要がある気がする」と冗談ぽく言っていたが、ハニートラップに引っかかって麻薬の運び屋として利用されたフランプトン教授の事例しかり、女をどう扱うかは男の人生にとって死活問題なのである。いや、本当に。

 
おしまい

 

 

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