2031

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セミがこれでもかというくらいに鳴き叫んでいる。

熱帯のような昼下がり、縁側の庇の下でタオルケットを敷いて横になる。

自分を大切に育ててくれた両親は10年前に死んで、いっしょにバカ騒ぎしていた親友のうちの数人も病気で死んだ。金がかかるといって病院へいかなかったので、あっと言う間だった。電気料金は馬鹿みたいに高くて、5年前に買い替えたベトナム製のエアコンはほとんどつけない。

美しかったはずの妻の顔は皺だらけになり、最近では大声で話さなければ振り向かない。今で通販番組ばかりをみている。民放はあるときから通販番組しかやらなくなった。映画とドラマの再放送と通販番組の無限ループ。NHKだけが、新鮮なコンテンツをかろうじて出し続けてくれる。買い物にはいかず、すべてオンラインですませてしまう。

暑い。汗がにじむ。セミの声が脳みそを浸食されていくような気分だ。のどが渇いている。水を飲んでもどうせまたのどが渇くんだ。いっそこのままひからびてしまってもいいかもしれない、と思う。だれもきっと悲しまない。不快で、退屈な毎日の繰り返し。ただぼうっとしているだけの。

大切にしていたはずのものは、ほとんどすべてなくなってしまった。細かい砂のように指の隙間からさらさらと零れ落ちてしまった。一瞬だった。気づいたときには、身動きがとれなかった。もしかしたら、大切にしていると思いこんでいただけで、実際は、していなかったのかもしれない。仕事をやめ、子どもたちがいなくなり、友達と会うのもおっくうになり、妻とどこかへでかけることも少なくなった。生活に楽しみはない。使い物にならなくなった性器をぶら下げて、私はトイレに向かう。廊下に寿司の皿が重ねて置いてある。2週間ほど前に息子がマレーシアからこちらに帰ってきたときに、とった出前の寿司だ。あの日はすこし楽しかった。もっといて欲しかったが、他にも用があるといって5時間ほどで帰ってしまった。一瞬のにぎやかな時間の後に残されたのは、それ以上の煩わしい退屈だった。

別に自分の人生に後悔をしているわけではない。そのとき、そのときに応じてそれなりの努力をし、ベストな選択肢を選んできたつもりだ。ただ、行き着いた先が、広大な退屈の砂漠だったというそれだけの話だ。もしかしたら、先急いで歩かなくてもよかったのかもしれない。道草をゆっくり楽しんでいればよかったのかもしれない。広大な砂漠にたどり着くのがわかっていれば、道中をもっと面白がれたかもしれないのに。昔の自分に教えてやれるとしたら、そのことぐらいだろうか。きっと若い自分は聞かないだろう。ジャングルを抜けることに必死だったのだから。

気づくと夕方だった。セミの声は、聞き慣れない鳥の鳴き声に変わっていた。鬱蒼と茂った森が目の前を覆った。ここはどこだっけ?どこかのジャングルだということだけはわかった。ふと背後に目をやると、黒い肌をした子どもたちが樹木に囲われた池で水浴びをしていた。

*****

2011年くらいに20年後くらいの未来予測を小説風に書き記してみた文章。たぶん1960年生まれくらいの人が主人公なんだと思います。2017年だと57歳で定年近いおじさんですね。日本が経済大国でなくなってどんどん格差が広がるのと、医療費・福祉の削減、あとは共同体の断絶みたいなことを浮かべながら書いています。

ものごとを小説風に書くというのは思わぬインスピレーションを得ることができます。スマイルズ代表の遠山正道さんが三菱商事時代にスープストックを構想した企画書も小説風のアプローチで書かれていたりします。アイデアがなかなか出ないときや発想を飛躍させたいときにやってみるのもいいと思います。

おしまい

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