「みんなと一緒」は買い叩かれる時代になったらしい

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「コモディティ化」という言葉をご存知だろうか。

「コモディティ」とは日用品・生活必需品のことで、商品の機能、品質、ブランド力などではなく、価格や買いやすさだけを理由に購買が行われる。機能や品質面で大差のない製品が多く流通し、買う側にとっては入れ替え可能な存在である。

この「コモディティ化」は物品だけではなく、人材の面でも進んでいる。誰がやっても同じようなアウトプットの出る仕事に関しては、市場原理により徹底的に安く買い叩かれることになる。マニュアルによる接客・販売に始まり、事務・管理、最近では会計・調査分析などもコモディティ化の波が押し寄せている。これはオートメーション化の進行と無関係ではない。コンピュータで処理できるタスクを人間の労働から排除した結果、コンピュータが得意な領域の仕事に「人の技」がいらなくなったのだ。企業にしてみればコストは一円でも安くしたいから、クオリティに差がなければ人よりも安い機械を導入したりする。結果、人が働けるポストが縮小され、そのポストをめぐって競争が激化するから賃金はまた安くなる。

労働の話だけではなく、それは生き方やファッションの段階にも影響を及ぼしている。「量産型ファッション」「量産型女子」などという言い方が象徴的で、その昔、ファッションやトレンド、ヘアスタイルはすべて量産型であった。しかし誰もそれを価値のないことだと指摘しなかった。むしろ流行りに乗るという意味で肯定的にすら捉えられていた時代もあったのだ。

 

↑こういうのとかね。

重要なのは「『みんなと同じ』ことに価値がなくなった」という構造的転換にある。コピペがあまりに簡単にできるようになったためだ。以前は「オリジナルをつくること」と「コピーをつくること」の差があまりなく、むしろ粗雑なオリジナルより、精巧なコピーのほうがありがたがられた。しかし、いまは「コピーをつくること」があまりに簡単なので「オリジナルをつくる」ことに圧倒的に重きが置かれる社会になっている。

 

すなわち今『ゼロからイチ』を生み出す能力に価値が集まっているのだ。

 

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シリコンバレーにおいてペイパルマフィアのドンとされるピーター・ティール氏の書籍に『ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか』というものがある。

 

新しい何かを作るより、在るものをコピーする方が簡単だ。おなじみのやり方を繰り返せば、見慣れたものが増える、つまり1がnになる。だけど、僕たちが新しい何かを生み出すたびに、ゼロは1になる。人間は天から与えられた分厚いカタログの中から、何を作るかを選ぶわけではない。むしろ、僕たちは新たなテクノロジーを生み出すことで、世界の姿を描き直す。それは幼稚園で学ぶような当たり前のことなのに、過去の成果をコピーするばかりの世の中で、すっかり忘れられている。

 

「賛成する人のほとんどいない、大切な真実とは?」この逆説的な質問にそのままズバリと答えるのは難しい。(略)誰もが信じる幻想を見つけたら、その後ろに隠れているものがわかる。それが逆説的な真実だ。

 

資本主義と競争は対極にある。資本主義は資本の蓄積を前提に成り立つのに、完全競争下ではすべての収益が消滅する。だから起業家ならこう肝に命じるべきだ。永続的な価値を創造してそれを取り込むためには、差別化のないコモディティ・ビジネスを行ってはならない。

 

少なくともビジネスの世界は、シェイクスピアの説により近い。社員は出世のためにライバルとの競争に執着するようになる。企業もまた、市場の競合他社に執着する。そんな人間ドラマの常として、人は本質を見失い、ライバルばかりを気にするようになる。

-『ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか

 

金言だらけだ。ここから私が汲み取ったのは、誰かの敷いたレールの上を必死に競争した先に新しい何かがあるわけではないということ。勇気をもって人と違うことをして、0から1を立ち上げる。そこに独占市場がある。それでも人は競争をやめられないのはなぜだろうか。

「アドラー心理学」では、「承認欲求」という概念を補助線にしてその疑問を解決してくれる。

いくら自分が正しいと思えた場合であっても、それを理由に相手を非難しないようにしましょう。ここは多くの人が陥る、対人関係の罠です。(略)人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。(略)そもそも主張の正しさは、勝ち負けとは関係ありません。あなたが正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結するべき話です。ところが、多くの人は権力争いに突入し、他者を屈服させようとする。

 

他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。(略)承認されることを願うあまり、他者が抱いた「こんな人であって欲しい」という期待をなぞって生きていくことになる。つまりほんとうの自分を捨てて、他者の人生を生きることになる。

 

不自由な生き方を選んだ大人は、いまこの瞬間を自由に生きている若者を見て「享楽的だ」と批判します。もちろんこれは、自らの不自由なる生を納得させるために出てきた、人生の嘘です。自分自身がほんとうの自由を選んだ大人なら、そんな言葉は出てきませんし、むしろ自由であろうとすることを応援するでしょう。

(すべて『嫌われる勇気』哲人の言葉より引用)

 

「誰かに褒められたたい」、「誰かに勝ちたい」という承認欲求は際限のない欲望を生み、究極的に人を幸せにはしない。それよりも、「誰か(共同体)の役に立ちたい」という感覚に従って貢献していくことが幸せを手に入れる方法だと「アドラー心理学」は説く。日本の学歴社会に始まる競争社会で、不幸になっている人をたくさん見ているなかで、この主張はとても腑に落ちる。

 

 

「同調圧力」が強い日本社会の中で「みんなと一緒」はとても強い価値観だった。「みんなと違うだけでいじめられた」というのは芸能界のハーフタレントの多くが持っている子供時代の体験である。しかし時代は確実に「人と違う」ことを評価する方向にシフトしている。人と違うことをコンプレックスだと思わずに堂々と主張する。誰も手を出していないことを見つけて勇気を出して形にしてみる。ちょっとでもいいからそのような取り組みをはじめてみることをおすすめしたい。特にブログやツイッターなどのリアルのコミュニティとの相関性が低い場所ではそのような勇気に対して強い応援と指示をもらえる可能性が高い。

 

ちなみにExplosive|自分時価総額サロンもそういうコンセプトで運営されている。新しい時代の価値観をインストールした自分をバーチャル上で先に実働させてしまおうという試みである。

 

 

おしまい

 

文献リスト

・『ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか

・『嫌われる勇気

 

 

 

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