【書評】格差と階級の未来に希望はあるか。

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世界全体はどんどんと裕福になっているはずなのに、格差が開いているように感じるのはなぜなのか。

そんな疑問に『格差と階級の未来〜超富裕層と新下流層しかいなくなる世界の生き抜き方〜』は答えてくれる。

●私たちが感じる格差の正体

FACTFULNESSというベストセラー書には格差について明確なデータとともにこのように著述されている。

いまや、世界のほとんどの人は(豊かと貧困の)中間にいる。「西洋諸国」と「その他」の国々、「先進国」と「途上国」、「豊かな国」と「貧しい国」のあいだにあった分断はもはや存在しない

 

グローバルで格差は縮まっており、貧富の差も少なくなっている。
「格差の拡大」は嘘なのだろうか。

一方、「格差と階級の未来」にはこうある。(一部要約)

 

昭和の戦後時代は正直にまじめに働くことが結果として報われるという意味で、幸せな時代でした。報われるからこそ、体調がつらくても毎朝同じ時間に起きて、ラッシュの電車にゆられながら出勤し、終業時刻までまじめに働いたのです。 また 「日本的経営」と言われたように昭和の会社は社員を家族のように守ってくれました。正直で勤勉に過ごしていれば会社は社員を守ってくれる。一方で不正を働き会社に泥を塗った人は、会社から放り出され道を外れて残念な人生を歩む。みな、そう信じて働いてきました。

(中略)

今、21 世紀に入って以降、日本を含む先進国で格差が社会問題になっている一番の論点は、この「正直で勤勉な人たちが報われなくなってきている」という点にあります。 私たちは資本主義の社会に生きているわけですから、ビジネスに成功した者が大儲けすることで経済全体が発展するのは良いことだと教わってきました。問題はその成功が正直で勤勉な人たちの生活を侵食しはじめたことにあります。しかも、大資本によるチェーンストアの拡大やイノベーションによる技術の陳腐化など、その侵食の手段は合法的であり資本主義の原則にものっとっているため、それが社会的に良いことなのか悪いことなのかについては意見が分かれる性格のものなのです。 誰もが「何かが少しおかしい」と思いながら、ルール上は「ここがおかしい」と追及しきれない。それが現代社会の格差の問題です。

 

 

私たち一般ピープルが感じる世間とは、知り合いとその知り合いくらいのコミュニティだ。
「アメリカ人とインド人とジンバブエ人」がないまぜになったグローバルなリアリティ感覚を持ち合わせている人はそうそういない。

つまりは、いくらグローバルで格差が縮小したところで、知人とその知り合いの格差が開くと我々は格差が拡大したと認識してしまうのである。
「アフリカと日本の差は縮まった。めでたしめでたし」なんて思う人よりも「俺は非正規雇用なのに、中澤が起業して大金持ちになった。おかしくないか?!」と思う人が多数だということだ。

そして、この「おかしくないか?!」の背後には、あれだけ刷り込まれた「正直と勤勉」が正当に報われないという苛立ちが作用している。この不公平感こそ、現代(そしてこれから)の大衆が抱く感情のコアになって行く可能性がある。

 

●とはいえ「年収1000万円」を目指すことも微妙

「格差の底辺は嫌だ!俺は年収1000万を目指す!」

なんて目標を掲げる若い人も多いと思う。

いろんなところでチヤホヤされる年収1000万円という指標。
ただこれは気をつけないと最も搾取されるポジションかもしれない。

 

ユニクロを運営するファーストリテイリングの柳井正社長が予言した「これからは年収1億円の社員と年収100万円の社員へと二極化す る」という方向へと、資本主義の虚構が動きはじめたのです。(中略)その結果、上昇志向が強く、生き残りに熱心な社員ほど、3年から5年で次の会社へと転職しながらキャリアアップを目指します。会社に翻弄される使い捨ての人材から、自分で自分の人生を切り開けるキャリア価値の高い人材を目指すわけです。 「凄腕で頼られる人間になれば使い捨てにされることはない」 みなさんもそう考えるかもしれません。

この考え方はキャリア戦略としては悪くはないのですが、たぶんそういった生き方を目指している 方々が気づいていない大きな落とし穴があります。「年収1000万円の仕事」というポジションは、よくよく見ると実はかなり体力も心も消耗する仕事で、同時に富の食物連鎖の底辺の労働者よりもきつく搾取されているのです。 (中略)
そのうえで年収1000万円のポジションでは、結果を出せなければ簡単にその座を追われるものです。言い換えるとその恐怖からみな、必死になって利益を稼ごうと死ぬほど働く。それが年収1000万円の世界です。 一見華やかでうらやましい年収1000万円の世界は、意外と消耗し、使い捨てにされる世界でもあるのです。

 

チヤホヤされるポジションほど実は美味しくない。
アイドルとか、スタートアップ社長とか、エリートサラリーマンとか、キラキラしていてチヤホヤされるポジションは、みんなが目指すぶん、替えがアホほどいる。だから、ちょっとでも手を抜くとすぐにライバルに寝首をかかれる。

この事実に対抗するには、たとえば「年収」というわかりやすい指標を捨てることだ。
世の中に流通するわかりやすい指標だけで物事を判断しないこと。
もちろん参考にはすべきだが、自分自身の判断はもっと解像度の高いオリジナルな指標でやるべきだろう。

実際、このあたりは個人差があり、橘玲氏が『幸福の資本論』で提案している
①金融資本②人的資本③社会資本の3軸で調整していくのが、大きく外さない方法であるとは思う。

『幸福の資本論』は何を追わなくていいかを教えてくれる

●富裕層が有利な資本主義は未来永劫つづくのか

この本では「新しい相転移はいつ起こるか」というテーマで、次の社会構造の大きな変化を予期している。

現在のような資本主義セントリック、 富裕層セントリックな時代はいつまで続くのでしょうか。そして世界経済の 次の相転移は、いつ何が引き金となって起きるのでしょうか。 おそらく2035 年ぐらいまで、リーマンショックから数えて25年ほどの期間、それは続くでしょう。 2035年頃に次の引き金を引くのはインターネットとはまた違う技術進化。それは現在の二進法のコンピュータ上で 動く人工知能(AI)とは異なる技術で誕生する「人間を超えるAIが登場するとき」だと私は考えています。

 

資本主義をベースとした社会構造から、AIをベースとした社会構造への変化。
こうなると、資本主義の血液である「お金」以上に、AIを駆動させる元ネタになる「データ」や「生情報」が重要になってくるのかもしれない。

予想でしかないが、人間としては「お金持ち」よりも、「人気持ち」「信頼持ち」「希少体験持ち」の価値が大きくなる可能性がある。

その例としてトークンエコノミーが挙げられている。

トークンエコノミー自体は、うまく仕組みが発展していくと新しい経済を生み出します。たとえばこれまでの経済ではその価値が換金化されていなかったものが、世の中にはたくさんあります。学校のクラスにかわいい女の子やイケメンの男子がいるとして、それはあなたが学校に行くインセンティブになっていたとします。それも実は経済価値なのですが、その価値は測定もされていませんしお金にもなりません。しかし実際の21世紀の経済は、可視化しにくい「いいね」の拡散によって動きます。

2010年代、インフルエンサーという存在が認知され、消費や広告にも大きな存在感を示している。これは一過性のブームではなく、大きな社会構造の転換の予兆だ。

それまではテレビや雑誌といったメディアが影響力を持っていたが、個人が簡単にアカウントやチャンネルを作れるようになった結果、メディアの無限増殖が始まった。一方で、コンテンツやタレントは有限であるから必然的に魅力的なコンテンツをつくれる個人の価値が高まっていく。

ソーシャルメディアの未来は、5G・EC連携・キャッシュレス・グローバル化などと相まって、どんどんと影響力を増していくため、この流れはますます強化されるはずだ。

このトレンドのなかで20世紀型の資本家(富裕層)とは異なった形での「新たな勝ち組」が現れるだろう。

 

この本にある具体的な解決提案は「金融資本をそれまでに貯めよう」というくらいで、新しい生き方提案は具体的になされていない。しかし、この本が提起する問題意識を常に頭の片隅に入れながら、仮説をたて試行錯誤して生きていけば、時代の変化に取り残されることはないと思う。

 

 

おしまい。

 

 

『格差と階級の未来〜超富裕層と新下流層しかいなくなる世界の生き抜き方〜』

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